彼女、なまえは困った様に溜息を吐いた。その視線の先にはここ数日の見慣れた赤い髪の少年。少年は吊り上がった目をさらに吊り上げて彼女へとまっすぐに視線を向けている。主人の困惑を感じ取ったのか、足下の彼女のパートナーであるエーフィは彼女を見上げて小さく鳴いた。主人はそれに小さく答えて少年を見据えた。
思い返せば数日前、苛立ち草むらを掻き分ける少年に声を掛けたのが間違いだったのか。その後、申し込まれたバトルを断りきれなかったのが過ちか。思いもしなかったのだ。負かした少年が何を思ったのか、自分に惚れ込んでしまうなんて。そして彼女はもう一度溜息を吐いた。
「ねえ、坊や?幾ら幼いからといって度を過ぎると恐いわよ」
「坊やじゃねえよ。シルバーだって言っただろ」
「旅する子供が何を歩を止めてるんだか。坊や、先に進みなさいな」
少年の何度目かの名乗りも無視して彼女は坊や、と呼びかける。少年は地団駄を踏み彼女をキッと睨み付ける。彼女のエーフィが威嚇するように鳴いて、少年ははっとその睨みを弱めた。少年のパートナーであるニューラが主人の変わりように困惑を隠せないとか細く鳴いた。そして、彼女のエーフィを威嚇する。しかし、そうすれば自らの主人から厳しい眼差しが降り注いだ。不憫。
「せめて、番号くらい」
「それで終わる気がしないもの。坊や、こんな年増止めときなさいな。あなた若いし、それなりに格好いいわよ?ほら、同い年の子とでも遊んでいらっしゃい」
「餓鬼扱いしやがって。年増?自分じゃ欠片も思ってないだろ。それに年齢なんて関係ねえよ」
「坊や、あたくしの弟より年下よ。子供よ。完全に」
「あ?弟がいるのかよ」
「旅してる弟がいるわ」
少年は暫し考えるように黙り込んだ。彼女は足下のエーフィを抱き上げる。主人の胸元に擦り寄り甘えた鳴き声を上げるそれに少年の顔も上がった。視線の合った人間とポケモンが威嚇し合うように睨み合っている。そして少年は彼女をピシッと指差し、高らかに宣言する。
「なまえ!俺があんたの弟に勝ったらこっ、恋人になってもらうからな!」
そして踵を返し、走り去っていく少年に残された彼女とニューラは呆気にとられる。そしてニューラは主人に置いて行かれたことに気付き慌ててその背を追い掛けて行く。遠くで少年はそんなパートナーに叱咤の声を荒げた。彼女の腕の中でエーフィは欠伸をしている。彼女は少年の消えた方向を見つつ鞄を漁った。
「随分情熱的な少年だね」
「……マツバ、あの坊や、あたくしの弟なんてもちろん知らないわよ」
「はは、若いんだねえ」
一部始終を見て聞いていたのか、声を掛けてきた友人に言葉を返し、彼女は鞄から目当てであるポケギアを取り出した。慣れた手付きで番号を押していき、コール音に耳を近づける。途切れたコール音と慌てたように、ねえさん!と上がる声。その音量が思いの外大きく彼女はポケギアを一度耳元から遠ざけた。エーフィが何事かと顔を上げて耳をぴくぴくさせる。側でそれを見ている彼は友人に苦笑いを送った。何時ものことだと。
『どうしたんだ?もしかして……スイクンを!目撃したと――」
「違うわ。あなたは何時まで経っても子供よね」
『良いじゃないか。スイクンは、素晴らしいんだぜ……!』
幾つになっても伝説のポケモンを追って、子供のままだと彼女は呆れたように言葉を返した。口を開けばスイクンスイクン。放って置けばこちらの用件も話せぬままに、スイクンに対する愛を説かれる。それを長年の付き合いで分かりきっているので彼女は言葉を紡がれる前に用件に入った。
「はいはいそうね。あなたの所に赤い髪で吊り目の坊やが来たら、少し手加減してあげなさいな」
『何故だ?』
「スイクンを目撃したら写真でも撮っておくわ」
『任せろ!ところでねえさ――』
疑問の声を上げるものの、スイクンの事を持ち出したら彼は快く引き受けたとばかりに声を荒げた。まだ話を続ける気だった彼に気付かず彼女は通話を切ってしまった。あっと思ったが、彼女は直ぐにまあいいかと思い用事の終わったそれを鞄へとしまい込んだ。顔を上げると友人であるマツバは目をぱちぱちさせて彼女を見ていた。彼女はふっと笑い言葉を紡いだ。
「恋に年齢は関係ないのよ」
彼女もまた、大人に成りきれていない子供なのだ。
(幼い恋)