Pkmn 短編 | ナノ






 私は出来上がった書類を片手に部屋の扉をノックした。無論、書類を提出する為に訪れたのはアポロの部屋。数回ノックをした後、部屋の主の返事も待たずにノブに手を掛ける。これは何時ものことでノックしようとしまいと変わらない。
 訪問の目的が書類の提出だと言うことを告げる為に開いた口を、言葉を発する前に私は閉じてしまった。部屋には先客がいたのだ。私は片手に書類を持ち、もう片方はノブに預けたままの姿で固まり、視線は振り返った女性に釘付けになってしまいました。おそらくアポロに向けられていたであろう笑顔のままで振り返った女性に、私は何とも惨めな感情を一瞬で拵えてしまったのです。この私が。

「相変わらず仕事が早いですね」

 ランス。そう、上司であるアポロは私の名を呼んだ。その言葉に私は漸く意識を平常に戻すことが出来た。しかし視線は私へと振り向いたままの人物に釘付けで動かすことが出来ない。脳が真っ白になってしまった現象や、その他諸々の私らしくない身体の症状の名を私は知っている。だがそれらは冷酷を称する私にはとてもじゃないが相応しくないものだ。私が女性の目に視線を合わせているのと同じ様に、彼女もまた私の目に視線を合わせている。所謂見つめ合い。そして彼女の髪がさらりと流れた。首を傾げたから。

「彼が……?」

「そうです。彼がお目当てのランスですよ、なまえさん」

 彼女はなまえというらしい。私がお目当てだと言うアポロの言葉に内心ドキリとしました。が、彼女の表情を見て気分が落ちるのも感じました。彼女は眉を寄せて怪訝そうな顔をしていたから。アポロ、あなたは私のことを彼女にどう説明したのですか。上司である男を殴りたい衝動に駆られました。まあ、この衝動も初めてのものではありませんがね。
 内なる感情に悶々しているとやあん、と最近の仕事の所為で聞き慣れてしまった声が私の鼓膜を震わせた。不愉快に思いその鳴き声の方へと振り向いてみると、ヤドランが私の後ろで待機していました。ヤドランがいることも不可解なのですが、もっと不可解なのはそのヤドランがアタッシュケースが幾つも乗った台車を押しているのも充分不可解です。
 やあん、ともう一度そのヤドランが鳴いた。どうやらこの部屋に入りたいらしい。それで扉の前に位置している私が邪魔だと。生意気ですよ。ヤドランであるのにヤドンの鳴き声を上げてるくせに。

「珍しい鳴き声のヤドランですね」

「アポロくんったら、知らないポケモンの様に言って。ヤドランさん、鳴き声は進化しなかったの」

「ん?そのヤドランはあの……?」

「そう、あの子なの」

「そうですか。懐かしくもありますね」

「……私に何か用でもあるのですか」

 私は不機嫌にアポロに言った。私が此処にいるというのに、話題に一度挙げたというのに、二人は二人だけの会話を話し出してしまったので何とも頭にきたのだ。私の言葉に忘れていましたとでも言うようにアポロが声を漏らした。あなた大分失礼ですよ。

 私が空けたスペースから部屋へと入ってきたヤドランに彼女が目配せをした。ヤドランの方はそれを理解したかのように、止めていた台車を遅い速度でデスク前まで移動させる。まったく鈍いポケモンだ。そのくせ理解しているかのような動作に腹が立つ。
 彼女、なまえは私へと用件を話し出すのかと思ったら、相手はアポロだった。それに彼は少々眉を上げた。

「ヒワダタウンの事件」

「言った通りそれの担当者は彼ですよ」

「でもアポロくんが指示を出してるでしょう?止めて欲しい」

「それは……、困りますね。大事な資金源ですから」

「他のポケモンの事は口出ししない。でも、ヤドンは別よ。別格なの」

 その言葉にアポロだけでなく、私まで怪訝な顔をした。彼女は、ポケモン自体を擁護するわけではないようだ。彼女にとって守るべきものはヤドンだけなのか。ロケット団そのものを否定していないようなので、安心しました。……何故私は安心しているのでしょうか。出会って間もない女性に此処まで心を掻き乱されるなんて、自分が自分でないようだ。気味の悪い。

「止めて欲しいから、来たの。資金源が減るという理由、出してくると思った。だから、これは返すから。今回は一部だけど、いずれ全部ね」

「なまえさん……」

 彼女の視線がアタッシュケースを見た。アポロは溜息を吐いている。まあ、中身は大方現金なのでしょうが、彼が大金を彼女に送ることになった経緯までは予想出来ませんね。まさかこの男が女に金を貢ぐタイプだったと?否、想像出来ない。
 彼女のポケモンであるヤドランが積まれた一つを彼女へと手渡した。彼女はその白く細い指でそれを開ける。パチッと音が響けばアポロの眉がもう一段階上がった。いい気味だと思ったのは口には出さないでおきましょう。ほら、中身は予想通り現金だ。

「受け取れません」

「私がロケット団へ資金提供しては駄目なの?それともそんなにヤドン達を虐めたいの?」

「これは、なまえさんの為のお金ですよ」

「だったら私の好きにさせて。……アポロくんの馬鹿。嫌い」

 最後に彼女が呟いた言葉が胸に来たのか彼は思いきり机に突っ伏した。そのままデスクと至近距離で会話を始める上司が少し不憫に感じた。慰めの言葉なんて掛ける気もしませんけどね。

 ふと、私は自分の手の中にある提出しに来た書類の存在を思い出しました。カツカツと靴音を響かせてデスクの前まで移動する。それを彼にかける言葉無く隅に置いた。目的は果たしました。この部屋を去るのが少し惜しい気もしますが、何時までも此処にいては変でしょう。踵を返し退出を試みようとした私の制服を誰かが掴んだ。……アポロだ。

「私に用はないでしょう」

「いいえ、あります。なまえさん、ヤドンの尻尾での資金調達は無しにします。ランス、お前の部下達にヒワダタウンから撤収するよう伝えなさい。」

 今度は私が眉を吊り上げる番だった。例えアポロが彼女に弱かろうが、ロケット団を優先するものだとばかりに思っていましたよ。もっともサカキ様に執着しているのは目の前のこの男なのですから。
 アポロのその言葉に彼女、なまえが嬉しそうに微笑んだ。その表情に己の頬が朱に染まってしまうのかでないかと思いましたが、横目で見るとアポロの方がその頬を朱に染めていましたのでなんとか自分の感情をコントロールしましたよ。コホンと咳払いをして表情を正したアポロ。今更上司としての威厳は戻ってきませんよ。

「ただし、条件があります」

「?」

「まず、こちらは受け取りません」

 彼は開かれたままのアタッシュケースを閉めた。彼女は眉をピクッと動かせた。それを見て聞いていたヤドランがそれを積み上げられているそれらの上に重ねる。ずん、と重力が重くなるのを感じたようでした。

「そして、なまえさんにはロケット団にいてもらいます。それはその間の給料だと思って下さい。なに、仕事をさせる気はありませんよ」

「……それだけ?」

「はい。嫌、ですか……?」

「それって嫌の要素がある?暫くアポロくんといられるってことだよね?うん、嬉しいよ。よろしくね」

 不安そうに聞いたアポロにキョトンとした後、彼女は言いました。彼女のよろしくに合わせて隣でヤドランが頭を下げて、アポロはデスクの下でガッツポーズをしていました。それを確認してしまった私に突き刺さる視線。もちろん彼女の視線です。私はその視線を知らない振りするわけにもいかず、彼女へと顔を向けました。私に向けられているその表情に胸が焦がれる思いです。

「よろしくね。ランス、くん?」

「君付けは止めて下さい」

 素っ気なく言い放ったわりに何故、私の心臓はこんなにも五月蠅いのでしょうか。
 彼女のいるであろう先と、機嫌の悪くなってしまった上司の先。嬉しいのやら面倒なのやら。微笑みと眉間に青筋を付属させた彼が低く唸った。否、言った。“改めて紹介します。私の義姉のなまえです。”あぁ成る程、そういうわけですか。彼と彼女の関係にほっとしたのもつかの間、目の前のヤドランが彼女に気付かれないように私に中指を立てているのに気付いた。どうやら、敵は複数いるらしい。


(面倒だと思いながらも、残念ながら私は、既に彼女に一目惚れしていた)