AM7:16


 神羅屋敷のダイニングは東向きで、いくらか庭木に遮られながらも朝はよく陽が入る。陽射しとともに微かな風と鳥の声が届き、あまりにもそぐわない爽やかさにヴィンセントは苦笑した。
 明るいダイニングには彼一人。アスターはまだ夢の中だ。
 いつの間にやら、彼の都合で就寝が遅くなった翌朝は寝坊をしていい、と不文律ができあがっていた。おかげでアスターは、ヴィンセントが声をかけなければこれ幸いと延々朝寝を決め込む。今日もその例に漏れないようだ。
 特に予定もないのだが、だらだら寝ているのも不健康だ。放っておくと本当に昼まで寝こけるアスターにきちんと朝食を摂らせるため、普段は彼女が作っているのを代わりに引き受けるのも恒例となっていた。
 すっかり支度の整ったテーブルを見遣り、いまだに動いている柱時計が打った七つを合図にヴィンセントは二階へと向かう。


 寝室を覗き込めば、アスターは彼がベッドを出たときとほとんど変わらぬ体勢で毛布に埋もれていた。
「アスター」
 笑いをこらえながら声をかけても反応はない。三度呼んでようやく少女は目を開ける。まったく焦点が合ってなさそうな瞳に彼を映してへらりと笑い、すぐまた寝に戻る。
「アスター」
「うぅ……あと、ごふん……」
 そう言って五分で起きる人間はいない。
 ほとんど目も覚めているだろうに、枕を引き寄せ離そうとしない。毛布を剥いでやろうかとも思ったが……変質者扱いは嫌なのでやめておく。
 ヴィンセントは幸せそうな顔で眠りに落ちていく少女の肩をしつこく揺する。
 他人の世話など面倒だ(わりによく押し付けられる気もするが)。相手がアスターでなければ勝手に起きろと投げ出すだろうが、彼女のこれは戯れの延長と知っている。彼に甘えているだけで、本当に眠いわけではないのだろうから、気の済むまで付き合うことにしている。というか、彼も好きでやっているのだ。
「んん、ヴィン」
 ささやくように微かな声で名前を呼ばれる。けだるく甘い声音に一瞬気を取られ、ひょいと伸ばされたアスターの腕を留め損ねた。
「んー」
「……っ!」
 寝起きのわりにはがっちりしがみ付かれ、屈んでいたのも災いしベッドに倒れこむ。咄嗟に手をついてアスターを潰すのはまぬがれたが。
「……アスター」
 ヴィンセントの呆れ声にも頓着せず首にぶら下がっているアスターは、もう完璧に起きているのだろう。絡んだ腕が少し震えたのは笑ったためか。
 無音の笑い声はそのまま深い溜め息に変わる。緩んだ腕に顔を覗き込めば、どこまでも無防備な表情。
 小さな手が、彼の二の腕に絡みながら滑り落ちる。離れていくのが寂しく、アスターの背がシーツに触れる前に引き留めていた。
 片腕では支えきれない重みを胸に抱え、結局二人揃ってベッドに沈み込んだ。
 彼が溜め息を吐くと同時に、アスターがもう一度ひどく満足そうに吐息をこぼした。ヴィンセントの背中に回った手は、軽くシャツを掴んでいるだけだったが、とても振り払えそうにない。
 少し寒かったのかもそもそと毛布に埋まりなおし胸に擦り寄ってくるアスターを、いつものように抱きしめる。
 ときどき微かに身じろぎをしているから、眠ってはいないのだろう。ヴィンセントは少女の髪を指先に絡め弄んでいたが、ふと視線を上げて枕元の時計を見遣れば五分はとうに過ぎていた。彼の動きに気付いたアスターが胸元で小さく笑っていて、反撃するべきか悩む。起きたのならベッドを出ればいい。
「ヴィンだって」
 見事に内心を読まれた。居心地がよすぎて彼も起きるに起きれない。
「もうちょっと。まだ、こうしてたい」
「……好きにしろ」
「ありがと」
 やわらかな声で言うアスターに、ヴィンセントも無意識に微笑う。


 それから数分後、急に空腹に気付いたのか、打って変わって潔く起床したアスターに、ヴィンセントは釈然としない様子で付き従っていた。




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