君を手に入れるのはきっと簡単なことだった。蜘蛛の巣のように策を張り巡らせて、何気ない言葉をかけて、助けて、導いて、盲信させて。いつも通り笑っていればいずれ君はボクのもの。
そうやってでも君を手に入れたいと、そう願ったことだって何度もある。その度に頭をよぎるのはあの日一目で恋に落ちた、君の笑顔。

「花ー。お茶淹れてー」
「はあーい…って師匠…。何杯目ですか」
「いいじゃない。師匠のために弟子がお茶を淹れるのは当たり前だよ」
「いいように使われてる気がします…」
「素直で働き者の弟子を持つと幸せだなあー」

ぶつぶつと文句を言いながらも茶器を用意する少女は、記憶にある姿と何ら変わらなかった。再会したときこそ、思わず本当に仙女だったのかと思ってしまったけど、見れば見るほどに平凡な女の子である彼女は、けれどやはりというかどこか不思議な雰囲気を漂わせてこの世界に存在している。

(覚えてない…にしてはおかしいんだよね。まるで初めて会った、みたいな感じだった)

無邪気にボクを師と慕う子。十年前、一度出会っている少女。父が襲われ、自分の命さえ危なかったところに突然と現れた少女は、頼りなさそうに見えながら奇跡を起こす道士として黄巾党を勝利へと導き、そして消えた。

(あまりにも突然いなくなったから、本当にまた会えるとは思わなかったけど)

再会した彼女はボクのことを覚えてはいなかった。それどころかまるで知らない人間を見る目で見上げてくる。それは少しばかり癪だった。

(覚えているのはボクだけ)

夢だったかもしれないと、何度も思い。そのたび彼女に触れたときの温もりを思い出す。光に包まれ彼女が消えたときから、彼女はもうこの世には居無いのだと何度思い込んでも、それだけは忘れられなかった。

(また、消えるのだろうか、)

いっそ現れてくれなければ、と思ったこともある。そうすれば諦められたかもしれない。思い出だけを抱いて、死ぬまで想っていられたかもしれない。それでも彼女が今目の前に居る事実は酷く手放しがたいのだ。

(それならいっそ、消える前に。消えないように)

繋ぎ止めてしまおうか。
帰る気も失せてしまうよう、優しく柔らかく。ぬるま湯に浸からせて思考を遮断して、ただボクの隣で微笑むだけの幸せを与えれば。そうすれば手に入るのだろうか、君は。
例えそれが、恋した君の笑顔ではないものだとしても。
独占的な願いは、一度頭に浮かんでしまえば簡単には消えない。それが出来るだけの知能と狡さがあるから、否定も出来なかった。

(…我ながら醜い執着心だね)

君が微笑むたび、黒く濁った感情が胸に渦巻くときがある。理性を捨ててしまえば彼女を手に入れるのは簡単だろう。
彼女の、優しく無邪気に浮かぶ笑顔を代償に。何よりも愛しいその笑顔を代償に。

(まあきっと、ムリだろうけど)

臆病な自分はきっと、そんなことには耐えられない。貪欲な自分はきっと、彼女全てを欲しいと願うから。何一つ欠けることなく。

(だから結局、手放すしかないんだ)

手に入らないことを知っている。この世の人間ではない彼女を。
いずれ帰ってしまうなら、その時は笑顔で優しく見送ろう。戸惑うようなら背中を押して少しだけ厳しい言葉をかけて、彼女が振り返らないように送り出してあげればいい。

(それがあの子のため)

そして自分のため。

「師匠?」
「んー?」
「お茶、入りましたよ」
「ああ、ありがと。じゃあこれを終わらせたら休憩にしようか。もうすぐ仲謀軍の領地だからね。出来るだけ地理とか、頭に叩き込みなさい」
「うぅ……はい…」

頭を撫でて、その柔らかい髪に触れる。何もかもが幻のような少女。この瞬間すら、もしかしたら夢かもしれないと怯えて時々触れることにすら躊躇うけれど、それでも伝わる温もりはあの日と同じものだった。背負われた時のその背から伝わるものとも、繋いだ手から伝わるものとも、変わらず。

この温もりに安堵して、いずれ手放す少女の幸せを自己満足に願った。
大丈夫だ。きっと笑って手放せる。

やがて訪れる別れの瞬間。
きっと笑って。



(君のいない世界で君を想って生きていくことはさほど苦ではなかった。手に入れられそうな錯覚を起こすこの距離に比べたら)


だから 手放すんだ





title by≫揺らぎ



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