花と捨て猫


―総司、お前は新選組から離脱して療養に専念しろ。

そう土方さんから言い渡され、渋々療養生活を了承した。本当は最後まで近藤さんについて行きたかったんだけど…。
場所を転々とし、今は松本良順先生のつてで、千駄ヶ谷の植木屋にお世話になっている。
この数年は本当にいろんなことがあった。雪村千鶴との出会いを切っ掛けに。
幹部の羅刹化、鬼との遭遇、池田屋襲撃に、新選組の分裂。思い返せば、まだまだたくさんある。
楽しかったこと、嬉しかったこと、苦しかったこと、悲しかったこと。
ぎゅっと詰め込まれた思い出がよみがえってくる。
柄でもなくしんみりしてしまうのは、何もすることなく暇すぎるからだ。
「よし、外へ行こう。」
ひとつ頷くと、身支度を整え、街へと繰り出した。
勿論、誰にも知られないように、だ。
季節は春で、ぽかぽかして過ごしやすい。
街の人たちもこの陽気に誘われたか、往来は沢山のひとで賑わっている。
邪魔にならないよう、端をゆっくりと歩いた。

街の中心から少し離れた所まで来ると、小さな神社を見つけた。折角なのでお参りでもと、境内へと足を踏み入れた。
こじんまりとしたそこは、直ぐに本殿に辿り着いた。人気はなく、ひっそりとしており、往来の賑わいは少し遠くに聞こえる。本殿を囲むように樹々が植えられて、若葉が日の光を浴び煌めいていた。
お参りをしていると、何処からともなく桜の花弁が飛んできた。はらりはらりと僕を誘うように舞い落ちている。
「行ってみようかな…」
折角のお誘いなので、花弁を辿った。
ざりざりと玉砂利を踏みしめ歩いていくと、大きな桜の木が姿を現した。
注連縄が巻かれたどっしりとした幹に四方に伸びた見事な枝振り。そしてたくさんの薄紅色の花。
やさしく吹く風に、枝を揺らし花弁を散らしていた。暫くその綺麗な風景に見とれていた。
「あれ?誰か倒れている」ふと、桜の根元に視線をやると、人が地面に伏せているのに気づいた。
服装からして男だろうか。そっと近づいてみると、その男はばっと体を起こし、僕から距離をとった。
こちらを警戒するよう殺気立つ様子は、毛を逆立てる猫のようだ。
どこで何をしてきたのか着物はぼろぼろ、顔も薄汚れている。
右手はだらりと垂れ、左手は脇差が握られ切っ先がこちらを向いていた。
「来るな!」
蒼い目を吊り上げ、短く鋭くいい放った。顔色は良くなく、それだけでも大きく肩を上下に揺らしているのを観るに、随分と体調は悪いようだ。
「僕は何もしない、というより出来ないよ。」
「『出来ない』?」
脇差の切っ先をわずかに下がり、訝しげに尋ねてきた。
「こう見えても病人でね、刀は振るえないよ。ほら、持ってもいないでしょ」
と言ってから両腕を上げてみせる。
男はじっと観察するように僕を見ていたが、危害を加える気がないのがわかったのか、殺気が消えた。
「どうしてここで倒れていたの?」
そうきくと、それまで吊り上がっていた目がじわりと潤み、顔を俯かせてしまった。
「私は捨てられたんだ…」
ぽつりと消え入りそうな声でいった。

僕はその日、怪我をした大きな捨て猫を拾った。

「『はじめちゃん』、こっちおいでよ。」
手招きすると、素直にこちらへ歩いてきた。
人ひとり分開けてゆっくりと縁側に座った。右手は白い布で肩から吊るされている。無表情のままこちらをじっと見つめた。
「ほら、お饅頭貰ったから一緒に食べようよ。お茶は僕がいれたんだ。」
湯呑みとお皿を間におくと、蒼い目が上下に動いた。
「ありがとうございます。」
無表情のままに礼をいい、お饅頭に手を伸ばした。

『はじめちゃん』は僕がつけた名前だ。あの日、連れて帰ってきてわかったことは、この子が女の子だということ、動かない右腕は骨折していたことだけだった。どんなにきいても名前もどこから来て何をしていたのか頑として口を開かなかった。
蒼い目に黒い髪、そして無表情。無口であまり喋らない。表情も動かないから何考えているかわからなかった。
性別は違うけど、彼女によく似た人物を僕は知っている。
―新選組、三番隊組長、斎藤一。
彼もまた無口で無表情な人だった。やっぱり感情を読み取るのは難しかった。
彼女があまりにも雰囲気がはじめくんに似ていたから、『はじめちゃん』と呼ぶことにしたのだ。
「ほんと、甘味が好きだよね。」
黙々と無表情でお饅頭を食べている『はじめちゃん』だけど、纏う空気が明るい。小花が散っているかのようだ。
ここに来てひとつき、漸くわかるようになってきた。
片腕で上手く着物がきれない時、箸で食べ物が取れない時、苛々すると眉間に皺が刻まれた。
茶碗を割ったり、料理を焦がしたりすると、眉が困ったように下がった。
甘味が好きなようで、渡すとと蒼い目が少し大きくなり、きらきらと輝き出す。よくよく見ると、意外にも表情があるのがわかる。
そんなところもはじめくんに似ていて、思わずくすりと声が漏れた。
「…」
無言で胡乱げな視線を向けられた。
「ごめん、ごめん。」
僕が謝ると、ふいっとそっぽを向かれた。近づいたかと思ったら離れていく。気まぐれな猫のようだ。
お茶を一息で飲みきると、片手を縁側につき、ぎこちなく立ち上がる。それからもう一度屈み、湯呑みとお皿を持って再び立ち上がった。
「ご馳走さま」
そういうと、勝手場へ歩いていった。
「待って、僕もいくよ。片手じゃ洗えないでしょ?」慌ててお盆を持って後を追った。

「総司さん、庭の朝顔が咲きましたよ。」
鈴をならすような可愛らしい声が、僕の名前を呼んだ。
布団から這い出し、障子を開ける。そこには黒い髪を肩口で結った蒼い目の少女が、左手に脇差を握り立っていた。また素振りでもするつもりだろう。
「きれいに咲いたね。」
『はじめちゃん』はこくりと頷く。相変わらず表情は変わらないけど、わずかに口角が上がっている。
彼女の右手はまだ白い布で被われていた。良順先生曰く、完治までには後数ヶ月かかるとのこと。
警戒心の強かった捨て猫ちゃんはすっかり丸くなり、僕のことを『総司さん』と呼んでくれるようになった。でも、未だに名前もここに来るまでのことも教えてくれない。それでもいいと、最近はそう思っている。ずっとここにいてくれるならば。だけど、僕は確実に『はじめちゃん』をおいて逝ってしまう。あの日、『捨てられたんだ』と泣きそうな顔をしていっていたのを鮮明に覚えている。このまま留めておいていいのか、葛藤中だ。
ざり、と土を踏む音がして、『はじめちゃん』が近づいてきた。じっと僕を見上げた。
「私は総司さんに拾われたんです。どこにも行きませんよ。たとえ、貴方が先に逝くとわかっていても。」蒼い目には少しの迷いもない。凪いだ湖面のように穏やかだ。
「二人で沢山の花を見ましょう。ご主人の許可をとって植えたんですよ。」
「何を植えたの?」
そう尋ねると、内緒ですと返ってきた。
「咲いてからのお楽しみです。だから、少しでも長く生きてくださいね。」
そういった『はじめちゃん』はここにきて初めて笑った。

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