宮田明は少なく見積もっても五カ月は家から出ていない。二十歳の誕生日を迎えた五カ月前の一月二四日に、俺も今日から大人の仲間入りだ! これで正々堂々酒が飲めるぜ! と酒を大量に買い込んでそれっきり、アパートの階段を降りることもなくなり、息子は東京の大学で日夜勉学に励んでいるものだと信じて疑わない両親からの仕送りは全て酒に消えた。今ではもう、この部屋を訪れるのはインターネットで注文した酒を届けに来る宅急便屋と、両親からの手紙と共に金を届ける郵便配達員くらいだった。

 梅雨入りしたのだろう、窓越しにザァザァと雨音が聞こえる。五カ月前から干したままの洗濯物に水が染み込んだ。雨かぁ、誰に言うわけでもなく呟く。
「なぁ桐原、雨だってさ」
 マグカップに並々と注いだ麦焼酎を呷り、掠れた声を吐いた。
「利江子ちゃん、やばいんじゃね?」
 だらしなく伸びきった根本の黒い金髪を掻き毟る。痛みきった髪は手櫛すら通さず、無理矢理手を下げると大量の毛束が指の間に絡まっていた。
「あー、そうね」
 スマートフォンを眺めた桐原が言う。
 桐原トオルは宮田の幼馴染だ。同じ田舎に生まれ、小中高と同じクラスで過ごし、大学も同じところに受かり共に上京した。これからも未来永劫、宮田は桐原と親友であるつもりだった。桐原も勿論そのつもりだったし、彼らを隔てるものは存在しないはずだった。
 強い雨が降り続ける。時刻はわからないが、恐らく夕方くらいなのだろう。色とりどりの傘をさして歩く女子高生の集団を部屋の錆びついた窓から見下ろしていた。
「スカート短けぇな。上からでもパンツ見えそうだぞ。死ねクソビッチ」
窓から空になったポテトチップスの袋を投げ捨てて窓を閉めた。

「ちょっと利江子を迎えに行ってくる」
「おう、いってらー」
部屋を出る桐原を見送ってトイレに駆け込む。便器に顔を近付けて吐き出した。飲んですぐの焼酎と黄色い胃液が勢いよく出る。喉を酸が刺激して心地よい痛みが広がる。
「うぇ…」
 隣に設置されていた洗面台でうがいをする。鏡越しに映る自分の歯は何度も吐き出される酸に負けて崩れかけていた。にやりと笑うと鏡の前の彼は涙目で微笑んだ。
 キコキコと錆びついたドアノブが不愉快な音をたてる。ほんの少しの間聞こえた雨音はすぐに遮断され、代わりに二人分の足音が部屋に響いた。
「なんだ、利江子ちゃんもう来てたの、早いじゃん」
とりあえず、こんなものしかないけど飲みなよ。紙コップに氷を入れて梅酒を注ぐ。
「雨、酷かったっしょ?」
「トオルちゃんが迎えに来てくれなかったらびしょ濡れになってたかも」
利江子が梅酒片手に笑う。お気に入りだと前に言っていた淡い水玉のワンピースは濡れていて、雨がどれだけのものだったかを語っていた。
「あれ? 髪染めた? 前茶髪じゃなかったっけ?」
「うん、気分転換しようと思って」
 利江子の細い指が緩いウェーブのかかった艶やかな黒髪を梳かす。胸元まで伸びたそれは雨で湿って普段のボリュームを失くしていた。
「まぁいいけれど」
 三人であたりめを食べながら下らない世間話で盛り上がる。宮田はこの時がたまらなく好きだった。

 ついさっきまで降り続いていた豪雨が止んだ。今まで降っていたのが嘘のような星空が窓の外に広がる。
「じゃあ、私たち帰るね」
「ごちそーさま」
二人は紙コップをゴミ箱に捨てて部屋を出た。
「じゃあ、またな」
 右も左もわからない程酔っぱらった宮田は座椅子に座ったまま壁に手を振った。もう寝てしまおうか。部屋の隅でうっすら埃を被った毛布に包まって瞼を閉じた。

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