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閉じ込めてしまいたい

気が付いたら夢中になっていた。
ポアロの常連客。それだけだった彼のことを、いつの間にか目で追うようになっていた。年齢は少し下か、同い年くらいだろうか。
窓際で座りながら参考書を丁寧に捲る彼の、いつもどこか憂いを帯びた雰囲気。ガラス窓から差し込む光がその透き通るような白い肌を撫でる。同性の自分でも見惚れる程に、彼は途方もなく綺麗だった。
その結果、どこか不思議な雰囲気を持つ彼に、会話をする前から骨抜きにされてしまったというわけだ。
店員という立場を利用して焦らずにゆっくり、じわじわと付きまとった結果、ある日やっと彼からの警戒を解くことに成功した。

「みょうじさん。今日もありがとうございます」
「あ。安室さん、こんにちは」
「勉強ですか?」
「そうなんです。また仕事で必要になってしまって」

いつも居座ってしまってごめんなさい。そう言って彼は申し訳なさそうに笑った。
握っているボールペンの先を軽い音と共に仕舞いながら、気怠そうにしなやかな手足を伸ばす。小さく漏らした欠伸のせいで潤んだその瞳に心臓が勝手に跳ねた。

「…安室さん?」

何も言わない僕を不思議に思ったのか、彼は小さく首を傾げた。
柔らかな琥珀色の瞳に自分が映っているだけでほんの小さな欲望が腹の中で膨らんでいくのを感じた。こちらの考えなんて何も知らないであろう無垢な彼を、無理矢理押し倒して組み敷いてやったらどんな顔をするのだろう。そんなことを、何度考えただろうか。
兎に角、安室透は、みょうじなまえにどうしようもなく惚れ込んでしまっているのだった。


事件が起こったのは、いつものようにポアロに出勤したある日のことだ。
エプロンを付けて店に出た僕の目の前には信じられない光景が広がっていた。
部下である風見と楽しそうに話す彼の姿。閉じられた参考書に両手を置いた彼は、少し前のめりになってその瞳を細めながら、とびきり綺麗な笑顔を惜しげもなく晒していた。
自分が何日もかけて築いた彼からの信頼を、風見は初対面でいとも簡単に手に入れて見せたのだ。正直、土足で踏み入られた気分だった。
部下をここに呼び出したのは確かに自分だったけれど、彼と話せなんて一言も言っていない。

「…飛田さん?」
「ヒッ…」
「あれ、安室さん。今日は出勤時間が遅かったんですね」

思わずいつもよりも低い声が出た。
部下の口から漏れた悲鳴を聞いたのと同時に、持っていたお盆が客の居ないのどかな喫茶店に似合わない歪な音を立てた気がする。ぴんと背筋を伸ばした部下を一睨みしてやると、慌てた様子で眼鏡の位置を直した。
そんな僕たちの様子には気が付かなかったらしい彼は不思議そうにこちらを見上げた。
長い睫毛が持ち上がって、綺麗な琥珀色が真っ直ぐこちらを向く。それだけで少し喉が渇いたような気がした。

「飛田さん、安室さんとお知り合いなんですか?」
「え、あぁ…昔、その…助手を…」
「探偵のですか?…、…へぇ。安室さんの助手だなんて飛田さん、すごいんですね」
「い、いえ…そんなことは」

あからさまに動揺する部下に呆れながら、彼に褒められていることに年甲斐もなく嫉妬した。
両手を振って慌てる風見を見たみょうじさんは口元に手を当ててくすくすとおかしそうに笑う。自分以外に向けられた笑顔にも胸が高鳴ってしまう自分は相当やられてしまっている。

少ししてお手洗いに行くと席を立ったみょうじさんに笑顔を向けた後、僕はすぐに部下に向き直った。

「あ、あの…ふる、…安室さん?」
「彼と、何を話していたんだ?」
「へ…?いや。特に何も…ちょっとした世間話で、それに、自分から話しかけたわけでは…。って、ふ、降谷さん…まさか…」

まさか彼のこと、好きなんじゃ。本当に小さくそう呟いた部下の声は少し震えていた。
その問いに何も言わずに沈黙で答えると、風見の口元がひくりと痙攣したように見えた。
曲がってしまったお盆を手の中で弄びながら、彼の座っていた席に視線を向けた。閉じられた参考書と、使い込まれた文房具。
少しの静寂の後、すぐに彼は帰って来た。
けれどその様子は席を立つ前とは明らかに変わっていて、俯いて不安そうに瞳を泳がせながら、形の良い唇をぎゅっと噤んでいた。
そっと名前を呼ぶとその肩があからさまに跳ねる。

「みょうじさん…?どうかしましたか?」
「あ、あの…突然こんな事、失礼かもしれないんですけど…。探偵であるお二人にお願いしたいことが…あるんです」

唐突に切り出されたその会話に、僕たちは自然に目を合わせた。
ただならぬ雰囲気を感じ取った僕が頷いて見せると、風見は神妙な面持ちでみょうじさんに向き直った。
幸い、お客さんは他に誰もいないので、ゆっくり話を聞くことができそうだ。
その場に屈んで、俯いた彼の顔を覗き込む。
今にも泣いてしまいそうな表情の彼と目が合って、思わず喉から変な音が出そうになった。
潤んだその瞳は、まるでとろけた蜂蜜のようだった。

「みょうじさん。何かあったんですか?」
「最近、誰かに見られている気がして」
「誰か…ですか?」
「実際には見てないですし、よく分からないんですけど、そ、その…外で…」

所謂、ストーカーというやつだろう。
男にしては華奢な体、綺麗な琥珀色の瞳を囲む長い睫毛に、柔らかそうな茶色の髪。そして、どこか儚げなその雰囲気に引き寄せられた奴が自分の他にもいたということ。そしてそいつは、今まさに彼を困らせていて、その上怖がらせている。
どうするべきか考えながら顎に手を当てていると、部下がすごい勢いでこちらを見たのが分かった。
僕をストーカーだと疑っているのがその視線であからさまに伝わってきて、憎たらしいその足をテーブルの下で軽く蹴ってみればその背筋が一気に伸びた。
今はそんなおふざけに付き合っている暇はない。
みょうじさんは、僕らのやり取りに気が付かずに自身の片腕を小さく擦りながら、不安げに俯いたままぽそりと呟くように続けた。

「夜が多いです。仕事の帰りとか、誰かに後をつけられているような気がして…」
「…警察には?」
「いえ。確信はないですし…何もされてない。それに…俺みたいな男が、そんなこと言っても信じてもらえないかなって…」
「…なるほど」

僕らに悩みを打ち明けるその声は少し掠れて、震えていた。
オレンジ色の夕日が儚げな彼を照らす。繰り返し染められたせいか少し痛んだ髪の毛が空調で揺れる、その様子すら愛おしい。
だからいつも穏やかな彼を苦しめている見たこともない誰かが憎らしくて仕方がない。
僕らが真剣に考える間も、他の客がドアベルを鳴らすことはなく、誰もいないポアロは重苦しい空気のまま静まり返った。
やがて、その静寂を打ち破ったのは他でもない、彼自身だった。
彼は不安そうに揺れたままの瞳を細めて下手くそに笑った。夕焼けを取り込んだ琥珀色が艶めいて見える。

「困らせてごめんなさい。やっぱり、忘れてください」
「えっ?」
「俺の気のせいかもしれないですから。毛利小五郎のお弟子さんに迷惑かけられないですよね。何かあったらまた相談することにします」
「何かって…!」

確信が無いからと言って、「何か」あってからでは遅い。
そう思ったのは僕だけではなかったようで風見が少し声を荒げた。
腰を浮かせて怒鳴ろうとする風見を手で制すと、眼鏡の奥の瞳が信じられないと言いたげに見開かれた。放っておくのかと言いたげに。
何を勘違いしているのかわからないが、見放すつもりは全くない。
惚れた相手がこんなに悩んでいて、放っておけるわけがなかった。

「分かりました」
「…はい。急に変な事言ってごめんなさい」
「っ…安室さん!」
「とにかく、今日は家まで送らせてください。この後、予定はないですか?」
「え…?はい。で、でも…」
「コーヒー。淹れ直してきますね」

彼の前に置かれた、すっかり冷めてしまったコーヒーを見ながら、安心させるように完璧に笑って見せる。
強がってはいたけれどやはり怖いことに変わりはないようで、強張っていた彼の表情が少し和らいだ気がした。帰るときに1人じゃないというだけでも幾らか安心できるのだろう。
キッチンの方へ歩いていくと、慌てた様子で席を立った部下が後ろをついてくるのが分かった。
作業をする僕と向かい合うようにカウンターに座った風見は、前に屈んで顔を近づけると、僕にしか聞こえない声量で話し始めた。

「降谷さん…自分も行きます」
「…、…分かった」
「…彼に、何もしないでくださいよ」
「は…?なんだって?」

彼と2人きりになりたかったわけではないと言ったら嘘になる。下心は当然あった。だから、風見からの申し出にたっぷりと時間をかけて返事をした。
それからしばらく経って、同じように時間をかけて発せられた思いもよらない部下の言葉に思わず手元から顔を上げる。
すると、少し呆れたような、でも真剣な表情と目が合った。

「みょうじさんを見ている時のご自分の顔、見たことありますか?せめて店ではしっかりしてください。女性ってそういうの結構気が付きますよ?」
「…あ、あぁ。そうだな」

返事をしながら視線を移したのは、少し薄暗くなった外の景色。日が落ちるのがすっかり早くなった気がする。
窓ガラスにうっすらと映った自分はいつもと変わらない顔をしていた。

「そんなことに気が付くのは、君くらいだ」

小さく呟いた声は、彼の向かいの席に戻っていく部下の耳には入っていなかったようだった。