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丸くて、四角い

夜、1人で食器を洗っていた俺の耳に届いたのはドアの鍵が回る音。
今回も長かったな。
久しぶりに聞いた恋人の帰りを知らせるその音に、急いで水を止めるとタオルで手を拭った。
それから、慌てて部屋に戻ると鏡に向かって髪の毛のチェック。
見られても問題ないことを確認した俺は、恐る恐る玄関を覗き見た。

「おかえり」
「ただいま…なまえ」
「大丈夫か?今にも倒れそうだけど」

今回も大分疲れて帰って来た彼は、俺の姿を見るなり力が抜けたのか、眉間に皺を寄せたまま微笑む。
顔色が悪い恋人の方にぺたぺたと裸足で駆け寄っていくと、その目の下に隈が浮かんでいるのがはっきりと見えた。
また無茶をしてきたのだろうか。本当に倒れてしまわないか心配だ。

「なまえ」

不安でうつむいていると不意に名前を呼ばれたので慌てて顔を上げる。
俺の表情から考えていることを悟ったのか、彼は俺の頭を数回撫でてからこちらに向かって両腕を広げた。
困ったみたいな笑顔のまま。
抱きしめろということだろうか。首を傾げながら、目の前で構える恋人の方に手を伸ばす。
けれどそんな俺よりも早く動いたのは向こうのほうだった。
力強く背中にまわされた彼の腕に思い切り抱き寄せられて、不意打ちに思わず息を呑む。
心臓が一瞬止まったかと思った。
目を見開いて固まる俺の意識を戻したのは、大きく鳴り響いた、彼の鞄が床にぶつかる音。

「っ!…っ…!」
「…すまない」

外にいた恋人の冷たい体が、室内で暖まっていた俺の体を冷やしていく。
怒ろうにも声も出せない俺に先に謝った恋人は、抱きしめる手に力を込めた。
更に密着した体からゆったりとした鼓動が伝わってきて、緊張していた体から力が抜ける。
寒いけれど、安心する。

「びっ…くりしたんだけど…」

ふわりと、冷たい空気に混ざって何度嗅いでも慣れない香りがした。
いつも恋人は仕事の後、煙草の匂いを纏って帰ってくるのだ。
あまり好きではないその香りを自分の匂いで消してしまうように、相手の胸に頭を擦り付けると、小さい子供をあやす様に何度か頭を撫でられた。

「怒ったか?」
「別に…い…いいけど…」

本当に申し訳なさそうなその声を聞いていたら、なんだか怒る気も失せてしまった。
頭を撫でるその手に擦り寄ってみると、動きが一瞬だけ止まった。
きっと、相当疲れているのだろう。
普段は恥ずかしがって向こうから触ってくることなんてあまりないし、たまには少しだけ甘えてみるのもありだと思った。
風呂上がりで少し湿った俺の頭を撫でていたカサついたその手が、時折首に触れる。
それがなんだか落ち着かなくて、鼓動がまた少しずつ早まっていく。
大人しく抱きしめられていると、何を思ったのか急に俺の服をたくし上げようとする恋人の手に驚いて、慌ててその手を掴んだ。

「こら…そこまでは許してない」
「なまえ…」
「ちょ、…ちょっと…待って…っ…」

疲れて掠れた低い声で呼ばれて、耳朶を指で擦られる。
恋人の口から、甘えるみたいに何度も紡がれる自分の名前。
強く抵抗できないし、それになんだか恥ずかしい。
いつも俺に迫られて恥ずかしそうにする恋人の気持ちが少しだけ分かったような気がする。

「裕也…やめ、」

伸ばした手はすぐに掴まれてしまって、大した抵抗にはならなかった。
そんな俺を見ていた恋人は一つだけ息を吐くと、俺の肩に頭を乗せた。
照れて赤くなっているだろう首筋の匂いを嗅がれながら、シャワーを浴びておいてよかったなんて現実逃避。

「ダメか?」
「え…ぁ…えっと…」

不意に目を逸らせば、さっき投げ出された鞄が静かに床に倒れながらこちらに主張している。
真剣な恋人から目を離した俺の行動が気にくわなかったのか、彼の指が再び俺の首筋を撫でるので、喉から変な音が漏れてしまった。
先程まで少しだけ冷えていた体がじわじわと足先まで熱くなっていく。
せっかく整えた髪の毛はとっくに乱れてしまっているだろう。

「ゆ、ゆうや!」
「…っ…、…」
「今日はもう寝よ。な?ほら、戸締まりもしてさ」

牽制のために大きな声を出すと、恋人の動きが止まった。
熱を持った頬を誤魔化すように何度か首を振った後、慌てて彼の体越しに玄関を見る。
すると既に鍵のかけられたドアが目に入って、伸ばしていた手に行き場がなくなってしまった。
いつの間に鍵なんて。
疲れているはずなのに、こういう所はしっかりしていて、真面目で。そんなところが好きで。
呆けていた俺の体が再び彼の腕の中に戻されたのは、それからすぐのことだった。
視界いっぱいに、真剣な顔。

「あ…わかったよ…今日は俺の負け」
「…」
「…でも、キスまで…だから」

それは、いつも俺に甘えられた恋人が放つ最後の抵抗。必殺技。
この言葉に弱い俺はすぐに折れてしまうのだけれど、こいつはどうだろうか。
一瞬だけ反らしていた目を恋人の方に向ける。
するといつもの仏頂面が少しだけ柔らかくなっているような気がして、嬉しそうなその表情にまた頬が熱くなっていくような感覚がした。

「え…なに。キス、したかったの?」
「…ん」
「なら初めからちゃんと言ってよ」

無言だとなんか恥ずかしいじゃん。
拗ねたように唇を尖らせていると骨張った手が頬を撫でて、親指で下唇を押される。
不意にその指に自分の舌先が触れて、俺は慌てて舌を引っこめる。
心臓がはち切れそうなほどせわしなく動いて、煩くて仕方ない。
相手から迫られるのが恥ずかしいからいつも自分から甘えているなんて、格好悪いから悟られたくないのに。

「キスしていいか?なまえ」
「いちいち聞かれるのも…なんかヤダ…」

もう、自分でも何を言っているのかよく分からない。
どんどん熱くなっていく顔を隠すために手の甲で口元を押さえた。
それを見た恋人は一瞬だけふっと微笑むと、優しく俺の手首を掴んで顔を覗き込む。
それから熱くなった頬に温かい手が添えられて、逸らしていた視線が重なって、それがいやに恥ずかしくて。
ゆっくりと近づいてくる真剣な恋人の顔を見ていられない。
早く、終わって。
そう強がりながら思い切り目を瞑ると、煩い心臓の音と2人分の息遣いだけが耳に届いた。

「ぅ、ん…っ」

乾燥した恋人の唇が自分に重ねられた途端、体が大袈裟に跳ねる。
それも恥ずかしくて仕方がなくて、今すぐに消えてしまいたくなった。
後は恋人に気付かれなかったのを祈るだけ。
スーツを思い切り握りしめた手の感覚が少しずつ無くなっていく。
思ったよりも柔らかいその唇が、くっ付いたままなかなか離れてくれない。
俺の願いとは裏腹に終わらないその行為は体の感覚を鈍らせていくようだった。
呼吸の仕方も忘れてしまったような、なんだか苦しい感じ。

「…?大丈夫か?」
「…え…ぁ……」

恋人の声で現実に戻された。
いつの間に終わっていたのだろうか。唇には未だに先程までの感触が残っている。
しばらく呆けていると、心配そうにこちらを覗き込む恋人の顔。
今更好きな人からのキスで緊張するなんて、子供みたいで恥ずかしい。
なんだか目を合わせられなくて、視線を逸らしながら慌てて口を開いた。

「大丈夫!大丈夫!さ、今日はもう寝よ!」
「え…でも…」
「裕也疲れてるでしょ!ほら、」

恋人に向かって両手を振ると、床に落ちている彼の鞄を素早く拾った。
こんな恥ずかしいことは終わらせて、さっさと眠ってしまおう。
戸惑いながら付いてくる彼を着替えさせてベッドに押し込むと、自分も一緒に潜り込む。
まだ温まってない布団が嫌で、恋人の方に自分の足先を近づけた。
するとすぐに恋人の両腕に後ろから抱きしめられて、再び俺達の体が密着した。

「おやすみ、」
「ぇ、あ…う…」
「なまえ?」

口から盛れるのは意味もない単語。
いつもの癖で同じ布団に入ってしまったけれど、別で寝た方が良かったのではないか。
せわしなく動き続ける心臓は、今にもはち切れてしまいそうで、煩くて。
こんなの、いつもの自分ではない。
何故だろう。うまく周りの音を拾うことができない。

「あの…疲れてるだろうし、俺やっぱり自分の部屋に…」
「…このままで構わない」
「うん…そっか…」

俺が構うのだけれど。
掠れた彼の声が鼓膜を揺らして、それ以上何も言えなくなってしまった。
無意識なのか、俺を捕らえた恋人の腕に強く強く抱きしめられる。
そんなにしなくても、もう逃げないのに。
俺を抱きしめたままの腕をそっと握り返す。
フローリングを歩いて冷えた足先は、いつの間にかすっかり温まっていた。
結局、抱き枕にされてしまった俺は大好きなぬくもりに包まれながら、眠れない夜を過ごすのだ。