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瞬く間の幻想

風呂から上がった俺が部屋に戻った時に聞こえてきたのは、最近よく耳にするニュース。

怪盗キッド。
定期的に世間を騒がせるそいつは、今回も大きな宝石を狙って予告状を出したらしい。
テレビから聞こえてくる情報によれば今夜現れる予定のようだ。
そういえば、同僚の女の子達が話していたかもしれないな。
頭から滴る鬱陶しい水滴をタオルで拭いながらコップに入った麦茶を飲み込んだ。
それから、テーブルの上に置いてあった煙草とライターを持ち上げる。
それを咥えながら火を灯した俺は乱雑にカーテンを開きながらベランダに続く窓を開けた。
勿体ぶるようにゆっくりと煙を吐き出した俺の視界には、零れ落ちてしまいそうなほどの星空。
それぞれが一番だと主張するように瞬く星々の中で、ひときわ目立っている大きな満月が眩しいほどの夜だった。

「…怪盗…ねぇ」

煙と共にため息も吐き出した。
いくらテレビや新聞で取り上げられていたって、怪盗なんて非現実すぎて一般人の俺には信じることができない。
こんなに静かで綺麗な夜に、俺に見えないところで一体何が行われているというのだろうか。
同僚の子達が言っていたように、確かに怪盗なんて格好良いし憧れる。
けれど、いつの間にか捻くれた大人になってしまった俺は素直に楽しむことができなかった。
足だけベランダに出して、フローリングに腰を下ろした。
空を見上げながら何度も煙を吐き出す。
辺りを漂っては飲み込まれるように消えていく煙すらも幻想的に感じてしまって、らしくないことを考えてしまった俺は静かに首を振った。

「…疲れてんのかな」

煙草を灰皿に押し付けながら目を瞑る。
最近仕事詰めだったからな。たまには自分を可愛がってやらないと。
冷蔵庫にビールがあっただろうか。なかったら今から買いに行ってもいいかもしれない。
いつの間にか、髪の毛から雫が落ちてくることはなくなっていた。
煙草、まだ残っていたのに消してしまったのは勿体ないことをしたかもしれない。

「はー…疲れたな…」
「こんばんは、お兄さん」
「…へ?」

下を向いていたせいか、咄嗟に反応することができなかった。
声を掛けられて慌てて顔を上げた俺の視界は、一言で表すと眩しいくらいの白。
綺麗な夜空をまるであざ笑うかのようにそこに佇んでいるそいつは、満天の星々を背にこちらを真っ直ぐ見据えていた。
風に舞うマントは空を泳いでいるかのよう。

「初めまして」
「え…ぁ…」
「…、…ここで、少しだけ羽を休ませていただきたいのです」

肩にかけていたタオルがフローリングに落ちていくのも気にならなかった。
声も出せずに動揺する俺を前に、手すりから音もたてずに降りたそいつは腰を折って優雅にお辞儀をしてから、流れるような動作で手の中から一厘の薔薇を出した。
何もない所から出てきたそれに息を呑む。
思わず受け取ってしまった俺に向かって、彼は満足そうに笑った。

「怪盗…キッド」
「こんな素敵な夜に、お兄さんみたいな綺麗な方とお会いできて嬉しいです」

そう言いながら、彼は俺に整った顔を近づけた。
ここは、本当に現実なのだろうか。
真っ暗な夜の幻想的な星々も、それに溶け込むことのない真っ白なこいつも。
手の中に納まっている綺麗な花だって、まるで夢でも見ているかのようだった。
なにより、急に目の前に現れたこいつを綺麗だと思ってしまっている俺が一番現実離れしているのかもしれない。

「お兄さん、お名前は?」
「教えない」

吐息もかかるほどすぐ近くにある整った顔に、挑戦的に笑いかける。
するとモノクル越しにこちらを見つめていた瞳が見開かれた。
一目見た時から目が離せない。満天の星々に囲まれた彼の、宝石のように輝く瞳。
やがてその瞳が細められると、まるで溜めきれなかった輝きがあふれ出していくかのように眩しく瞬いて見えた。

「秘密」
「そうですか。それは残念」
「怪盗なら、調べてみれば?」

怪盗がそんなこと出来るのかは知らないけれど。
まるで生き物のように空中を動き回っていたマントが途端に大人しくなった。
それと同時に手袋のはめられた手がこちらに伸びてきて、その指が俺の顎を固定する。
熱の籠った視線に対抗するようにこちらも真っ直ぐにその瞳を見つめた。
しばらく無言のままで見つめ合っていると、向こうが降参だとばかりに両手を上げてゆっくりと離れていった。

「私が怖くはないのですか?」
「…別に、綺麗だよ」

そう言いながら、もう一度煙草に火をつける。
すると少しだけ息を呑むような音が聞こえてきて、思わず少しだけ笑ってしまった。
ポーカーフェイス、崩れてるぞ。
吐き出した煙は先ほどと同じように漂っては消えていった。
本当に綺麗だ。夜空も、目の前のこいつも。
しばらく佇んでいたそいつは俺の前に片膝をつくと、俺の手を優しく持ち上げた。

「…またお会いしましょう。素敵なお兄さん」
「別に…、…いや…うん。そうだな。お前が来てくれるなら」

目を逸らして呟いた俺の返事に満足そうに微笑んだそいつは、持ち上げていた俺の手の甲に一つだけキスを落とした。
そしてこちらの反応を見ることなく夜空を泳いでどこかに消えていく。
まるで夢のような、日常に潜む幻想は俺の前から姿を消した。
手の甲に残る柔らかい感触と頬の熱さだけが、これが現実だとこちらに知らしめているようで。
その日を境に満月の夜限定で行われる、怪盗との秘密の逢瀬が始まったのだ。