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時間はいらない

「兄さん!兄さん起きてよ!」
「ん…」
「もう…仕事だから起こしてって言ったのは兄さんじゃないか。僕はもう知らないぞ」
「…なまえ?」

ベッドの上で転がった兄さんの肩を揺らす。
僕の声にうっすらと目を開けた兄は、ぼんやりと起き上がると微睡みながら目を擦った。
いつもは仕事もできて真面目でかっこいいのに、僕の前ではだらしない兄にため息を吐いた。
今日だってそうだ。
ここはいつも住んでいる俺たちの家ではなくて、兄が今の仕事をしやすいからと個人的に一時借りているマンションだった。
たまに部下の人も出入りしているようで。
僕のことは家に置いていけばいいのに、簡単な仕事だからといくら言っても聞かなかったのだ。

「まったく…」
「なまえ、おはよう」

一人で憤慨している僕に気が付いた兄が、ふにゃりとだらしなくこちらに笑いかけた。
それが可愛くて思わず怯んでいると、大きな手が頭に伸びてきて優しく撫でられる。
僕は大体これでいつも丸め込まれてしまうのだから、兄弟揃ってどうしようもない。

「…っ、おはよ。…僕も今日学校あるから、もう支度するね」
「ん…送ってく」
「いいよ!部下の人待たせてるんじゃないの?困らせちゃだめだからね」

そう言うと、返事も待たずにドアを閉めた。
もう僕だって大学生だし、成人もしているのにいつまでたっても過保護が抜けない兄が心配だった。
そりゃあ、僕も兄さんのことは大好きだし、自慢だし。
できることなら一緒に居たいけれど、兄の邪魔になることはしたくない。

「早めに着替えるか」

寝間着から私服に着替えるために、ズボンを下ろした。
上も脱いでしまおうとボタンに手をかけたところで、部屋のドアが開く。
やっと兄が起きてきたのかと思って視線を移すと、そこにはスーツを着た知らない男の人が立っていた。

「降谷さん…遅いので迎えに…は、」
「…え?」
「…っ、し、失礼しました!」

男の人は、見ていた腕時計からこちらに視線を合わせて一瞬固まった。
同じく驚いて固まったままの僕をゆっくりと確認すると、サッと顔を青くしてすぐに部屋から出ていってしまった。
恰好からしておそらく兄さんの部下の人で、兄に呼ばれて入ってきたに違いない。
もしかしたら、もう出かけないといけない時間なのかもしれない。
僕は急いで着替えると、その人を追いかけるために慌ててドアを開けた。

「あ、の!」
「あっ…すみません!これは…決して…わざと覗いたわけでは…」
「…?」

声を掛けると、大袈裟に驚いた男の人は俺を視界に入れて気まずそうに視線を彷徨わせた。
すごく慌てた様子を見て、こちらも少しだけ動揺する。
男の体なんて見慣れているだろうし、着替えに鉢合わせただけでこんなに慌てるはずはないだろう。
だとしたら過保護な兄のことだ。
もしかしたら部下の人に対して、弟に近づくなとか言って脅しているのかもしれない。

「気にしなくていいんですよ。そんなのいつものことで慣れっこですから。」
「いつも、…!?…慣れっ!?」

男の人は俺が口を開くと赤くしていた顔を一転、少しだけ複雑そうな顔をしてこちらを見た。
短くて黒い髪の毛に、メガネをかけたその男の人はきっと仕事もできるのだろう。
その真面目さが雰囲気で伝わってきて、兄に無茶させられていないか心配になる。
こんなところで僕と話していていいのか疑問に思って首を傾げると、突然両手を掴まれた。

「ダメだよ。もっと自分を大切にしないと」
「え…?何…言っ」
「ところで、君は…?ここは降谷さんの…」
「あっ、降谷零は僕の兄です。降谷なまえです。いつも兄がお世話になってます」
「兄妹!?」

ぺこりと頭を下げた僕と兄の関係を聞いた男の人は、今度はみるみる顔を青くしていく。
思ったよりも表情が豊かで楽しい人だ。
この反応からして、兄は弟がいることを部下に話していなかったのだろう。
それで、この家に僕がいるのを見て驚いたのだ。
悪いことをした。すぐに謝らなければと思って、口を開いたところで男の人の大きな声に遮られた。

「あ、の…すいません。僕…、」
「さっきは何も見てません!決して裸なんて…!」
「…風見…?」
「…ひっ」

どうにも会話が噛みあわない。
不思議に思って男の人の顔を覗き込んでいると、兄が寝ぼけながらゆっくりとこちらに歩いてきた。
手を繋いだままの僕たちに気が付くとぴたりと動きを止める。
そして綺麗な笑顔を張り付けた兄は、低い声でおそらく男の人のであろう名前を呼びながらその肩を掴んだ。
「詳しく話してもらおうか」そう言いながら僕たちを引きはがす兄を見た風見さんの顔を、僕は一生忘れないと思う。

「…それで?覗いたのか?」
「いえ…決してそのようなことは…」
「もういい加減にしなよ兄さん。仕事あるんでしょ?僕も学校だし」

風見さんに笑顔で詰め寄る兄に必死でしがみつく。
男同士で裸を見られたところで何か減るものでもあるまいし、そんなに怒ることないのに。
がっしりとした腕を引っ張りながら、本当に過保護で困ったものだと思った。
こんな真面目な部下を困らせるなんてとんだ上司だ。

「なまえ、俺じゃなくてこの変態の味方をするのか?」
「変態!?」
「兄さん僕そろそろ怒るよ?…風見さん、兄が本当にすみません」
「なまえさん…!」

風見さんと兄の間に割って入って、両手を広げた。
後ろから風見さんの情けない声が聞こえてきて思わず笑いそうになる。
大きな大人の男二人に挟まれて何をやっているのだろうか。
腰に手を当てて怒っていると、僕には弱い兄がみるみる自信を無くしていき、しゅんと大人しくなった。
少しだけかわいそうだったけれど、ここで甘やかしたらまた同じことの繰り返しだ。

「わかったら、早く着替えて来る!」
「…わかった」

あまり納得していない様子の兄が着替えに行くのを見送った僕は、風見さんをソファーに座らせた。
結果的に、くだらない兄弟喧嘩に巻き込んでしまった。
風見さんには後でなにかお詫びしないといけないな。
テーブルにお茶を置いて、横に腰を下ろすとこちらを見た風見さんが少しだけ気まずそうに視線を彷徨わせた。

「兄がすいません」
「いえ…でも、降谷さんに高校生の妹さんがいるなんて知りませんでした」
「…は?」
「え…?」

一瞬、何を言われたのか理解できなくて口から低い声が漏れる。
彼のその言葉は僕の地雷を完全に踏み抜いた。
兄と同じで童顔なだけならまだしも、女の子のような自分の顔は完全にコンプレックスそのもので。
怒りで思わず兄と同じように笑顔を張り付けた僕は、風見さんの手を握った。
そのまま混乱する風見さんに詰め寄るとゆっくりと口を開く。

「僕、男なんです。もう成人した」
「えっ」
「何なら、試してみますか?」
「…っ…」

思わず、意地悪な言葉が口から出てきた。
上司の弟に手なんか出せるはずもないのに、怒りに任せて行動する自分は兄と変わらないではないか。
試すなんて決してそんなつもりはないのだけれど、口から意味のない言葉を漏らしながら焦る風見さんを見ていたらすこし面白くて止められなくなってしまった。
けれど、試してみるという僕の言葉を聞いた風見さんはそれまで慌てていた顔を一転、真剣な顔つきになって眉間に皺を寄せる。
そして逆に僕の手首を掴むと、そのまますごい力でソファーに押し倒した。

「っ…わっ!?」
「成人しているとはいえ、こちらから見れば君はまだ子供だ。軽々しくそんな言葉を使ってはいけない」
「か、ざみさん…」
「自分を大切にしなさい」

真っ白な天井と、真面目な、大人の顔をした風見さんだけが視界に入る。
本当にさっきまで兄に怯えたり、僕の着替えを見て慌てていた人なのだろうか。
真剣にまっすぐこちらを見る風見さんの顔から目が離せない。
とても正義感が強いのだろう。きっと今の仕事は天職にちがいない。
すごく格好いいと思った。
兄とはまた違った格好良さ。
急に心臓がうるさくなって、じんじんする後頭部をソファーにぐりぐりと押し付けた。

「世の中には、良い大人ばかりじゃないんだ。…わかった?なまえくん」
「…うん…わかっ、た」
「…いい子だ」

なんとか紡ぎ出した俺の返事を聞いた風見さんは、優しく微笑むと僕の頭を撫でた。
困ったように眉を下げて笑うその笑顔が、目に焼き付いたみたいに離れなくなりそうで。
少しだけ視線を逸らした僕は、そこに兄の姿を見つけた。

「……風見?なにをやっている」
「…ふ、降谷さん!?違うんですこれはっ!」

頬が、熱い。
ぼんやりとしたまま風見さんに視線を戻すと、俺達の姿をその視界に入れた兄は、がっしりと彼の肩を掴む。
体から彼のぬくもりが離れていった後も僕はそのままソファーに体を預けた。
…どうしよう。
心臓が煩くて、周りの音がうまく耳に入ってこない。

「何が良い大人ばかりじゃないだ!悪い大人はお前だろ!」
「すみません!違うんです!」
「人の大事な弟に手を出したんだ。覚悟はできているな?」
「ひっ…」

両手で火照った頬を挟んだ。
この感情を僕は知っている。…でも、今会ったばかりなのに。
視線だけ彼に目を向けると今度は激怒した兄を前に、格好悪く腰が引けている状態だった。
情けない姿に思わず頬が緩む。
僕は格好悪くて格好良い、悪い大人に恋をしてしまったらしい。
どたどたと駆け回る音と、煩い声を聞きながら諦めたように目を瞑った。

それから時計を確認した僕が飛び起きるまで、あと少し。