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ある日から、俺はポアロにごくたまに顔を見せる男の人がいることに気が付いた。
その人は店に入ると、カウンターの端に腰をおろしていつもどこか遠くを見つめながらコーヒーを飲んでいた。
大人の魅力というやつだろうか。
同じ無表情でも彼からはなんだか色気のようなものが漂っていた。
俺が男の人の存在に気づいたのは、その真っ黒な格好のせいだった。
本当に全身真っ黒で、明らかにこの店の雰囲気とは逸脱してしまっているように思う。
こういう男の人はオシャレなバーがお似合いなのではないだろうか。

どうやら、その男の人は彼と知り合いらしい。
彼はいつも男の人の存在に気が付くと、いつもの柔らかな物腰なんてどこかに忘れてきてしまったかのように鋭い目つきと大きな声で男の人に食って掛かっていた。
男の人は「赤井」というらしい。
いつも彼は赤井さんの名前を大きな声で叫んで、出ていくように言いながら睨むのだ。
仲が悪いのだろうか。とか、あの優しい彼をこんなに怒らせるなんてこの人は一体何をしてしまったんだろうとか、いろんなことを考えたけれど彼のこんな大人げない姿はこの赤井さんにしか見せていないというのも事実であった。
彼を相手にしている男の人も少しだけうっとうしそうにしていたけれど、それでも何度もこのお店に足を運んでいたのだ。

この二人を見ていると、なんだか胸がズキズキと痛んだ。彼がどんなに女の人と楽しそうに話していても何も感じなかったのに、この男の人を見ているともしかしたら自分にもチャンスがあったのではないかなんて本当に本当に馬鹿な考えが浮かんでしまうのと同時に、この男の人に完全に敗北している自分の姿にも気づいてしまうのだ。


その数日後、俺は今日もポアロに足を運んで、いつものように店に入っていくはずだった。

「あ……」
入ろうとしたポアロの前には、「赤井さん」が立っていた。
彼は俺の存在に気づくと、その緑色の鋭い瞳でこちらを見据えた。
小柄な俺とは対照的に背が高くて筋肉のある彼に見下ろされると、怖くて怖くてたまらなくなった。
鋭い瞳に睨まれて、俺は動くことが出来ない。なにか気に食わないことをしてしまったのだろうか。

「……ひっ…」
「……、きみは…」
突然、彼に手首をつかまれた。
俺の細い腕なんかすぐに折られてしまいそうだった。
俺は怖くてたまらなくて、喉を引きつらせる。拒否することはできなかった。

「おい!赤井!店の前に立つな。他のお客様に迷惑だろうが……は、…」
「あぁ、すまない。」
「森山くん!?おい!貴様なにしてるんだ!今すぐその手を離せ!!」

俺が怖くて震えていると、キラキラの彼がお店の入り口から顔を見せたかと思うと、男の人に食って掛かった。
俺なんて見えていないかのように目の前でやり取りが繰り返されて、俺はもういっぱいいっぱいだった。
そういえば、他人に触れたのなんていつぶりだろうか。

「森山くん!?!?」
「……っ……」
突然男の人が俺の手を掴む力を緩めたのと、彼が驚いたような声をあげたのは同時だった。
二人は俺の顔を見て目を見開いて驚いているようだ。
自分の頬に触れてみると、はらはらと涙が出ていることに気づいた。
自分が泣いているなんてまったく実感がわかない。
今までためていたものが容量を超えて堪えきれなくて自然にあふれてしまってきたかのように、ただただボロボロと涙が出てきた。

「……っ、す、すいません。今日は…帰りま、す。」
俺は男の人の手を振り払うと、必死になって来た道を帰った。

「森山くん待って!おいっ貴様一体彼に何をしたんだ!!」
そんな彼の声が遠くから聞こえたような気がした。


それから、俺は何日も家にこもった。
涙が止まらなかったのだ。自分でもどうしてこんなに泣いているのか全くわからなかったし、気持ちが落ち込んでいるというわけでもないのにただただ涙が流れてきて止まらなかったのだ。
もしかしたら、目の前で彼と男の人が仲睦まじく話しているのを見てしまって完全な敗北を感じてしまったのかもしれないなんて他人事のように考えた。

それでも俺の中の彼を一目見たいという気持ちは変わらなかったようだ。
あれから涙が止まったはいいものの自分のひどい顔を見てなかなか外に出ることができなかった。なんとか泣きはらした目を冷やして俺はとても久しぶりに、まるで何年も彼に会っていなかったような気持ちでポアロに足を運んだ。

今日もあたりだった。彼はお店で女性にその優しい笑顔を向けていた。
彼の前で泣いてしまったことが少しだけ恥ずかしかったけれど、もう俺は気持ちの整理をつけていたのだ。
店員と客でいい。そう思ったのは俺の方じゃないか。そう自分に何度も言い聞かせた。


いつもの特等席。そこに腰を下ろすとくらり、とめまいがするのを感じた。
そういえば今日はなんだか体が重たい気がしていたのだ。
俺はこの感覚を知っている。
いつもご飯を食べなかったときに倒れる前の感覚だった。
思い返せば涙を止めるのに必死で食事なんてしていなかったかもしれない。
まずい。と思った。
ここで倒れてしまったら彼に迷惑がかかる。せめて外にでなければ。
そこまで考えた俺は必死に荷物を掴むと店を出るために重たい足を懸命に動かした。
しかしどうやら遅かったようで、その途中で俺の体は重力に従ってお店の床に倒れた。

「キャー――!?」
「っ…!?森山くん!?おい!!どうした!」

お客さんの叫ぶ声やお皿が床に落ちる音、そして大好きな彼が自分の名前を叫ぶ声が聞こえた。
彼は俺の体を抱き起すと、何度も何度も俺の名前を呼んだ。

「森山くん。しっかりしろ森山くん!」

そういえば、彼はどうして俺の名前を知っているのだろうか。という今更な疑問がでた。
不安そうな彼の顔が、少しずつかすれていく。

ほらね、やっぱり俺は彼を笑顔にすることなんてできないんだ。
そんなことを思いながら俺は意識を手放すのだった。