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極彩色の音


「えっ…遊園地?」

少年探偵団の皆に突然呼び出された、いつもと変わらない様子のポアロの店内。
思いもよらない単語を聞いた俺は、口を付けようと持ち上げたコーヒーのカップもう一度皿の上に戻した。
カチャリと控えめに鳴った音が頓狂な俺の声に掻き消される。
少し伸びた前髪に触れながら前を見ると、テーブルを挟んだ向こう側でこちらを見つめる、子供特有のくりくりとした大きな瞳。
すぐ隣に座るコナンくんはそんな必死な様子の皆を見て、大きなため息を惜しげもなく吐き出した。

「博士が連れていってくれるって言ってたんだけど、急に腰の調子が悪くなっちゃって」
「それで俺に?」
「子供だけじゃ危ないから行っちゃダメだって言われてるんです…」
「そりゃあ正論だ。けど俺も、その…行きたいのは山々なんだけど…」

どうやら動けなくなってしまった博士の代わりに、大学も長期休みに入って暇人であろう俺に声がかかったようだった。
確かに暇ではあるし、子供の面倒を見るのも嫌いではない。
けれど、俺はすぐに頷くことができなかった。

「うーん…」

考えるふりをしながら子供達からゆっくりと目を逸らして、店の大きな窓から外を忙しなく歩く人たちを眺める。
からん。子供たちが飲んでいるオレンジジュースの氷が心地の良い音を立てる。
あからさまに歯切れの悪い俺に、子供たちはさらに眉を下げた。

「兄ちゃんじゃなきゃダメなんだよ!頼むよ」
「…え?俺じゃなきゃって…?どういうこと?」
「実は、昴さんが連れてっても良いって言ってくれてるんだ」

子供達の言っていることが咄嗟に理解できなくて思わず首を傾げた。
そしてその後すぐにコナンくんの口から飛び出た、予想もしていなかったその名前。
あいつ、意外と子供好きだったのか。そう思いながら無意識に唇を尖らせる。
どういう風の吹き回しだか知らないけれど、秀一が付いているのなら安心だし、余計に俺が行く必要はないじゃないか。

「へっ…?昴さんに連れてって貰えるならいいじゃん。どうして俺にも頼んでるの?」

緊張した面持ちの子供たちを見回した後、教えてくれた張本人であるコナンくんの方を見た。
すると彼は目の前のオレンジジュースを一口だけ口に含んでから、その小さな指で控えめに俺の方を指差した。

「昴さんが、晶太お兄さんが来るならボク達のこと連れていっても良いって…」
「はぁ…?何言ってんだあいつ…」

変装した姿の恋人を思い浮かべながら、思わず漏れそうになったため息をぐっとこらえる。
それから、コナンくんの隣に座る彼女の方を見た。
先程から一言も発さない哀ちゃんの突き刺すような視線。
じとりと細められた彼女の瞳にどうしても居た堪れない気分にされた。
そもそも、秀一は俺が絶叫系の乗り物が苦手だということを知っていてそんな無茶を言うのだから、さらに質が悪い。
他の場所だったらもう少し可能性もあったかもしれないのに。
選択肢のない状況に頭を抱えていると、子供たちの無邪気な声が鼓膜を揺らした。

「ねぇ、私知ってるよ。晶太お兄さんは昴さんともっと仲良くなりたいんだよね?」
「は…?待って何の話?」
「昴さんといる時のお兄さん、いつもと雰囲気違いますからね」
「俺たち少年探偵団を誤魔化せると思うなよな!」
「みんなで、お兄さんと昴さんが仲良くなるお手伝いしてあげるから!ね?お願い。着いて来て!」

子供達が次々と話し始める身に覚えのない言葉に、自分の耳を疑った。
無邪気にこちらに身を乗り出して次々に話し始める子供達。
思考が一瞬だけ止まった。
子供たちの言葉に畳み掛けられた俺は動揺を必死に隠して、ぎこちない笑顔でその言葉に答える。

「え、そんなことないよ。どうでも、良くはないけど…それに、仲も悪くないし…」

そんな奴俺はどうでもいい。といつもの調子で否定しようかと思ったけれど、子供たちの教育に悪いのではないかと思って言葉を止める。
一体なんて言葉を返すのが正しいのか分からず、もごもごと口を動かして言葉を選ぶ俺に痺れを切らしたらしい子供達が、さらに大きな声を出した。

「もう、何でもいいからさっさと決めてくれよ!兄ちゃん!」
「お願いします!」
「うーん、でも…」

こんなに頼まれているのに、どうしても首を縦に振ることができなかった。
いつもならば別に断る理由なんてない。
むしろ嬉しいのだけれど、本当に今はそんな気分ではない。その一言に尽きる。
子供達からの誘いを嬉しく思えない程に、引きずるような出来事があった。ただそれだけ。
なんだか頭が痛んだような気がして、机に置かれたままのコーヒーを見た。
食器同士がぶつかる音、誰かの話す声。ケーキの甘い香り。…くらくらする。

「…お兄さん大丈夫?」

突然鮮明に聞こえたその声に反応して俯いていた顔を上げた。
声の聞こえた方を見ると、心配そうにこちらを見上げるコナンくんの姿。
その隣に見えた、興味なさげにあくびを漏らす哀ちゃんの様子に少し安心した。

「へっ?あ、ごめんコナンくん。聞いてなかった」
「なんだか顔色も悪いし、どうしても行けない理由があるんじゃないの?」
「行きたくない訳じゃないんだ。それに、行けないわけでもない…というか…」
「え?どう言うこと?」
「…こんなこと言ったら、変な奴だって笑われちゃうかもしれないんだけど…ただ、最近何しても調子悪くって」

理由は分からないのだけれど、ここ最近続いて自分に降り掛かるちょっとした不幸。
気に入ってよく使っていた皿を割ってしまった。
買ったばかりのスニーカーの紐が突然切れた。
生まれて初めて女の子に告白されて、断ったら泣かせてしまった。
他にも上げられないほど細かい嫌な事が幾つも積み重なって、今ではもう子供たちと遊ぶ元気すらなくなってしまった。

「本当にただの勘だし、俺の考えすぎだったらいいんだけど…嫌な予感がするんだ」

ここに来る前に何もないところで転んで擦りむいた膝が痛んだ。
自分だけが不幸ならばまだいいのだけれど、こんな状態で皆と遊園地に出かけて、何か悪いことに巻き込んでしまったら。
そこまで考えてハッとして前を見ると、コナンくんが心配そうな顔でこちらを覗き込んでいるのが見えた。

「お兄さん…?」
「でも、秀一がいるなら…」
「…へ?」
「あ、…ごめんね。何でもないよ。気にしないで」

思い出したのは、最近会っていなかった恋人の顔。
あいつの顔を思い浮かべるたびに泣かせてしまった女の子を思い出して勝手に落ち込んで、なんとなく連絡もしていなかったのだ。
考えてみれば酷い話だと自分でも思う。
子供達に俺を連れてくるように言ったのは、あいつからの俺への圧力なのだろうと思う。

「何て言うか、俺、乗り物とか苦手だからさ」
「…」
「ちょっと怖いなと思って」

小さく笑いかけて、先程飲むことができなかったコーヒーを口に含んだ。
独特の苦みと酸味が口の中に広がって眉を顰める。
子供達の前だからと見栄を張っていたけれど、やっぱりブラックでは飲みにくい。
その間もコナンくんは訝し気にこちらを見ていた。
そんな彼をどうやって宥めようか考えていると、もう我慢ならないといった様子の子供たちの大きな声が静かだった店内に響き渡って、ずっとふわふわ浮かぶようだった意識が一気に覚醒した。

「お願いお兄さん!歩美たち、どうしても遊園地に行きたいの!」
「歩美がこんなに頼んでるのに、兄ちゃんは聞けないってのか?」
「うっ…」
「そうですよ!」
「…分かった!分かったから!今考えるから。それとお店の中だから、もうちょっと声抑えてくれると嬉しい、というか…」

俺達の他にも数名いる他の客達からのチラチラとした視線が突き刺さる。
興奮した様子の子供達に向かって両手を突き出して懸命に宥めようと努力した。
それでも子供たちの大きな声は止んでくれることはなく、やがてカウンターの向こうにいる安室さんと目が合うことでこちらの勢いは完全に失われる。
じわじわと青くなる俺に向けて、彼は少し困ったように眉を下げて笑っていた。
今まさに自分はお店側に迷惑をかけている。
その事実に気が付いたその瞬間、心の中での葛藤は完全に終わりを迎えた。

「はい。喜んで一緒に行かせていただきます…」

項垂れる俺を前に、嬉しそうに頬を染めて息を吸う子供達。
店内が勝利を確信した皆の声で満たされた。



見ているだけで楽しくなるような、カラフルなゴンドラが回る大きな観覧車。
真っ青な広い空をどこまでも走るように渡されたジェットコースターのレール。
時々聞こえてくる、誰かの楽しそうな叫び声。
そして、スピーカーから聞こえてくるのは遊園地特有の賑やかな音楽。
メリーゴーランドなんて久しぶりに見たし、兎に角楽しそうに走り回る子供たちを見ていたらこちらまで気分が上がってしまった。
そのはずだったのに。

「うぅ…絶叫系は駄目だって言ったのに…」

視界に入る物すべてが極彩色なその広い空間の中、やっとの思いで見つけたベンチに座った俺は周りの雰囲気に紛れることなくただ項垂れていた。
体力の有り余った子供たちと遊園地に来てしまった時点で、何も乗らずに見ているだけで済むなんて思っていなかったけれど、まさか一番大きなジェットコースターに乗せられるだなんて思ってもみなかった。
正直、生きた心地がしなかったし、途中で一瞬気を失ってしまった。
まだ視界が揺れているような気がして下を向いていると、視界の端に見えた足元。
隣に無言で座った人物は、少し控えめにこちらの顔を覗き込んだ。

「しゅ…昴、さん」
「大丈夫ですか?」
「そう見えるか…?」

恋人のいつもと違う声、口調。
それに対して俺はいつも通りの調子で返事をした。
せっかくセットしてきた髪の毛もすっかり崩れてしまって、取り繕うように前髪を指で撫でつけてやる。
子供達とは、乗り物には乗らずに見ているだけでいいという約束で着いてきたはずなのだけれど、その口約束はしゃいでいる彼らの前ではなんの効果もない。

「なんで金払ってまであんな怖い思いをしないといけないのか、俺には理解できない」
「…」
「お前、今笑っただろ」

まだ目の前がくらくらする。
頭を抱えながら冗談を言ってやると、隣に座る恋人が小さく笑うのが聞こえたので控えめに睨みつけてやった。
最近ではほんの少しだけ見慣れてしまった、普段とは真逆の優しそうな表情。
しばらくそれをぼんやりと眺めていると、眉を少しだけ寄せて真剣な表情を作った彼が乗り物酔いで少し痺れた俺の指先に触れた。

「晶太、どうして今まで連絡してこなかった?…何かあったのか?」
「う…急にそれ聞く?」
「顔色が悪いぞ。…本当に大丈夫か?」

口調を戻した恋人が、周りに聞こえないくらいの小さな声で心配そうに話しかけてくる。
淡い茶色の髪が風に揺れる。
眼鏡越しに見える細められた瞳から、ちらりとエメラルドグリーンが覗いたような気がした。
とても誤魔化せるような雰囲気ではなくて、目の前の瞳から思わず目を逸らす。

「…笑うなよ?」
「あぁ」
「本当に、ただの勘なんだけど…」
「…」

先日コナンくんに漏らしてしまったのと同じ前振り。
やっぱりあの後からも何度も小さな不幸が重なって、そして体中に小さな傷が増えていった。
背中を形容しがたい悪寒が走って、唸りながら思わず両手で自分の二の腕を擦る。
それが本当にただの気のせいで、俺の考えすぎだとしたら本当に良かったのだけれど。

「ここに来てからずっと、嫌な予感がしてて…」

それは先程ジェットコースターを降りてすぐのことだった。
加減無しに振り回された後で歪む視界の中、誰かを見て不可解だと言わんばかりに目を細めたコナンくんを見たのだ。
見られていたその男の人はなんだかそわそわしながら自身の腕時計を確認して、足早にどこかに消えていった。
それからコナンくんは指を口元に当てて真剣に何かを考えるような仕草をした。
その表情はまるで探偵のようで、とてもじゃないけれど小学生の見せる顔つきとは思えなくて。
固まる俺の視線に気が付いた彼は慌てて繕ったような笑顔を見せた後、子供達と楽しそうにどこかに走っていってしまった。
それがずっと引っかかっている。
本当にただのごっこ遊びだったら良いのだけれど。

「考えすぎかもしれないんだけど…あ、えっと…」
「…どうした?」
「ううん…やっぱり、何でもない。ごめん。せっかくみんなで遊びに来たのに。不安にさせるようなこと…余計だった。今の忘れて」

自分の見た全てを話そうとして、すぐに我に返った。
せっかく皆と楽しく遊びに来たというのに不安にさせるようなことを言ったところで、どうにもならない。
風が吹くたび鼻を掠める嗅ぎ慣れた煙草の香りに少し安心して息を吐いた。
俺だけに不運が続いている。ただそれだけ。

「本当はお前と一緒に遊びに来られて嬉しかった…んだけど…ちょっと頭冷やしてくる。すぐ戻るから」
「お、おい晶太…」

本音を言いながら小さく笑いかける。すると不意を突かれて少し戸惑った様子の恋人が目に入った。
言いながら、相手からの答えを聞くことなく立ち上がる。
少し焦り気味に名前を呼ぶ、やっぱり聞き慣れないその声を振り切った俺は気の遠くなるような人混みを掻き分けて広い道を走り出した。


「ったく…小銭忘れてきたし…」

飲み物でも買って落ち着こうと、自動販売機の前で開いた新しい財布。
元々の財布から中身を全部入れ替えたつもりだったのに、どうやら小銭だけを忘れてきたようだった。
仕方なくお札を入れて買ったミネラルウォーター。
嫌がらせかと思うほど細かく出てきたお釣りを見て、もう一度ため息を吐いた。
そして今度は、それらをしっかりと拾い上げたつもりだったのに、指の間から落としてしまった。
硬貨が地面にぶつかったことで耳鳴りに似た甲高い音を立てる。

「あー、もう!」

いい加減にイライラして思わず上げた大きな声。
散らばって自由に転がっていく小銭達を少しだけ眺めてから、諦めて息を吐いて拾おうと追いかける。
幸い周りに人はいなくて、変な目で見られる事はなかった。

「…あれ?」

最後の小銭を拾い上げたその時、視界の端に気になるものが見えた。
誰かの…足?
それが妙に引っかかって顔を上げると、その疑問は一瞬で解決された。
自分のいる場所から少し離れた事務所のようなレンガ造りの建物。その陰から覗く、きちんと磨かれた高そうな革靴。
誰かが倒れている。
それを理解した瞬間、一気に押し寄せてきた緊張で思わずぴんと背筋が伸びた。
体調が悪いのだろうか、貧血?…それとも。
すぐに駆けつける勇気が出なくて、せめて離れたところから様子を見ようと、一歩一歩を恐る恐る踏み出していく。
元々乾いていた喉が更に乾いた。
得体の知れないあの寒気が今度は全身を襲った。
急に不安になって、ずっと聞こえていたはずの妙に明るい音楽も今は耳に届かない。
一歩が嫌に重く感じたけれど、やっとの思いで誰かが倒れているその場所を視界に入れた。

「えっ…」

見えたのは、規則的に敷かれたレンガの地面に今まさに広がっていく真っ赤な血だまり。
想像もつかない光景に指先から力が抜けて、買ったばかりのペットボトルが地面に落ちて中の水がお気に入りの靴を濡らす。
少し遠くて詳しいことは良く分からなかったけれど、確かに腹部から血を流した男の人がぐったりとした様子で倒れていた。
見間違いでなければ倒れている男の人は、さっきコナンくんに見られていた、腕時計を確認していたあの人。
そして今まさに人を刺してその場から逃げ出そうと走り出したのであろう誰かと目が合ったような気がした。
ずっとしていた嫌な予感が、確信に変わった。

「…っ…」

口から悲鳴が漏れそうになった次の瞬間、全てを掻き消すように辺りに響き渡った、耳をつんざくような大きな音。
男性が寄りかかっていたその建物が前触れもなく爆発したことに、鈍い俺は何も反応することができなかった。
反射的に顔を覆ったけれど、爆風に耐えきれなかった体が一瞬で吹き飛ばされる。
受け身も取ることができずに思い切り体が地面に叩きつけられる衝撃をどこか遠くに感じながら、俺はそのまま意識を手放した。