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後日談


カラン。
入り口のドアについた小さなベルが心地の良い音を奏でた。
すっかり暗くなった外から恐る恐る中を覗くと、温かく明るい店の様子が見えて少し安心して息を吐く。
閉店間際ですっかり人気のないポアロで、安室さんは一人で手際よく綺麗に並んだテーブルを拭いていた。
彼はこちらを見るなり驚いたように目を見開いて俺の名前を呼んだ後、髪を揺らしながら控えめにこちらに笑いかけた。

「…もう、大丈夫なんですか?」
「あ…はい。ごめんなさい。こんなギリギリに」

一旦作業を止めてエプロンの裾を軽く叩いた彼は、店員の笑顔を見せながら入り口に立ったままの俺をカウンター席に誘導した。
対する俺は持っていた紙袋の持ち手を握り直して、広い背中をただ眺める。
彼の指示に従って腰を下ろして、隣の椅子に荷物を置いたころには、カウンターを挟んだ目の前に立った安室さんが小さく首を傾げていた。

「…一人ですか?赤井がよく許可しましたね」
「俺が我儘言ったから…」
「帰りは?」
「秀一が…車で待ってくれています」

安室さんが心配するのも無理はない…と思う。
俺がストーカーの手から解放されてからまだ数日しか経っていないのだから。
でもなんだか家に居る間も安室さんに迷惑をかけたことを思い出してしまって落ち着かなくて、機嫌の悪い秀一に無理を言って連れて来てもらったのだ。
どうやら秀一にくっついて生活しているのもすべてお見通しなようで、俺の返事を聞いた彼は納得のいった様子で頷いた。
行き返りを心配されるなんて、なんだか小さな子供のようでほんのちょっとだけ恥ずかしい。
出して貰ったコーヒーにお礼を言いながら、膝の上で手を握った。

「…何があったのか、多分もう聞いてると思うんですけど…。あの時は本当にすいませんでした」

言いながら深く頭を下げた。
同時に鼻を掠めるコーヒーの良い香り。
秀一から、安室さんも色々手伝ってくれたと聞いた。
俺の居場所を突き止めてくれたのも安室さんだったらしい。
あの時俺が手紙を手渡したせいで、無意識とはいえ関係のない人を巻き込んでしまった。
突然ナイフの入った脅迫状を押し付けられたのだから、きっと迷惑だったに違いない。

「…怪我はないんですか?」
「へっ…?あ…うん。大丈夫です」
「嘘。手首の包帯、見えてますよ」
「うっ…」

咄嗟の嘘はすぐに見抜かれてしまった。
食器を洗い始めた安室さんをなんとなく眺めながら、まだ傷の消えない手首を擦る。
2人で黙り込んだ途端に訪れる静寂。水の流れる音、食器同士がぶつかる音。
カップの中の真っ黒なコーヒーに、俯いた自分の顔が映っている。
気まずく感じているのはきっと俺だけなのだろうけれど、なんだか居た堪れない。

「…全く君は、臆病な子かと思えば、たまに凄く無茶をするから驚かされますよ」
「うっ…ごめんなさい…」

手早く食器を洗い終えた彼は、タオルで手を拭きながら呆れたようにため息を一つ。
いつだったか秀一にも同じようなことを言われたことがあるような気がした。
実際その通りで、ごく稀に自分のことなんか考えられなくなることがある。
今回も秀一を人質に取られたら突然頭が真っ白になって、自分を犠牲にするしかないと思ってしまった。

「俺の所為で秀一が危ないって思ったら、もう自分が捕まるしかないって…」
「もし君に殺意のある相手だったらどうするんですか」
「…そんなこと、考えもしなかったです…」

そのことについても、既に秀一にさんざんお説教された後だった。
肩を落としながら本当のことを言うと、彼は再び息を吐いた。
周りの大人たちにはいつも迷惑をかけてばかりだ。
色々と考えていたらなんだか弱い自分が虚しくなってきて、これ以上お説教されないように、隣の椅子に置いておいた紙袋を掴むと立ち上がってカウンターの向こうに差し出した。

「あ、あの…これ、つまらないものですが…良かったら食べてください」

俺の手の中の紙袋を見た安室さんは、少しだけ目を開いて数度瞬きを繰り返した。
綺麗な紺碧の瞳が本当に一瞬だけ、揺れたように見えた。
安室さんが、店に来た女の子達にプレゼントを渡されている所は何度か見たことがあった。
そしてそのたびに困ったような笑顔で断っている所も。

「あの…手作りじゃないし、別に怪しいものは何も入ってないので…その…」

彼女達が持っていたのは、綺麗にラッピングが施された色とりどりのプレゼント。
俺が差し出しているのは本当に当たり障りのない、よくある菓子折りで。
比べるのも恥ずかしい程に遠くて、色気もない。
もう一度謝罪の言葉を口にしながら、俺は深く頭を下げた。

「すみませんでした…」
「ありがとうございます。今回はありがたく頂戴しますね。…でも次は無いようにしてください」
「へっ…?」

差し出していた手の中の重みがなくなった。
俯いていた顔を慌てて上げると、完璧に綺麗に微笑む安室さんの姿。
今度はこちらが驚く番だった。
正直、あの女の子達と同じように、やんわりと断られると思っていたから。

「え…いいんですか…?」
「どうして君が驚くんです?」

ぽかんと口を開けたまま呆ける俺を見た安室さんは、口元に手を当てて可笑しそうにくすくすと笑う。
色っぽく細められた瞳を見ていたら、なんだか負けたような気分になった。
長い睫毛を伏せながら顔にかかる髪の毛を耳にかける仕草だって、誰よりも様になっている。
顔が整っているって、武器だなぁ。と彼と向き合うといつも思うのだ。
気を張っていた自分がなんだか恥ずかしくなって、すこし膨れながら椅子に座り直した。

「安室さんって…やっぱり格好良いですよね…」
「なんですか、急に」
「ずるい…欠点が何もないんですもん…」

彼ならきっと生きているうちに何度も言われて、すっかり慣れてしまっているだろう台詞が口から飛び出した。
膨れてカウンターに突っ伏す俺を見ながら、彼は何度もぱちぱちと瞬きを繰り返す。
髪の毛と同じ色の長い睫毛が瞳の色を隠す。その様子すら美しい。
そんなひとつひとつの動作が一々格好良いのだから、こちらとしては解せないのだ。

「隠してることとか、ないんですか?例えば…俺に見せてない一面がある、とか…実は性格が全然違う、とか…」
「うーん…そうですね、晶太くんは、僕がどんな性格だったら満足しますか?」
「えっ…?えーと…」

質問に、質問で返されてしまった。
俺は彼のその疑問に答えるために、目の前で柔らかく微笑みながら首を傾げる彼の顔を真剣に眺めた。
例えば、実は気が弱いとか、逆にとても気が強いとか…?

照明で輝く少し暗めの金色の髪。紺碧の瞳を囲む長い睫毛。高い身長に、長い脚。
意志の強そうな眉毛と、形の良い唇。
眺めれば眺める程整った彼の容姿に、思わず顎に手を当てながら自分の唇を親指で押し潰した。

「うーん…」

それからしばらく黙ったまま、顔の良い彼と見つめ合っていて一つ気が付いたことがある。
結局、どんな性格だったとしても彼の見た目に変わりがないということ。

「何か思いつきました?」
「まぁ…どんな性格でも、安室さんは格好いいんだろうな…とは、思います…」
「おや、ありがとうございます。…それに、そんなに悩まなくても晶太くんだって、とても魅力的だと思いますよ」
「え゛っ…?」

彼は甘いセリフを何でもないことのように口にすると、綺麗な姿勢で立ったままこちらに向かって完璧に笑って見せた。
きっとこういう所が純粋な女子高生を虜にしてしまうのだと思う。
沢山の女性を魅了していった結果、いつかそんな彼女たちに殺意を向けられてしまうのではないかと、少しだけ心配になった。
危ないのは安室さんの方だ。

「…今変なこと考えませんでしたか?」
「え、えへへ…そんなこと…」
「あー!晶太お兄さん!」
「うわぁっ!?」

その瞬間、店の扉が勢いよく開いた。
カランと響いた飴玉を転がすみたいな可愛らしい音と共に、突然店内に響いた似つかわしくない程大きな声。
驚いて飛び上がった拍子に、膝がカウンターテーブルの下に思い切りぶつかった。
ガツンという大きな音と共に、カップの中のコーヒーが揺れる。
ばくばくと煩く動く心臓を落ち着かせるために胸を撫でつけながら慌てて入り口の方を見る。

「あ、ごめんなさい。ボク思わず大きな声出しちゃって…」
「あれ、コナンくん…?」

どこかで遊んだ帰りなのか、スケボーを抱えたコナンくんは当たり前のように店に入ってこちらに歩いてきた。
そう言えばすっかり忘れていたけれど上の探偵事務所に住んでいるのだった。
近くに歩いてきた彼はもう一度呟くように俺の名前を呼ぶと、空いている隣の席に腰を下ろした。

「久しぶりだね。…あ、コナンくんもなんか頼む?」
「…ボク、誤魔化されないよ」
「あらら…」

メニューを開いて見せるとくりくりとした大きな瞳がこちらを恨めし気に見つめた。
秀一の言っていた通り、怒っているようだ。
困ってしまって小さく笑う俺に向かって彼はやっぱり不満そうな声を漏らす。
助けてもらおうと安室さんの方を見るとただ笑いながら俺達の様子を眺めていた。
助けようとする様子は微塵も感じられない。

「お兄さん、…どうして無茶ばっかりするの?」
「大丈夫だよ。何にもされなかったし、怪我もないし」
「じゃあその包帯は何?」
「うっ…」

先程、安室さんとしたばかりのやり取りが今まさに繰り返された。
手首に包帯なんて巻いていたら、ストーカーに何をされたのかきっと容易に思いつくのだろう。
コナンくんは眉を寄せてそっと俺の手の平に触れた。
子供特有の高めの体温が冷たくなった皮膚にじんわりと染み込んでいく。

「もう、大丈夫だよ。あの人も捕まったわけだし…」
「…晶太お兄さん」

誰だか知らない人間に、あんな病的に好かれる日が来るなんて思わなかった。
あんなイレギュラー、なかなかないと思う。
最初の告白で逃げてしまった俺が悪いのかも。なんて口にした時の、秀一の不機嫌そうな顔を思い出した。

「秀一にも、たくさん怒られちゃったよ」

傷ついている俺のことを気遣ってくれたのか、いつもよりも控えめに怒られた。
その代わり、いつもよりも長いお説教だったけれど。
なんだか恋人の過保護にも拍車がかかったような気がする。
ここ数日ですっかり甘やかされてしまって、子供になったような気分だった。
話しながらコナンくんに笑いかけていると、ずっと黙ったままだった安室さんが不思議そうに口を開いた。

「でも、それにしてはなんだか嬉しそうですよね」
「へ…?」
「もしかして…プロポーズでもされましたか?」
「プ…プロポ…ッ」

ゆったりとこちらに身を乗り出しながら発せられた彼の言葉を処理するのが少し遅くなった。
優しくこちらを見つめる恋人の顔を思い出していたら、じわりじわりと頬が熱くなっていく。
やがてその熱が顔全体を包み込んだ頃、俺の反応を見ていた二人の動作がぴたりと止まった。

「おや、冗談のつもりだったんですけど…」
「えっ…そうなのお兄さん!?」
「ちっ、違うよ!…違うからね!?」

真面目な顔で顎に手を当てる安室さんと、目を真ん丸に見開いて驚くコナンくん。
違う。断じてプロポーズなんかではない、と思う。だって、指輪をねだったのは俺からだったわけで。
両手を振って否定している間も、恥ずかしさで頭の奥が痺れ始めた。
どうしてこの人は、こんなに勘が良いのだろうか。

「…ふぅん?」
「だーかーら!違うって!」

羞恥に耐えられなくて、二つの視線から逃げるように両手で顔を覆った。
なんだか久しぶりに大きな声を出したような気がする。
おそらく真っ赤になっているだろう俺の顔を見ていた安室さんは、自身の顎にその長い指を当てて、興味深そうに息を漏らした。
楽しそうな安室さんを指の隙間からジトリと睨んでみたけれど効果は全くなかった。

「ならお兄さん、何でそんなに嬉しそうなの?」
「えっ…俺そんなにだらしない顔してる?」

コナンくんの指摘を聞きながら慌てて頬を押さえた。
けれど鏡もない今の状況では、自分の顔がすっかり熱くなってしまっていること以外わからない。
前からと横から。二つの瞳は言えと無言で訴えていた。
その圧力に負けた俺が、もうどうにでもなれと半ばやけくそに口を開こうとした、その時。
本日三度目に聞く、扉のベルの音が店内に鳴り響いた。
慌ててそちらを見ると、不機嫌そうな顔を隠さずにドアに手をかけたままの恋人が恨めし気に俺たちをそのグリーンの瞳に映していた。

「チッ…おい晶太、いつまで掛かってんだ…」
「しゅういちぃ…助かったぁ…」

外から流れて来る冷たい空気が、熱くなった頬を冷やしていく。
思わぬ救世主の登場に涙腺が緩む。
顔を赤くした涙目の俺を見た秀一は、眉根を寄せたその表情のまま固まった。

「あ…えと…安室さん、コナンくん。迎えが来たので今日は帰ります…本当にご迷惑をおかけしました…」
「はい。今度またゆっくり聞かせてくださいね」
「お兄さん、またね」
「うっ…うん…またね」

迎えに来た恋人をまんまと帰る理由に仕立て上げた俺は、机にお金を置きながら慌てて上着を羽織った。
にこにこと笑いながら手を振る安室さんとコナンくんを見ていたら、ほとぼりが冷めるまで二人に会うのはしばらくやめようと、そっと心に誓った。
それからすぐに振り返った俺は、扉の前で立ったまま待ってくれていた秀一に小さく声をかけた。

「ここはやべぇ…早く帰るぞ!」
「は…?何言ってんだお前」

腕にしがみついて、わけが分からないという様子の恋人を半ば無理矢理ひっぱりながら外に出る。
一瞬で体を包む冷たい空気に思わず肩をすくめた。
『ポアロ』と店名の書かれたガラス窓から恐る恐る店内を覗き込んでみたけれど、二人はこちらを見ずに何か話し込んでいる様子だった。
ゆっくりと息を吐きながら秀一の腕から手を離す。
落ち着いた俺の様子を確認した恋人は、ずっと手に持っていたマフラーを冷えた俺の首に巻いていった。

「二人ともいつも通りで安心した」
「…そうか」
「でもなんか疲れちゃった…眠い…」
「本調子じゃないのに無理するからだ」

俯きながら重たい瞼を擦る。
秀一は俺の頭をぽんぽんと数回叩いた後に、呆れたとでも言いたげな表情を見せた。
まだ家に居ても窓を見る癖が直っていないというのに無理して外に出たから、やっぱり気疲れしてしまったのかもしれない。
少し離れたところでちかちかと光る街灯に、一度だけ胸がドキリとした。

「…ちょっと、暗くて怖い…かも」
「あのな…だからあれほど」
「だから、もっとくっ付いて…ほしい、というか…」

恋人の呆れ声を聞くのはこれで何度目だろうか。
視線を彷徨わせる俺に秀一は一瞬だけ驚いた顔をしてから、こちらが驚くほど優しい笑みを見せた。
いつの間にか繋がれていたその大きな手に引かれながら、車までの道を歩く。
闇に溶けてしまいそうなほど真っ黒な、けれど安心する恋人の背中が見えた。

「本調子に戻ったらみんなでどっか出掛けようよ。…あー。…でもその前に、秀一と二人がいいな」
「…そうだな」
「うん」

頷きながら、柔らかく繋いでいたその手を握り直した。
その手が強く握り返された拍子に思わず零れる笑みと口元から漏れる白い息。
澄んだ空気のおかげか今日はいつもより空が綺麗に見える。
空が明るいせいか、夜なのに今日はなんだか恋人の姿が良く見えるような気がした。

「安室くんと何を話していたんだ?」
「えっ…と、秘密…」

さっきまでの会話を思い出した拍子に、目元からじわりと赤みが広がっていくのが自分でも分かる。
月の光で、辺りが酷く明るい。
こちらから向こうの表情が良く見えるように、きっと向こうもこちらの顔が良く見えるわけで。
それに気が付いた頃にはもう既に遅く、恋人の眉間に皺が寄った。
あからさまに機嫌が悪くなった恋人をなだめるのに苦労したけれど、それも幸せだと思ってしまう程、今に満足していた。