×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
不透明ソーダ06


傷ついた手首に優しく包帯が巻かれていく様子をただぼんやりと眺める。
あれから秀一はあっという間に俺を救出すると、冷たく犯人を睨みつけながら、現場をキャメルさんに任せてその場を後にした。
俺はといえば秀一の上着を羽織らされて、秀一の腕の中で小さく震えることしかできずに、ただ自分のしでかしたことすべてに後悔をした。
今は工藤邸のいつものソファでいつものように2人並んで座っていた。
同じなのに、何もかも違う。

「ごめんなさい。俺、どうかしてた…」
「…」
「あの時俺が勝手に動かなければ、こんなことにならなかった…分かってる…でも、ナイフ見たら…頭が真っ白になって…」

体の震えが止まらない。怪我をした手首が痛くて、ひりひりする。
でも痛いのは手首だけじゃなかった。
腹の中が気持ち悪い。
気が動転していた。なんて言い訳、今更通用するとは思っていないけれど、謝らずにはいられなかった。
秀一が殺されてしまうかもしれないと思ったら凄く怖くて、自分が犠牲になるしかないと思った。
いつもなら怖くて動けないはずなのに、こんな時に限って体が勝手に動いてしまったのだから、自分でも訳が分からなかった。
俺がもっと冷静に恋人の言いつけを守っていれば、お互いこんな気持ちにならなくても済んだのに。

「もしあの時、秀一が来てくれなかったら…今頃、俺は」
「…晶太」

「それ以上言わなくていい」混乱して喋るのが止まらない俺の名前を静かに呼んだ恋人のその瞳は、確かにそう言っていた。
帰ってきてすぐに着替えさせられたいつもの大きな部屋着から、嗅ぎ慣れた柔軟剤の香りがした。
白い包帯がいつもより血色の悪い自分の手に巻き付けられていく。
その様子を見ていたらじわりと視界が滲んでいった。
いつもの日常に戻って来たという実感が全くわかない。
小さく震えたままの俺をエメラルドグリーンが真っ直ぐ見つめる。

「怖かった…知らない奴に触られんの、嫌だった…」
「落ち着け、晶太」
「…油断したんだ。何もされなかったから、俺なら大丈夫なんじゃないかって」

駄々っ子のように何度も首を横に振る。
無機質な鎖の音。体を無遠慮に這いまわる知らない人間の手の感触。
正直、殺されてしまうよりも怖かった。
あのまま秀一が来てくれなかったらと思うと、その後の事を想像すると、全身が寒くて震えが止まらなくなる。
瞳から絶えず涙を流す俺の頬を、恋人のその大きな手が優しく撫でた。

「安室くん、心配してたぞ」
「…うん。謝らなきゃな…俺、いっぱい取り乱して」

急に走ってきた俺に、急に捲し立てられて。
きっと訳が分からなかっただろうに安室さんは真剣に聞いてくれていた。
あの後、安室さんもたくさん協力してくれたそうだ。元気になったらポアロいかなきゃな。
秀一の名前を呼びながら子供みたいに泣いたこと、都合よく忘れてくれているといいのだけれど。

「ボウヤも怒っていたぞ」
「…でも、秀一が一番怒ってた」
「…」
「助けに来てくれた時、誰かと思った」
「…そこまでじゃなかっただろ」

蹴り倒されたドアの大きな音と、すべてを凍らせるような冷たい瞳。
安心した。長い悪夢が終わった。やっと助かったって、そう思った。
秀一はいつも決まって、ピンチの時には必ず助けに来てくれる。
俺の言葉を聞いた恋人は少し恥ずかしそうに頬を掻いた。

「あの時」
「え?」
「お前の叫び声が急に聞こえなくなった時、生きた心地がしなかった」
「あ、あぁ…急に良く分からない薬、飲まされそうになったから…」

言われてみれば、秀一の名前を呼びながらひとしきり騒いだ後に黙り込んだような気がする。
思い出していると、その手に突然引き寄せられて強く抱きしめられた。
秀一の癖の強い前髪が頬に触れて、懐かしい煙草の匂いがする。
突然のぬくもりに硬直する俺を安心させるように何度も優しく背中を擦られた。
おずおずと伸ばした手を恋人の背中に回す。
その途端、ずっとせき止められていた感情が溜めきれずにあふれ出してくるかのように、涙が止まらなくなった。

「怖…怖かった…ごめ、ごめんね…」
「あぁ」
「秀一も嫌だったよな。ごめん。言うこと聞かなくて…も、あんなの嫌だ」

無機質な鎖の音も、重さも、冷たさも。全部頭の中から消えてくれない。
それに、男が嬉しそうに目を細めて笑うその表情も。
名前、あんな奴に呼ばれたくなかった。拒否できない自分が、嫌だった。
首を振りながら恋人の胸に頭をすり寄せる。

「晶太」
「うん」
「…晶太、もう大丈夫だ」

大好きな低い声で何度も紡がれる自分の名前を噛みしめるように目を閉じた。
大きな手がセットしてない俺の髪を何度も撫でつける。
それから秀一は、俺の涙が止まるまでずっと飽きずに背中を叩いてくれていた。
とんとんと背中を叩くリズムに少しずつ冷静さが戻ってきた頃、子供みたいに泣いていた自分が少し恥ずかしくなった。

「秀一、怒ってる…よね」
「…はぁ、説教はまた今度にしておいてやる」
「ありがたいです…」

密着していた体をゆっくりと離す。
離れていくぬくもりを少し勿体なく思いながら、ちらりとカーテンの方に目をやると、秀一があからさまに眉根を寄せた。
大丈夫。ちゃんと閉まってる。
もう、見られる事は無いって分かってるのに。
いつの間にか最低な習慣ができてしまった。

「疲れた。あんな生活、もう嫌だ」

ストーカーが始まった日から毎日毎日、どこにいても気が抜けなくて、休む暇もなかった。
ポストに手紙が入る乾いた音と、雨粒の音。
鎖のぶつかる煩い音。手足の重み。
寒い、怖い。
頭の中の雑音が酷くて、俯きながら両手で耳を塞いだ。

「…っ…」
「晶太」
「あっ…ごめん」

一人で混乱する俺を見かねたのだろう恋人に、やんわりと腕を掴まれた。
触れられていないはずなのに包帯が巻かれた手首が痛む。
俺の顔を見た秀一が少し気まずそうに目線を逸らして、テーブルの上に目をやった。

「…、…コーヒーでも飲むか?」
「あ、うん…」
「淹れてくる」
「待ってよ。俺も行く…」

煙草を灰皿に押し付けて立ち上がる恋人を見て、慌てて自分も立ち上がった。
ひざ掛けを素早く肩に羽織って、もたつきながら歩き出すと、見慣れた黒い服の裾を握る。
秀一が歩くのに合わせてヒヨコのようにぺたぺたと後ろをついて歩いた。
一人にされるのが凄く怖い。足先が少し冷たい。

「秀一も飲むの?コーヒー」
「あぁ」

キッチンに立つ恋人の後ろからそろりと顔を覗かせて、その手元を見つめる。
お湯が沸くのを待つ間に煙草をふかす恋人の顔を見上げた。
視線に気が付いてこちらを一瞥した秀一が目を細めて、その大きな手で頭を撫でる。
いつもと同じ、日常の光景。
安心して小さく笑うと驚いたように目を見開いた。

「…少しは落ち着いたか?」
「あ、えと…うん…ごめん」

目の前には少し嬉しそうに微笑む恋人。
いつの間にか子供のように振る舞っていた自分に気が付いて、じわりと頬が熱くなった。
血色が戻ってくるのを感じる。
しどろもどろになりながら謝る俺に、秀一は視線だけで答えた。

「ねぇ秀一。俺、しばらく一緒に居てもいいか?…一人になるの、嫌だというか、怖いというか…」
「あぁ。構わない」

むしろ、そうしてくれ。
そう言いながら目線を手元に戻した恋人が、慣れた様子で手際よくコーヒーを淹れていく。
気が付けばキッチンにはいい香りが充満していた。

「ごめん。また取り乱して迷惑かけるかも、しれないんだけど…」
「晶太」
「えっと…ありがとう…」

言葉を遮るように名前が呼ばれる。
同時に眼前に差し出されたコーヒーの入ったマグカップ。
そんなこと気にしない。と言いたげな優しいその表情からそっと目を逸らした。
秀一の言動全てに安心してしまう自分がなんだか恥ずかしい。
差し出されたマグカップで手を温めていた俺は、ソファに戻るために歩き出した恋人に再び付いて行く。

「コナンくん、そんなに怒ってた?」
「あぁ、覚悟した方がいいぞ」
「うっ…そんなに?」

真っ黒なコーヒーを見つめながら、さっき聞き流してしまったコナンくんの話をもう一度聞き返す。
恋人の口ぶりだと相当怒っていたようだ。これはお説教も覚悟しておいた方が良いかもしれない。小学生に怒られる自分の姿を想像して少しげんなりした。

ソファに戻ると秀一はすぐにカップに口を付けた。
俺はコーヒーにいつもより多めに砂糖とミルクを入れて、スプーンでゆっくりかき混ぜた。
マグカップで手を温めながら傾けると、いつもより甘いコーヒーが内側からも体を温めてくれる。
安心する。
いつも秀一が淹れてくれるコーヒーの、いつもの味。

「ねえ、秀一」
「…ん?」
「…」

手に持っていたマグカップを優しくテーブルに置くと、膝を抱えて座った。
恋人の名前を小さく呼んで、すぐに黙り込む。
普段なら考えないようなことを思いついてしまったのは、多分精神的に追い詰められていたせい。
自分から呼んだくせに何も話さないからか、秀一が俺の名前を怪訝そうに呼ぶのが聞こえる。

「晶太…?」
「あ、あのちょっとお願いがあって…聞き流してくれてもいいんだけど…」
「言ってみろ」
「…笑うなよ」

ソファの上で膝を抱えたまま小さくなる。
秀一の方を見ることができなくて、テーブルの上のマグカップから立ち上る湯気を見つめた。
マッチを擦る音がした。煙草に火をつける音を聞きながら、半ば投げやりに言葉を紡ぐ。
ずっと、考えていた事。

「指輪、欲しい」
「…は?」
「…その、秀一から…」

思えば、秀一に何か物をねだったことなんか一度もなかった。
それなのに一回目が指輪とか、重すぎると思われても文句は言えない。
初めてもらった指輪がストーカーからだなんて本当に嫌だった。
けれど、ぽかんと呆けた顔のまま固まる秀一を見た途端、初めから小さかった自信が一瞬で消え失せた。

「あっ、えっと…そんな急に言われても嫌だよな!ごめん…変なものねだって…」
「…」
「忘れて。ごめん…」

本当にごめん。女々しいこと言って。
誤魔化すように少しずつ目線を下げていく。
部屋着から覗く自分の素足は、寒いせいか酷く血色が悪い。
足先と同じように冷たい自分の両手を絡めながら、抱えた膝に頭を乗せる。
言わなければよかった。
恋人にも周りの人にもあんなに迷惑をかけて、さらに物をねだるなんて。
図々しい。

「嘘。嘘だから…何も欲しいものとか、ない…から」
「晶太。落ち着け」
「う…」
「…先を越されたな」
「へっ?」
「元々この件を片付けたら、お前に買ってやるつもりだった」

この件、とはストーカーのことを言っているのだろうか。
勢いよく顔を上げると、どこか遠くを見ながらゆっくりと煙草の煙を吐き出す恋人の姿が見えた。
発せられた言葉が頭で処理しきれずに、しばらくその横顔を黙って見つめる。
そしてすぐに、おそらく気遣って言ってくれているのだろうと考えた俺は、その言葉を否定するために両手を勢いよく振った。

「えっ…いいよ!無理しなくて!こんなの、自分からねだるもんじゃないし…」
「ホー…?知らん男からは受け取れるのに、俺からは受け取れないと?」
「何言ってんだよ!あれは、一方的に押し付けられて…欲しくなかったし。…というか、秀一も知ってるだろ!」
「一度は手に持っただろう」
「屁理屈だ!」

受け取ったなんて言われてこちらも黙っているわけにはいかないし、それにあの指輪はすぐに秀一が俺から没収したではないか。
あんなプロポーズ二度とごめんだ。俺は欲しくなんかなかった。
恋人の口から飛び出す子供みたいな屁理屈を聞いていたら、なんだか頭が痛くなってきた。
勢いよく顔を上げて睨みつけてやろうとすると、目を細めて微笑む恋人がこちらを真っ直ぐ見つめていた。

「もう一度聞く。俺からは受け取ってくれないのか?」
「え、…いいの?本当に…?」
「あぁ」
「冗談じゃ…なくて?」

抱えていた足を伸ばして恋人の方に身を乗り出した。
肩に羽織ったままだったひざ掛けが重力に従って、ソファに落ちていく。

「こんな時に冗談なんか言ってどうする」
「…ごめん、どうしよ…すっげえ嬉しい…」

勝手ににやける口元に両手を当てて、恋人の顔を見上げた。
顔が熱い。
じんわりと潤んでいく俺の瞳を見た恋人がぎょっとしたように目を見開いたのを、ぼやける視界の中で感じ取った。

「お、おい…まだ渡してもいないぞ」
「う゛っ…自分でもこんなに嬉しいなんて思ってなかった…」

嬉しいと涙が出るって、本当のことだったんだ。
俺がきちんと元気になってから。恋人から出されたその条件に何度も頷いていると、不意に口元を隠していた手が絡め取られて、背中を丸めた恋人に唇を奪われた。
本当に一瞬、触れただけのキス。
驚いた拍子に涙が引っ込んだ。
秀一は目を見開く俺の顔を眺めてから、満足そうに目を細めて煙草を咥え直した。

「…泣き止んだか?」
「ば、馬鹿…。そう言えば助けてくれた時もそうだけど、犯人の前でキスとか…。お前、もっと緊張感持てよ…」
「すまん。姫を救えて満足したもんでな」
「だっ…誰が姫だ!」

恋人の軽口を聞いた俺が顔を真っ赤にして腕を振り上げた時には、ほんの少しだけいつも通りを取り戻した二人が、いつものソファに並んで座っていた。