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不透明ソーダ01


「おい…大丈夫か…?」
「駄目…さむい…」

全身ずぶ濡れのまま急いで駆け込んだ工藤邸の玄関で、ドアにもたれながらしゃがみ込んだ。
閉めたはずのドアから雨の音が止まない。
水を限界まで含んだシャツが急速に体温を奪っていく。
大きな音を出してしまったから、何事かと部屋から出てきた恋人が控えめに声をかけてきた。
いつも通りの真っ黒な装いに、手の中には相変わらず煙草の姿。

「来る予定なかったんだけど…ごめん…急に降ってきたから…」
「いや…」
「はは、髪の毛ぺしゃんこ…」

そのままの体制で、すっかり濡れてしまった前髪を掻き混ぜた。
煙草の匂いに混ざる恋人の香りに、緊張が徐々に和らいでいく。
遊びに来る約束もしていないし、濡れたままここにいられても迷惑だろう。
でも身体がすくんで動けない。立ち上がろうとしても、上手く力が入らなくてその場に尻餅をついた。

「あ、ごめん。秀一…すぐ帰るから」
「はぁ…しばらく顔も見せないと思えば…晶太。何があった?」
「っ…な、んで…」

勢い良く顔を上げると、眉間に皺を寄せた恋人が真っ直ぐ俺の事を見ていた。
そんなにひどい顔をしているだろうか。
目が合った途端、その皺が更に濃くなった。
その視線から逃げるように目を逸らして、徐々に無くなっていく体温を逃がさないように自分の体を抱きしめた。
上から聞こえてくる溜息に肩が震える。
体から滴る水が容赦なく玄関を濡らしていった。

「分かるに決まっているだろう…とりあえず、シャワーでも浴びて来い」
「で、も…」
「…立て、ほら」
「ご、めん…」

恋人は靴を履いて目の前まで歩いてくると、冷たくなった俺の手首を掴んだ。
いつもは低いはずの秀一の体温がすごく優しくて、体に溜まっていた不安とともに息を吐き出す。
立ちたい気持ちはあるのだけれど、足に力が入らない。
なかなか動けない俺を見兼ねてか、恋人はまた一つ息を吐くと前から抱きしめるように両腕で支えながら俺を立ち上がらせた。
乾いた秀一の服に俺の服の水分が吸い込まれていく。
離れようと慌てて両腕を動かすと、さらに強く抱きしめられて反射的に動きを止めた。

「あ…待って、待って…秀一が濡れちゃうだろ…」
「いいから、大人しくしろ」
「う、ん…」

触れ合った部分からじんわりと広がる秀一のぬくもり。
久しぶりだ。ずっと欲しかった。
肩に頭を乗せると、小さい子をあやすみたいに一定のリズムで背中を叩かれる。
安心しきってしまったのか急に眠気が襲ってきて、恋人に体重を預けたまま酷く重たい瞼を閉じた。

「晶太…?」
「…、…寝そう…」
「バカ言うな。風邪ひくぞ」

引きずられるように歩いていって、促されるまますっかり濡れてしまったスニーカーと靴下を片手で脱いだ。
その場に座らされて待っているとバスタオルを持った恋人がそれで俺の体を包み込む。
乱暴に頭を拭われるけれど、今はそれすらも心地が良い。

「さっき、急に降られたって言ったか?今日は朝からずっと雨だぞ」
「…っ…ご、めん…」
「…はぁ…ずっと外にいたのか」
「…、…うん…」

頬に触れながら体温を確かめる恋人から無理矢理目を逸らす。
言い訳なんて何も思いつかなかった。
わかりやすい嘘をついてしまった。
秀一に会いたいけれど、会ったら迷惑をかけると分かっていたからずっと外で悩んでいたのだ。
雨に打たれているうちにいつのまにか体の感覚がなくなって、寒くて、気がついたら自分はこの玄関で座り込んでいた。

「秀一…ごめ…本当に…」
「…説教は後だ。本当に風邪を引く」
「…うん」

水気を含んだ髪の毛は、本当はセットなんかしていなかった。
初めから濡れることが分かっていたから。
頭を優しく撫でられているうちに少しずつ冷静さを取り戻して、バスタオルを羽織りながらゆっくりと立ち上がる。
そんなに覚束無かったのか、秀一はバスルームの前まで着いてきてくれた。


「落ち着いたか?」
「うん…ごめん」

用意してもらったすこし大きめの部屋着に身を包んで部屋に戻ると、秀一はいつものソファーで煙草をふかしていた。
俺の方を見ずに、静かに声を掛けてくる。
そんな恋人の隣にぴったりと体を付けて座ると、コーヒーの入ったマグカップを渡された。
お礼を言いながら受け取って、湯気の立ち上る様子を黙って見ていた。

「…で、何があった?」
「…え、と…」
「ゆっくりでいい」

マグカップをテーブルに置いて膝を抱える。
吸い終わっていない煙草を灰皿に押し付けた恋人がこちらに手を伸ばす。
少し乾燥した指先が唇に触れて、促すように滑っていく。
それに誘われるように口を開くと、その手は元の位置に戻っていった。

「多分なんだけど…俺、ストーカー…されてる…」
「は…?」
「学校で急に見たことも無い男に好きだって言われて、それで…その日は何にも答えずに逃げて…そしたら…」

流石の秀一も予想していなかったのか、開いた口が塞がらないといった様子だった。
俺だって急に告白なんかされるとは思っていなくて、どうしたらいいか分からなかったのを覚えている。
頭が真っ白になって、全力で走って、気が付いたら自分の家の前だった。
覚えていることを途切れ途切れに話しているうちに、頭の後ろが痺れるような感覚がした。
一度口を開いたら我慢していたものが次々と溢れるように出てきて止められなくなる。

「顔も見た。全然知らない奴で、喋ったこともないから怖くなって…それで終わるかと思ったんだけど、急に家に変な手紙とか届くようになったんだ。俺の写真とか…ど、しよ…俺…ここ来たら秀一にも迷惑かかるかも…ご、めん…本当に…」
「分かった。分かったから…一旦落ち着け」
「そいつが犯人かどうかは分からないんだけど、尾けられてるかも…ここももう見られてるかもしれない…どうしよ…秀一…俺…」

秀一の言葉も聞かずに取り乱した俺は早口で一気に捲し立てた。
体の震えが止まらない。
触れようとする秀一の手を押し返して、目線だけ滑らせながら部屋のカーテンを必死で確認する。
全て閉まっているけれど少しの隙間も怖くて、何度も何度も。
自分の家でやっているのと同じことを一から繰り返す。
そうしているうちに押し返したはずの恋人の手に体を引き寄せられて、痛いくらいに強く抱きしめられた。

「おい、晶太。落ち着け!聞こえるか?」
「え、あ…」
「どうしてこんなになるまで言わなかった」

低くて心地のいい声が鼓膜を揺らす。
体の震えが止まらなくて、必死で恋人の服を握った。
懐かしく感じる秀一の香りを吸い込んでいるうちに力が抜けて、我慢していた涙が視界を滲ませた。
外から、雨の音がする。

「だって…見られてるから…秀一に何かあったら…俺…」
「…そうか。悪かった」

涙声で話し出した俺の背中を飽きることなく擦ってくれる。
もうすっかり子どもと化した俺は羞恥心も忘れて恋人の腕の中で泣き出した。
近くで聞こえてくる鼓動と同じリズムで、トントンと背中に振動を与えられていると頭を支えているのが億劫になってくる。
力を抜いた俺に気が付いたのか、両手で頬を包んだ恋人に上を向かされた。
涙を拭った親指が、目の下の隈を何度もなぞった。

「一旦寝るといい。ひどい顔だぞ」
「…でも…怖くて…見られて…」

寝てしまったら、いつ誰が来るか分からない。
カーテンに遮られた窓の方に視線を向けようとしたけれど、恋人の手によって阻まれた。
眉を寄せながら、真っ直ぐこちらを見つめるエメラルドグリーン。
久しぶりに色を感じた気がして、少しだけ懐かしい気分になった。

「飯は?」
「嫌…食べたくない」
「…分かった。俺が見ててやるから、少しでも寝ておけ。いいか?」
「うん…」

言われるがまま横になって、恋人の膝に頭を乗せる。
そのまま腰に抱き着いて体を丸めた。
息を吸えば、恋人の香りとコーヒーの香りが時間をかけて体に浸透していく。
安心する。秀一がいれば大丈夫だって、体が覚えてるみたいだ。
まだ少し湿った髪に指が触れる。
そのまま頭を撫でられていると、やっと瞼が重くなってきた。
ゆっくりと意識を手放す俺の耳に届いたのは、恋人がどこかに連絡する心地の良い声だった。
どうか、これが悪い夢でありますように。