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今日も最高だった。
そう言わざるを得ない。
バトルを終えた彼はエントランスで沢山の女性ファンに囲まれながらその自信満々な笑顔を振りまいていた。
そんな彼をただ遠くから見るのが俺の生き甲斐だ。簡単に言って仕舞えば覗き見。
バトルをする彼を見ているのがなによりも幸せ。
普段の優しそうな目元からは想像もつかないほどつり上がった本気の瞳。
それがスタジアムの煌びやかな照明を取り込んで、反射して、透き通るみたいにキラキラと輝く。
飛び散る汗、大きな咆哮。次々と変わっていく天候。
荒々しいのに美しい。そんな彼の戦い方は、まるで魔法のようだった。

「はぁ…控えめに言って最高…今日も顔が完璧に優勝してた」

呟きながら両手で顔を覆う。
試合後満足そうに柔らかく笑う彼が、知らない誰かに送るファンサービス。
その時の無防備な笑顔を見るのが好き。
写真は撮れないから、その一瞬一瞬をこうやって記憶に留めておくのだ。
瞬きの瞬間。見え隠れするアイスブルーの瞳。
カメラの画質なんかでは到底表現しきれない。
胸の前で手を組んで、抱えきれない感情と一緒にゆっくりと息を吐き出した。
その時、不意に彼の視線がこちらに向けられた。

「え゛…?」

慌てて周りを見渡した。けれど周りに自分以外は誰もいない。
つまり、つまりはそういうことで。
戻しても未だに合う視線にゆっくりと全身の血が引いていった。目が合うだけでこんなに頭が真っ白になるとは思わなかった。
そんな俺の気なんか知りもせず、ジムリーダーキバナはその綺麗な瞳を細めると八重歯を見せながらこちらに笑顔を向けた。
何の気なしに視線だけでレスを送って見せた彼はそれから、ぱくぱくと口を開いて何かを伝えようとしている。
え、なになに。わかんない。なにを言っているの?何が、起こっているの?
急なことに脳が動かなくて何も理解することができない。
彼は何も反応しない俺に首をかしげると、近くの女性達に何かを告げて手を振りながら人混みから抜けてこちらにゆったりと歩いてくる。
片手を上げて、その宝石のような瞳を細めながら微笑んで、歩いて。
歩いて…?

「え、え…?え…?」

気がついたら、壁に背中を押しつけながら口を開けて固まる俺のことを憧れの彼が見下ろしているこの状況。
突然のことに脳の処理が全く追いつかない。
足が長くて身長差がすごい。くらくらするほどいい香りがする。
なにより、その信じられない程に整った顔面が目の前にあることが受け入れられない。
顔で人が殺せそうだとは思っていたけれど、実際に今俺はあまりのことに横隔膜が上がってしまって呼吸さえままならず死んでしまいそうだった。
まるで美術品のような彼に間違っても触れてしまわないようにと両手をあげて固まる。
出禁にだけはなりたくない。
そんな俺を物珍しそうに眺める彼が何度か瞬きを繰り返した。

「なぁ、こっち来ねぇの?」
「え…あ…?」

グローブをした大きな骨張った手が、先程彼がいた場所を指し示す。
そんな、滅相も無い。俺なんて気にせず、彼女たちと楽しんでくださいな。
言葉が出ずに小さく何度も首を横に振って対応する俺を見た彼は、綺麗な長い指を口元に持ってきて何か考え込む素振りを見せる。
それから、にぱっと太陽みたいな笑顔を向けると、ポケットに手を入れた。

「んじゃ、ここでいっか」
「えっ!?な、な、なんで…何…俺…?」
「お前、いっつも遠くから見てただろ?いつ声かけようか悩んでたんだぜ」

少し腰を折った彼が動揺する俺の顔を覗き込む。
何これ、なにこれ…近すぎてなにも見えない。なにも見たく無い。
ぼやける褐色を直視できずに視線を逸らした俺は、なるべく距離を取ろうと壁に背中を押し付けながら慌てて目を瞑った。
それより今なんて言った?俺、いつの間に認知貰ってたの?
なにこの人。オタクの扱い方知りすぎでは…?ガチ恋量産機?一生推せるんですけど。

「なんだぁ?緊張してんの?」
「へぁ…は…その…」

人生最大の推しを前に完全に死んだ語彙力。
そもそも、突然すぎて会話のネタなんか用意してないし、なにより近すぎて、彼の香りが、体温が。
逆上せてしまいそうな情報量の中、必死に何か繋ぐ言葉を探したけれど口から出てくるのは意味のない単語だけ。
彼を見るふりをして見上げたのは向こう側の壁。
やがて気がつくと、キバナさんはバツが悪そうにオレンジ色のバンダナ越しに頭を掻いていた。

「あ…わりぃ…てっきりオレ様のファンだと思ってたんだが…」
「へ…?」
「…勘違いだったか…?」
「…いや、勘違いじゃないです!さすが。大正解!大好きです!」

気がついたら口からすらすらと単語が出てきていた。
キバナさんを悲しませるくらいならば俺の羞恥心なんてドブに捨てたって何にも問題はないのだから。
そもそも推しの言うことは全部正しいし、推しが綺麗だと言えばそれがゴミだろうとなんだろうと宝石になる違いない。
突然喋り出した俺に驚いたのか、彼はその綺麗な瞳を一瞬大きく開いた。
そして暫くしてから恥ずかしそうに目を逸らして頬を掻く。
初めて見る表情だ。

「そうか…?」
「俺、キバナさんのことずっと応援してて…それで…」
「おうありがとな!じゃあこれやるよ」
「えっ」

彼はそう言うとポケットから自身のリーグカードを取り出した。
キラキラと光るように加工されたそれが、固まる俺の前でこれでもかと主張する。

「サインも書いてやるぜ。名前は?」
「え…へ…あ…?ナマエ…です?」
「ナマエな。いつもサンキュー」

どこからかペンも持ち出した彼は慣れた様子でサインを書き込んでいく。
どうして自分を知ったのか、どこから来たのか。ポケモンは好きかなど簡単な雑談を挟みつつ、目の前で俺だけに向けたカードが出来上がっていく。
突然特典会が始まったのですが、剥がしの方はいらっしゃらないのでしょうか。
やがて恐怖で震える俺に、その眩しい程輝く贈り物が満足げな彼から直接差し出された。
恐る恐る受け取ったそれには彼のサインと、俺の名前。そして「ありがとな」と一言書き加えられていた。

「お金…払いますか…?」
「はぁ?なに言ってんだお前」
「はぇ…好き…」

両手で受け取ったそれを胸の前で拝んで、ほう、と息を吐き出す。
こんなの、夢でも見ているのだろうか。
今自分はあんなに遠くから見ていたはずの彼と向き合って、香りまで分かるような距離で、会話まで。
こんな幸せ、今日の自分だけでは抱えきれない。
ドキドキする胸を抑えながら、手の中のそれを何度も眺めた後ゆっくり彼の方に向き直ると、彼は少し驚いたような表情をこちらに向けていた。
そしてほんのりと血色が良くなったように見える頬を隠すように片手で口を覆うと、すぐに顔を背ける。
そんな様子のおかしい彼を見た瞬間現実に戻されて、血の気が引いていく。

「あ、ごめんなさい…!?俺…何か粗相を…?」
「…前からずっと思ってたんだけどよ、…お前、その顏」
「へ…?」

彼は困ったように笑いながら、酷く艶めかしい手つきで俺の顎に触れるとしっかり視線が交わるように少し上を向かせた。
え…?なにこれ。何が起きているの?
少しずつ近づいてくる彼の顔。ぐるぐると血液が沸騰するみたいな感覚の中、形の良い唇がくっついてしまいそうなほど俺の耳に近づけられた。いい香りで息が止まりそう。

「オレ様の前でだけにしろ。いいな?」

そして彼は甘い甘い蜂蜜のような蕩ける声で、一音一音を紡いでいく。
吐息が耳に当たるたび、その低い声に鼓膜を揺らされるたび、背中を何かが駆け下りていくのを感じた。

「ひっ…ぇ」

無意識に反ってしまう背中を必死に正しながら、思い切り目を瞑った。
じわりじわりと広がる熱が頬だけではなく耳にまで到達していく。
やがてその場に残ったのは耳を押さえて赤くなる俺と、にんまりと笑うジムリーダー。
これでもかと持ち上げられた口角。除く八重歯、限界まで細められた瞳が小さくなる俺を見下ろしている。纏うオーラはまるでドラゴン。
目の前に居る彼はいつの間にか、あんなにバトルで見せていた鋭い目元を今まさに俺に向かって惜しげもなく晒していた。
あれ?優しい顔は?綺麗な瞳は?

「俺…おれ、…あ、あ…」
「なーんてなっ」

じわじわと視界が揺れる。自分が今何をされて、どういう状況にいるのかも分からない。
口から意味の無い単語が次々と飛び出していく。
けれど、全力で混乱する俺を眺めていた彼がくつくつと楽しそうに笑った頃には、いつの間にかいつも通りの優しい顔に戻っていた。

「…また会えるか?」
「えっ?…はい!」
「ん。合格」

俺の答えに満足そうに彼が頷いた途端、いつの間にか繋いでいた手が離されてそのぬくもりが消えていく。
背を向けた彼がこちらに手を振りながら気だるげに帰っていくその様子をただぼんやりと眺めた。
なに今のファンサービス。腰が抜けるかと思った。
へろへろと壁伝いにしゃがみ込んだ時には、すっかり周りには人気がなくなっていた。
誰もいないエントランスで、ゆっくりと息を吐き出す。
危ない。メスにされるところだった。
あんなことされたら、実質結婚したと思ってしまってもおかしくはない。そりゃあガチ恋量産機にもなるわ。
ばくばくと煩い心臓をなだめるように両手を胸に当てる。
できれば次からは、遠くから眺めさせてもらえることを祈って。

ちなみに、彼の手の感触は一切記憶に残っていない。


キバナさんと無自覚推されオタク