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★ ☆ ★




座り込んだ体から直接伝わってくる車の振動。
誰も声を発さないままどのくらいの時間が経過しただろうか。静まり返った車内にはエンジンとタイヤの回る音、それとたまに男のどちらかがイラついたように舌打ちをする音だけが響いていて、俺をさらった男達が無遠慮に吸っている煙草の香りでむせ返りそうになった。
さっき吐いたばかりの胃液がせり上がってくるような気がして口を押さえながら眉を寄せる。
誘拐された割に体が全く拘束されていないのは、完全に舐められているのか、それとも銃を持っているという慢心からだろうか。変な動きを見せたらすぐに殺されてしまうのかもしれない。どちらにしろ、動いている車から逃げるような技術が俺にないのは明らかだった。
なんだか、少し、瞼が重い。
車内の壁に寄り掛かって力を抜いていくたび、壁と髪の毛が擦れるザリザリという音が頭の中に響く。
飛田さんは大丈夫だっただろうか。あんな顔色で、きちんと自分の家に帰れただろうか。あぁ、でもその前に固いもので思い切り殴られたのだから、念のために病院に行って欲しいのだけれど。安室さんに言わないでって約束、ちゃんと聞こえてたかな。そういえば、色々と迷惑を掛けたのに何も言わずに家を飛び出してきてしまったけれど、赤井さんに伝言くらいは頼んでおいた方が良かったかもしれない。安室さん、もう起きたかな。体調は大丈夫だろうか。
段々とぽやぽやしてきた思考があっちこっち揺れるのを自覚しながら、重たくなっていく瞼に抗おうと必死になった。少し苛立っている男の舌打ちやが息遣いがどこか遠く聞こえてくる。
焦ったように走り続ける車が街灯の横を通り過ぎるたび、車窓から漏れる青白い光の線が力の抜けた自分の肌と部屋着を滑っていく。タイヤが小石を踏んで揺れるのに連動して、足元に転がっている工具箱がガタガタと煩く音を立てた。
膝に埋めていた頭を上げると、座っているせいで少し高いところにある窓が見えた。そこから覗く雲のかかった夜空に小さく息を吐く。星も、月も見えない。
車内から吸い込む夜の澄んだ空気のせいか、部屋着だけではなんだか肌寒くて、男たちを刺激しないよう、音を立てないよう気を付けながらそっと自分の体を抱きしめた。なんだか寂しさが膨れ上がって、胸が締め付けられるような気がした。どうして自分はこんなところにいるのだろう。一体どこに向かっていて、これからどうなってしまうのだろうか。
思い切り蹴られたせいでずくずくと痛むお腹の中で色々な感情が混ざり合って煮込まれていくようだった。
寒い。眠い。いつの間にか酷く重たくなってしまったまぶたを持ち上げることができなくて、とろとろと蕩けていくような意識の中で、俺は抗うこともできずに意識を手放した。



夜の香りに混ざり込んだ、強い煙草の匂い。
壁伝いに感じる振動を子守歌にうとうとと眠っていると、急ブレーキで傾いた体。固い壁に頭がぶつかった衝撃で無理矢理覚醒させられて、急に吸い込んだ冷たい空気が少し苦しくて息が詰まった。どうやらあれからそんなに時間は経っていないようで、窓から見える空は暗いまま。
こんな状況なのに眠ってしまっていた自分の行動を不思議に思いながら、まだ重たい瞼を何度も擦っていると、眠る前よりも更にイラついた様子の男達が少しぶれる視界に入った。
感情をそのままぶつける様に乱暴な運転をする男達はしきりにバックミラー越しに後ろを見ながら、誰も付いて来ていないことを確認して、忙しそうにどこかの誰かと連絡を取っているようだった。

「ふざけんな!!」

壁を乱暴に叩く音。振動。怒鳴り声。
どうやら男は電話で誰かと話しているようで、さっきまでの静寂はどこかにいってしまっていた。
それをなんだかまだふわふわとした思考の中で、映画でも見ているかのような気持ちで手足を投げ出しながら眺めた。
さっきから不思議に思っていた事なのだけれど、いつもならば怯えて泣いているような状況のはずなのに、思考がぽやぽやとしていて自分の感情がよくわからない。
目が回るような忙しい一日のせいかずっと張り詰めていた緊張の糸が、こんなタイミングでぷつんと切れてしまったようだった。自分でも緊張感に欠けると思うけれど、長い間緊張していられるほどの体力は自分にはない。

「オイ。クソガキ」

急に鮮明に聞こえた男の声に、下がっていた視線を上げる。
すると助手席に座っていたはずの男が座席を倒して屈みながらこちらに近づいてくるのが見えて、一瞬停止した思考の後にピン、と再び糸が張り詰めていくのを感じた。
なんで、どうして。さっきまでこちらには見向きもしなかったのに。慌てて彷徨わせた視界の中、男が耳に当てている携帯電話とは逆の手で拳銃を持っているのが見えて血の気が一気に引いていくのがわかった。末端まで冷えていって、体全体が小刻みに震えていく。少しでも相手から距離を取るために、背中を壁に押し付けた。
すると男はこちらの感情なんて関係ないと言った様子で簡単に距離を詰めると、持っていた携帯電話を無理矢理こちらに押し付けた。不安を煽るような煙草の匂い。固くて無機質な感触。

「痛っ…ごめ、なさ…っ」
「…出ろ。余計な事喋ったら殺す」
「え…な、に…?」

男の言いたいことが分からないまま、痛いくらいに押し付けられた携帯を慌てて掴むと、電話越しに「もしもし。警察です。聞こえますか?」と男性の低い声が聞こえてきて、限界まで目を見開くことになった。
一瞬、自分に都合の良い幻聴かと思う程に混乱して、落としそうになった携帯を掴み直す。
人質である俺に警察と連絡を取らせるなんて何を考えているのか理解ができなくて、思わず男の顔を見上げたけれど、真っ黒なサングラス越しではどんな表情をしているのかも分からずにすぐに断念した。
男の言う余計な事ってなんだ?何を指している?この状況で警察と何を喋ったら正解なのかさっぱり分からない。間違えてしまったら殺されてしまうであろう状況に、背中を冷たい汗が伝っていく。
何も聞こえないことを不審に思ったのか、警察だと名乗った相手が「もしもし?…大丈夫ですか?」と少し焦りを含んだ声を出した。
口の中がどんどん乾いていくのを感じながらもう一度男を見上げると、さっさと喋れと言わんばかりに男が偉そうに顎でしゃくるのが見えた。
無理矢理押しつけられた携帯に向かって、「あ…あ…の…お、俺…」と小さく声を出すと、「大丈夫ですか?怪我はありませんか?」と気遣うような声。

「あ…えっと…だ、いじょうぶ…です」

何が大丈夫なのか分からない。拳銃を突きつけられて、どこかに連れ去られて、お腹も痛いままだし、胃液で喉も痛む。むしろ何も大丈夫ではないのだけれど、こちらを睨みつける男を前に何を言えばいいのか分からなくて、酷く震える声で一言だけ。大丈夫だと、そう伝えた。
電話口には複数人いるのだろうか。分からないけれど、俺の言葉に反応するように何人かの気配や息遣いが聞こえるような気がした。

「オイ、舐めてんのか?」
「え…?」

けれど、俺の必死の気遣いはお気に召さなかったらしい。
男は苛立った様子で思い切り舌打ちして見せると、汚れた靴の先で俺の顎を掬い、無理矢理上を向かせた。車の壁に後頭部が当たって、擦れる髪の毛の音が頭の中に響く。

「もっと必死に助け求めろ」
「イ゛ッ…痛っ」

そこから何の前触れもなく俺の前髪を思い切り掴むと、持っていた拳銃を俺の頭に突きつける。痛みと恐怖で無理矢理引き出された俺の悲鳴は電話の向こうに筒抜けだったらしく、聞こえる騒音が一瞬だけより一層大きなものへと変わった後にすぐにしんと静かになった。
黒く光る銃口が押しつけられるたび、神経を直接撫でられたみたいにぞわぞわと不快感と恐怖心が背中を滑った。

「やっ…!た、助けて、ください…!殺されるッ!」

男の取った行動の効果は抜群で、俺は思惑通りに警察に命乞いをすることになった。
携帯を持つ手がカタカタと震えてうまく力が入らない。
半ばやけくそになって震える涙声で叫ぶと、電話の向こうで息を呑む音が聞こえた。同時に頭に擦り付けられた銃口がゴリゴリと音を立てるので、その恐怖から逃げるように強く目を瞑った。痛い、怖い。夢なら早く終わって。
しばらくすると満足したのか、思い切り掴まれていた髪の毛が急に解放されて、反動で頭が壁にぶつかった。
それから男は素早く俺の手から携帯を奪い取ると電話の向こうに向かって乱暴に怒鳴りつけた。

「聞こえたか?俺の気が変わってこのガキを殺す前に、お前らは早急に仲間を解放しろ」

相手の答えも聞かずにさっさと電話を切ると、男は怯えて縮こまる俺を見下ろす。
黒いサングラスの暗闇。

「さて、お前にも人質らしくなってもらおうか」
「え…?」


☆★☆



乱暴に転がされた体を縮こめると、床越しに直接タイヤの振動が伝わってきて、頭に、体に、響く。男は、あの言葉のすぐ後に力任せに俺を拘束した。近くにあった工具箱から取り出されたのは、俺を縛るための道具だった。抵抗したときにぶつけたのか、殴られたのか。体のあちこちがずくずくと痛んだ。
少し動こうとするたび、手足を拘束する結束バンドが皮膚に食い込んで、それも痛い。貼られたガムテープが気になって口をもごもごと動かしてみたけれど特に何の意味もなさなかった。
伸びてしまった前髪で少し隠れてしまっている視界の中、見えるのはさっきよりも少し余裕を取り戻した男たちの背中。何かのスプレー缶と空になったお酒の瓶が、俺と同じように荷台の床に転がって、車の揺れに合わせてコロコロと動いている。
未だに震える体を抱きしめるように体を丸めた。
エンジン音と車が風を切る音が聞こえてくると同時に、短く、浅く息を吐く音が身体に響くように聞こえてきた。
この短時間で分かったことが1つだけある。
男たちが、警察に捕まった仲間を解放させるために俺を人質にしたということ。
それが分かったところで自分にできることは何もないのだけれど。男たちの仲間が解放されたからと言って、無事に帰してもらえるとは考えにくい。
痛みで少しクリアになった頭で自分の置かれた状況を少しだけ考えることにした。
警察に捕まった男の仲間が犯罪者なのは確か。
俺には全く身に覚えはないのだけれど、男達は俺を知っている様子だった。どこから追われていたのか分からないけれど、完全に俺を狙っての行為。
思い出したのは、コナンくんと話したときに頭に浮かんだ光景。
響いた銃声と、倒れる誰かの姿。
きっと俺は、見てしまったのだ。男の仲間が誰かを殺した瞬間を。
そこまで考えたところで、頭がズキズキと痛み出して、拘束された両手に力を入れた。
ずっと一緒に居てくださいって、安室さんに、言って貰ったのにな。ずっと一緒にいて欲しいのは俺の方だ。それを懇願しなければいけないのも俺の方。
でもきっともう、俺は助からない。
滲んできた涙が一粒だけ、砂っぽい頬を流れてひりひりと痛んだ。
約束、守れなくてごめんなさい。


とろけるような夜の香り 

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