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★ ☆ ★




目が覚めた時には、柔らかいベッドの中で知らない天井を見つめていた。
あの後、いつのまに気を失ったのかはわからないけれど、吐き出す息の熱さから一連の出来事が夢ではないことだけは理解できた。
体がとにかく重くて自分の体ではないみたいだ。
こんなに高熱を出したのは一体いつぶりだろうか。ここまで辛いものだっただろうかと動かない頭の片隅で考えた。
体中が熱いのに、内側や末端が凍るように寒くて、布団だけでは温まる気が全くしない。
やっと眠れたと思ったら、すぐに意識が浮上する。何度も何度もその繰り返し。
喉奥から勝手に漏れるうめき声が何とも情けなくて泣きそうになった。

「晶太、生きてるか」
「あぅ、…し、にそう…です…」

いつの間に隣にいたのか、すぐ近くから聞き覚えのある低い声がした。
目線だけ動かしてそちらを見ると、いくらかラフな格好をした赤井さんがベッド脇の椅子に座りながら、片手で本のページを捲っていた。
熱に浮かされたまま呟いた俺の返事に「冗談に聞こえないぞ」と苦笑しながら答える。
散々泣いたせいもあって、腫れた瞼がとにかく重たくて、目を開けていられない。
ここは、赤井さんの家なのだろうか。
部屋を見渡すと見える、白い壁、白いシーツ。
あの部屋と変わらないのに何故だか安心できるのは、雑に着替えさせられた大きな部屋着のおかげなのか、それとも熱のせいで安室さんのことを考える暇もないからだろうか。
レースのカーテンから漏れる光が、今が昼間であることを教えてくれていた。

「あ、かいさ…」
「…なんだ?」
「く、るし…」
「…食えないにしても、水は飲んどけ。脱水になる」

いらない、と首を振るけれど、我儘を言うなとすぐに一蹴された。
汗で湿った背中に腕が回されて半ば強制的に体を起こされる。
額に乗せてもらっていた、すっかり冷たさを失ってしまったタオルが額からずり落ちていって、重力に負けたそれがうまく力の入らない手の上に落ちた。
ぶれる視界が不快だという気持ちを隠すことなく眉間に皺を寄せる。
俺の代わりに重たい体を支えてくれた赤井さんからは石鹸の良い香りだけがして、煙草の匂いはしなかった。

「ぐるぐるする…し、んじゃ…う」
「大袈裟だ。飲まねぇなら病院に連れてくぞ」

そう。彼の言う通り、今のこの状況は、俺が散々病院は嫌だと我儘を言った結果だった。
眼前に差し出されたペットボトル。それに刺されたストローをしぶしぶ口に咥えた。
口を開くだけで吐き気が襲ってきそうで怖かったけれど、自分が思っていたよりも体は水分を求めていたようで、飲み込んだ水はすんなりと体に染み込んでいく。

「ほら、これも飲んどけ」

その言葉と同時に口に押し込まれた固形物が、薬の錠剤だと気が付くのに少し時間がかかった。
言ってくれれば自分できちんと飲めるのに。
そう思いながら、苦みを感じる前にと急いでストローを咥える間も彼の手は優しく背中を撫でてくれていた。

「飲、んだ…」
「いい子だ」
「も、無理…限界…で、す…ぐらぐら、する…」

半ば投げやりに呟く。そんな俺を見る赤井さんの視線から逃げるように目を逸らした。
もう起きているのは辛いと彼のたくましい腕を何度か叩くと、ベッドに再び寝かせてもらう。
ぺちんと軽い音を立てて額に冷たいシートが張られるのを黙って受け入れながら天井を見つめた。
優しくされるたび、胸の中に広がっていく黒い何かは、きっと風邪のせいだけではない。
無償で尽くされるような資格なんて俺にはない。贅沢過ぎる。
肩までかけられた掛布団の隙間から彼の方を覗き込みながら、ずっと言えなかった言葉を紡ぎ出した。

「あ、かいさ…ありがとう、ございます…俺、迷惑ばっかり…」
「気にするな」
「あと…ごめ、なさ…」

謝罪するべきことが多すぎて、詳しくは言わなかった。
1番は、こうやって迷惑をかけてしまっていること。
病院に行かなかったのは病院が嫌いだからではない。点滴には慣れていたし、注射が嫌いとかそんな子供みたいなことを言うつもりはなかった。
ただ、全てを失った俺にとっては目の前の赤井さんだけが安室さんと繋がることができる唯一の小さな希望なのだ。病院に置いて行かれてしまったら、記憶のない俺ではもう赤井さんにすら会えなくなってしまうかもしれない。
彼はこうやって善意で面倒を見てくれているというのに、それを利用する自分はなんて最低な人間なのだろうか。償える自信がない。

「ほんと、に…ごめ、なさ…」

安室さんに見捨てられた自分に希望なんてない。もうどんなに足掻いたって仕方がない。まだ縋るつもりかと、もがき続ける俺に本心が訴えかけてくる。
俺みたいなどうしようもない人間が誰かに好かれることなんてないのだから、大人しく家にこもっていたほうが誰も傷つかない。
本当は今すぐに、全てから逃げ出してしまいたい。
諦めてしまった方が楽だということは分かっているはず。そう、そのはずなのに。
まるで自分の中にもう1人誰かがいるかのように「諦めたくない。諦めきれない」と勝手に叫んでもがくものだから、今俺はこうやって見えもしない未来に縋っているのだった。

「晶太」
「…え、」
「あまり考えすぎるな。…大丈夫だ」

椅子に座り直した彼の長い指が、額にかかった前髪を払いのけていく。
ひらけた視界の中で、そんな彼の片手に再び本が居座っているのが見えた。
赤井さんのその口ぶりと表情は、まるで俺の浅い考えなんかすべて見透かしているかのようで、そんな彼から目を逸らさずにはいられなかった。エメラルドが自然光できらりと輝く。
それを視界の端で認識した途端、また自分の中にいる知らない誰かが、この人は信用しても大丈夫だとそんな不確定なことを囁いてくる。

「あ、かいさ…」
「…ん?」
「俺、おれ…あ、かいさんのこと…良、く…知らなくて」

布団から冷たい指先を出して、本を持つ彼の袖口を握った。
自然に、手元の本から目を離した彼の視線が情けなく熱に浮かされる俺の方を向いた。
帽子を脱いでも相変わらず彼の格好は黒くて、白い肌の色をより強調しているように見える。
癖のある前髪が揺れるのと同時、いくらか鋭さを失った瞳がほんの少しだけ細められた。

「あ、あの…それで…」
「…あぁ」
「俺、もっと、赤井さ…のことも…知りたい…と、思います…わ、すれちゃってる…から…」

恩人に向かって、自分は一体何を口走っているのだろう。
思考も、意識もふわふわと浮かんでいくみたいだった。
なんだか少し耳が聞こえにくくて、自分の喋っている言葉もどこか遠くから聞こえてくる。それはまるで薄い膜を一枚隔てているかのように感じられた。
俺が人に関わるなんて、碌なことにならないに決まっている。
全部分かっているのにこんなことを口走ってしまっているのは、きっと体を蝕む高熱のせいで。

「あ、え…と、生意気…言って…ごめ、なさい…わ、すれて…くださ…」

彼のことを利用している分際で、彼のことを知りたいなんて。失望されるに違いない。
掛布団を目元まで引き上げながら、白い天井に視線を彷徨わせた。
ごめんなさいと何度もうわ言のように呟き続ける。
そうしているうちに頭に乗せられた、温かくて大きな手の存在に、慌てて彼の方を向く。
信じられない程優しく細められたその瞳がこちらを向いていて、俺は重たい瞼を必死に持ち上げた。

「お前が、安室くん以外を気にするなんてな…」
「…?」
「彼も大概過保護だからな…見たら卒倒するんじゃないか」
「ぁ、え…?何…?聞、こえな…」

本当に小さく呟かれたその声は、雑音ばかりを拾う俺の耳には届かなかった。
もう一度聞き直した頃には彼の表情はいつも通りに戻っていて、やっぱり見間違いだろうとどこか遠くなっていく意識の中で考えた。
言い直す気がない様子の彼は、俺の目に溜まった涙をタオルで少し乱暴に拭いながら肩を一度だけぽんと叩いた。

「いいからもう寝ろ。ここに居てやる」
「…うん、ご、め…」

彼はそう言うと、手元の本を再び開いて読み始めた。
換気のために開けられた窓から入り込む風が、ゆったりとカーテンを揺らす微かな音。そして、彼の指が丁寧に本のページを捲っていく軽い音が、心地よく鼓膜を揺らしていく。
お礼を言い終わる前に瞼が降りきって、俺の意識は完全に闇に落ちていった。


あなたは誰? 

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