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★ ☆ ★




「うぅ…、…」

全身を突きさすような冷たさの中でゆっくりと目を覚ました。
まだ意識がはっきりしていないのか、ここが夢なのかそれとも現実なのかよく分からない。
目を開けて最初に見えたのは、大きな窓を隠すようにきっちりと閉められたシンプルな分厚い遮光のカーテン。
そこで初めて、自分が薄暗い知らない部屋にいることに気がついた。
慌てて体を起こしてからやっと、ここが彼に閉じ込められてしまったホテルの中だということを思い出す。

「なんだ」

あれは、悪い夢ではなかったのか。
別れる寸前、温度を感じないほど遠くに感じた彼の瞳の青色と、一瞬だけ感じた彼の香り。
どうしてあの時、安室さんは俺のことを一度だけ抱きしめてくれたのだろう。
何もされないよりもよっぽど寂しくて虚しいような気がする。
この密室は外の音すら通さないのか、心がざわつくほどの静寂に包まれていた。
手足の先が凄く冷たくて、凍ってしまったかのよう。
もう一度窓際に目を向けると、眠る前と同じように、変わらずに飛田さんがそこに座っていた。

「ひ、だ…さん?」

椅子に腰かけたまま微動だにしない飛田さんに小さく声をかける。
けれど、しばらく待っても返事がなかった。
簡易のテーブルに乗せられたノートパソコンは開いていたけれど、電源が落とされているのか画面はすっかり真っ暗で。
同じく暗い部屋の中で顔に影が差した彼からは、全く表情を伺うことができない。

「…飛田さん?」

もう一度声を出したけれど彼の口が開くことはなかった。
ただならない空気に思わず息を止めたけれど、耳を澄まして聞こえてきたのは微かな寝息。
俯いて座ったままの彼はただ眠ってしまっているだけだったようで、ベッドに座ったままほっと胸を撫で下ろす。
カーテンが閉まっているとはいえ、窓際で寝ていて寒くないのだろうか。
そこまで考えて、寒いのは自分だということを思い出した。
どんなに手足をこすり合わせても自分の力では温められそうもなくて、飛田さんをなるべく起こさないようにベッドから足を下ろした。

シャワーを浴びるか、それともお湯を沸かして何か飲むか。
暗いままの部屋の中、一人でうろうろと動き回る。
そうしている間にも足元から身体がさらに冷えていくような心地がした。
暖房の電源を探す前に、とりあえずお湯を沸かそうと備え付けのケトルを持ったまま辺りを見回す。
すると、安室さんが出て行った白いドアが、薄暗い部屋の中で浮かび上がるようにこちらに主張しているように見えた。
ぼんやりとそのドアをしばらく見つめたあと、ケトルを握ったままそこに向かって歩いていく。
誰かに操られているみたいな感覚のまま、ドアノブに手を伸ばして回そうとした、その時。
突然、誰かの手に強く肩を掴まれた。

「…っ、っ…っ!?」

触られるまで、全く気配を感じなかった。
気がついた時には掴まれた肩を引かれていて、立っていた体のバランスが崩れる。
驚きすぎて心臓が止まってしまったかと思った。
喉が詰まるような感覚があって、開けたはずの口から悲鳴を漏らすことすらできなかった。
それでも俺は咄嗟に振り返ると、両手で頭を覆って知らない誰かの手から身を守った。
手の中から離れたケトルが床にぶつかって、中に入っていた水が辺りに飛び散った。
結局開けることもできずに閉じたままのドアに必死に背中を押し付けたまま、泣かないように必死に目を瞑った。

「っごめ、…ごめんなさい…、連れてかないでっ…」
「お、おい…」

こちらに伸びてくるその大きな手を振り払おうと必死に両手で押し返す。
息が苦しくてその場にしゃがみ込んでしまいたくなったけれど、ここで負けてしまったらいけないと頭の中で必死に自分に命令を出した。
短く呼吸を繰り返しているうち、我慢していた涙が勝手に溢れた。
そんな俺を見ていたその誰かはすぐに動きを止めると、大きな声で俺の名前を呼んだ。

「落ち着け!森山くん!」
「ぁ、え…?」

静寂を貫いていた薄暗い部屋の中に響いたひたすら大きな声。
驚いて飛び上がった拍子に、その人の顔が見えた。
気がつくとつい先程まで眠っていたはずの飛田さんが困ったような、驚いたような顔でこちらを見降ろしている。
痺れる頭の中に自分の苦しそうな呼吸音が響き渡った。
次の瞬間には、ぱちりという乾いた音の後に暗かった部屋全体が眩しい程に明るく照らされた。
すっかり腰を抜かしてしまった俺はドアにもたれ掛かったままずるずるとその場に座り込んだ。
彼からゆっくり目を逸らした俺の指先に触れたのは、絨毯に染み込んだ冷たい水の感触。

「っ飛田、さ…ん?」
「すまない。そんなに驚くとは思わなかったんだ」

彼は呆ける俺の前にしゃがみ込むと、申し訳なさそうに眉を下げた。
安心したのとは裏腹に、ドクドクと波打つ煩い心臓の音が、目の前の相手にも聞こえてしまいそうなほど身体中に響き渡る。
力を抜き過ぎてしまったのか、自分の力では立ち上がることすらできそうになかった。

「…立てるか?」
「で、きない…です…」
「あー…そうか、すまない…」
「あの…俺も、ごめん…なさい。ドア、開けようと…した、から…」

俺の言葉を聞いた彼が、再度こちらに申し訳なさそうな顔で謝った。
それからすぐにこちらに差し出された大きな手をただじっと見つめていると、彼はハッと何かに気がついたように慌てた様子でその手を引いた。
不思議に思って飛田さんの顔色を伺うと、なんだかよく分からない表情で自身の頬を掻いている。

「飛田…、さ…ん…?」
「触られるの、嫌か?」
「えっ…あ、…?だ、いじょうぶ…です」

別に彼に気を使ったとか、そういう訳ではなかった。
恐る恐る手を伸ばして、空中を彷徨っていた彼の手の平に指先だけでそっと触れる。
慣れないけれど、あたたかい。
じんわりと染み込んでくる人のぬくもり。
けれどそのおかげで、やっぱり自分だけが寒いのだと気が付いてしまって何だか余計に不安になった。

「手、冷たいな…」
「あれ…?」
「ん?どうした?」
「…あ、むろ…さん…来、ました…か?」
「…っ…どうして、そう思うんだ?」

ふと、気がついた。
飛田さんに近づいた瞬間に香ってきたのは、安室さんにそっくりな柔らかい石鹸のにおい。
本当に一瞬だけだったから、もしかしたら気のせいかもしれない。
けれど可能性が捨てきれなかった俺は、いるはずのない安室さんの痕跡を探すため、縋るように匂いの元である飛田さんの首筋に鼻を近づけた。
慌てる彼の声が近くから聞こえてくる。
必死だった俺は、安室さんの名前を出した途端に彼が表情を変えたことに気がつくことができなかった。

「は、森山くんっ!?」
「…うーん…、…」

彼からしたのは確かに石鹸の良い香りだった。
けれど、なんだか安室さんとは少し違うような気がする。
首を傾げながら何度も鼻を動かしていると、やがてずっと宙を彷徨っていた彼の両手が俺の肩を掴んで彼自身から引き剥がした。
背中がもう1度やんわりとドアに押し付けられて、先程と同じように座らされた。
居心地が悪そうな彼を見上げて初めて、自分が今まで何をしていたのかに気がついた。

「あっ…ご、ごめ、…なさ…」
「いや…」

両手を上げて、さっきまでの無礼を謝罪した。
あからさまに顔を逸らす彼を見ていたら何だか気まずくなってしまって、自分の突拍子もない行動を後悔した。
そうしているうちに肩を掴んでいた飛田さんの手が、するりと離れていく。
彼はそれから力の抜けた俺の手を優しく持ち上げて、温度を確認した。

「寒いか?」
「うん、寒い。家に…帰りたい…」
「…浴槽にお湯を張っておく。温まると良い」

伸びてきた大きな手に、1度だけ優しく頭を撫でられた。その手つきは酷くたどたどしい。
俺の意見を完全に無視して事務的に言葉を返した彼は、たまに見せる無表情で俺を一瞥してそれから何も言わずに立ち上がった。
浴室に消えていく彼の背中を眺めていた俺は、その姿が見えなくなってから俯く。
足元に広がる水はすっかりズボンにまで染み込んでしまって、ただでさえ低い体温を余計に奪っていく。
やっぱり、起きなければよかった。
眠る前よりも空っぽになってしまった胸の中をごまかすように膝を抱えた。
いないはずの彼の存在に縋ってしまうなんて、なんて馬鹿だったのだろうか。


メープルシロップで誘い込んで 

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