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呑まれてはいけない

ソファーでくつろぎながら目を瞑った。
今日は働き続けて何日目だっただろうか。やっと、休める。
そう思いながら、これから先の予定をゆっくりと思い出していく。
ポアロのシフト、公安の仕事。組織の方は…
そこまで考えたところで、思考を遮るように鳴ったチャイムが客人を知らせた。
こんな遅い時間に、いったい誰だろうか。
何か購入した記憶はないから荷物が来るはずはないし、きっと勧誘か何かだろうからすぐに追い返してしまおう。
そう思って立ち上がり、映し出された映像を見た僕は思わず目を見開いた。

「みょうじ…くん…!?」

予想もしない人物の訪れに、僕の頭は考えるのをやめてしまった。
急いで玄関に行って鍵を開ける。
そっとドアを開けると、俯いたままの彼がそこに立っていた。

「みょうじくん…ど、したんですか?どうやって来たの?」
「……わ…かんな、です…」

いつもより反応の遅い彼は、舌足らずにそう呟いた。
気のせいだろうか、様子がおかしい。
俯いたまま顔を上げない彼は、その体をふらふらと揺らしている。
今にも倒れてしまいそうなその様子に異変を感じた僕は、そっと彼の頬に触れてこちらを向かせた。
彼の肌に触れた瞬間にいつもより高いと分かるほどに、そこが熱を持っているのが指先から伝わってくる。

「…っ…みょうじ…く、…」
「あ、むろさん…ただい…ま」

一瞬、熱があるのかと思った。
けれど、こちらを向いた彼の真っ赤な顔は風邪のそれとは明らかに違っていた。
ほんのりと目元を赤らめているみょうじくんは、僕を視界に入れると嬉しそうに笑う。
そしてふらふらと覚束無い足取りで数歩進むと、力尽きたようにこちらに倒れ込んだ。
慌てて体を支えた途端にふわりと香ってくるこのにおいは。

「お酒、…酔っ払ってるんですか?」
「わかんな…い、ぐらぐらする……」

そう言うとみょうじくんは、僕の体にぴったりと抱きついて背中に腕をまわした。
甘えるような行動に一瞬反応が遅れる。
そのまま彼は、目を見開いて固まっている僕の肩に頭を擦り付けた。
一体、何が起きているのかわからない。ついていけない。
シャツ越しに伝わってくる彼の体温が少しずつ、確実に自分の欲望を刺激する。

「きもちい…安室さん…いい匂い」
「みょうじくん。…とにかく、水飲んで」

喉からうまく声が出ない。
頭が真っ白になるその寸前、我に返った僕は刺激しないようになるべく優しく彼を抱えあげた。
とにかく、この酔っ払いに水を飲ませないと。
しかし、特になんの抵抗も示さずに腕の中に収まった彼は、そのまま大人しくしていてはくれなかった。
みょうじくんはその潤んだ瞳をこちらに向けると、嬉しそうに目を細めて僕の首に腕を回して抱きついた。
突然自分を包んだ彼の香りに頭がくらくらする。 自分の頭を支えるのはこんなに大変なことだっただろうか。

「あむろさ…いいにおい…俺、うれし…」
「そう、ですか…良かったです…」

耳元で聞こえる彼の掠れた声が、息遣いが、どんどん僕の調子を狂わせていく。
これ以上くっついていたら僕の方が持たない。
様子のおかしいみょうじくんに早く離れて横になってもらうために、僕はベッドルームに向かうことにした。

「ここで待っていてください」

部屋に入ってベッドに下ろしてやると、みょうじくんは手足を投げ出してくったりと横たわる。
なるべく彼を視界に入れないよう振り返って、すぐにキッチンへと向かおうとした。
けれど、逃げるように踵を返した僕の服の裾は、離さないとばかりに伸ばされた彼の手によって捕えられてしまった。

「あ、むろさ…どこにも行かないで…お、ねが…寂し…」
「えと…水を持ってくるので…っ…」
「嫌…いらない…」

苦しそうな声に思わず振り向いてしまった僕が見たのは、力が抜けて無防備にベッドに寝転がる彼の姿。
僕の服を掴みながら、力が入らないのか震えているその指も心なしかほんのりと赤く染まっていた。
まるで熱に浮かされているかのように顔を赤く染めた彼は、くりくりとした大きな瞳に涙をためてこちらを見つめる。
これ以上は、いけない。
僕はすぐにそれから目をそらすと、ごめんなさいと一言言い残して部屋を出た。

「なんだ、今の…」

急いで閉めた扉にもたれかかって、ずるずると座り込むと片手で顔を抑える。
まるで試されているかのようだ。
頭の中の煩悩を振り払うように髪をかき混ぜた後に、重い重いため息を吐いた。
どうしてこんな状態で僕の所になんか来てしまったのだと彼を恨む自分と、僕の所で良かったと安心する自分がせめぎ合う。
一旦精神を落ち着けた僕は、ゆっくりと立ち上がってふらふらとキッチンへと向かったのだった。


「みょうじくん…なにやってるんですか」

コップを持って部屋に入った僕は、目に入ってきたその光景に思わずため息を漏らす。
彼はまた、僕のいない隙に部屋の端に行こうとしたらしい。
その途中で力尽きたのか床の上に転がっていた。
とりあえずそのへんにコップを置くと酔っ払いに近づいていく。

「だめですよ…寝るならベッドで…」
「安室さん…俺…あ、つい…」

うつ伏せで転がっていた彼の肩に手を置いて上向きに転がすと、相変わらず真っ赤なままの彼がこちらを向いた。
どうやら、床が冷たくて気持ちがよかったようだ。
だんだん体が熱いと自覚してきたのか、彼は一つずつシャツのボタンを開け始める。
震える細い指が、綺麗な肌を少しずつ晒していった。
それをただぼうっと見つめていた僕は三つ目が外されたその時に、我に返ってその手をやんわりと握った。

「く、るし…」
「とりあえず、水飲んでください」

相手は、右も左も分からない酔っ払い。
冷静になるようにと、何度も何度も自分に言い聞かせた。
力の抜けたその体を抱き上げて、もう一度ベッドの上に下ろしてやる。
そこで少しだけ冷静になった頭は、いったいどうして彼がこうなったのかが気になり始めた。
どう考えても彼は、自分の限界を忘れてお酒を飲んでしまうような人間ではない。

「お酒、飲んだの?」
「飲んで…な…い」
「…え?」
「先輩に…急に誘われて…お茶だけ、飲んで…たの…に…気づいたら、ここにいて…」

彼の口から紡がれる拙いその言葉を聞いて、一気に血の気が引いていった。
それは、相手にわざと潰されたと言うのだ。
やはり髪を切って顔を出してからは、可愛らしい見た目の彼をそういう目で見る人間が増えたのだと思う。
どうして着いていってしまったのだ。とか、もっと警戒心を持たないといけないとか。そんなお説教よりも先に、僕の知らないその男に何もされていないかという心配が頭を支配する。

「みょうじくんごめん…ちょっと見せて」

僕は一言だけそう言うと、ぼんやりとどこかを見つめたままの彼のシャツに手をかけた。
ひとつひとつボタンを外していって、全部開けたところで念入りに肌を確認する。
その首筋にも胸元にも、どこにもそれらしい痕は残っていなかった。
綺麗な肌をさらけ出したままの無防備な彼は、眠そうに瞼を動かしている。

「なにも…されてないんですか…そいつに」
「な、にも…?され…帰って、きました…歩いて…」

見たところは何もないようで少しだけ安心した。
そろそろ本当に頭が動かなくなってきたのか、僕の言葉は彼の耳に届いていないようだ。
どうやらその「先輩」とやらは思ったよりもお酒に弱かったみょうじくんに怯んだらしかった。
どれだけ飲まされたのか分からないけれど確かにこの酔い方は尋常ではない。
手が触れている胸からは、ドクドクと早く動く彼の鼓動が伝わってくる。

「…ンっ……ぁ」
「…っ…あ、ごめんなさ…い」

思考を巡らせながら夢中で彼の肌に手を滑らせていたけれど、急に耳に入ってきたその上擦った声にぴたりと動きを止めた。
はっと気が付いた時、僕はいつの間にか彼の上に跨っていて。
あれ、どうして、こんな体制…。
混乱したまま、ゆっくりと視線をずらしていった。
すると、うまく焦点の合わない潤んだ瞳で僕を見る彼が、あられもない姿で僕の下で横たわっている。
他でもない自分の手で脱がせたはずなのに、まるで初めて彼の肌を見たかのような錯覚に陥った。
いつも真っ白なはずの彼の肌は胸元までほんのりと赤く染まっている。

「あ…え…と」
「あ…むろさ…く、るし…」

乱れた彼を見てしまった理性が、完全に捕らえられた。
頭が重くて、霞がかかったように真っ白になる。何も考えられない。
一生懸命呼吸をするために開いた彼の口から覗く真っ赤な舌は、まるでこちらを誘っているようで。苦しそうに上下する胸から目が離せなくて。
潤んで熱を持った、深海のような濃紺の瞳に溺れていく。
普段は無表情な彼からは考えられないその乱れた姿は、僕を煽るには充分すぎたようだ。
その瞬間欲望を抑えきれないとでも言うように、自分の喉から嫌な音が鳴った。
いつの間にかみょうじくんは力の入らない手で抵抗するように僕の腕を掴んでいる。
完全に、思考が停止した。
その手首を掴むと、そのまま思い切りシーツに押し付ける。

「う、わ…!?あむろ、さ…?」

もう、抑えられないと思った。
けれど、組み敷かれたまま押さえつけられて、驚いたように目を見開いた彼を見た瞬間。
その潤んだ瞳の中に、いつものみょうじくんを見た気がしたのだ。
僕は、何を…。
急激に頭が冷えていって、僕も同じように目を見開く。
なにがおきたのか分からない。
僕たちは時が止まってしまったかのようにしばらく見つめ合った。

「ご、めん」

先に弾かれたように動いたのは自分だった。急いで力強く握っていたその手首を解放する。
僕は今、一体何をしようとしたのだろうか。
捕らえられていたはずの理性が自我を取り戻していく。

「あ…むろ、さ…」
「みょうじくん…ごめんなさい、僕…」

やっと、自分が体の中に返ってきてくれたような感覚。
酔っ払い相手に僕は今まで何をしていたのだろうか。
もし理性を失ったまま行動し続けていたらと思うと本当にゾッとする。
警報を鳴らすかのように、心臓が煩く主張し続けた。

「もう、大丈夫です」

そう、自分に言い聞かせる。
乱れた彼の服を整えていきながら、気づかれないように静かに息を吐いた。
されるがまま身体から力を抜いた彼は、不思議そうにこちらを見ている。
相変わらず顔は赤くて瞳も潤んでいたけれど、それが冷静になった僕の心を刺激することはなかった。

「あむろ…さ…ね、むい…」
「そうですね…今日はもう寝ましょうか」
「うん…一緒に…」

きっと、突然の事態に気が動転してしまっていたのだと思う。
本当に、どうしようもない。僕も、彼も。
気を抜いた途端すべての疲れが体を襲って、そのまま彼の隣に寝転がる。
うとうとと微睡んでいるみょうじくんの頭を優しく撫でると、彼は気持ちよさそうに目を細めた。
きっと、自分が何をされそうになったのかもわかっていないのだろう。
どうしようもなく危なっかしいこの子は僕が守ってあげなければならないのに。
自分が傷つけてどうするのだ。しっかりしないと。
そう思いながら、甘えるように擦り寄ってくる彼を壊してしまわないように、そっと優しく抱きしめた。


次の日、頭の痛みに苦しむ彼は何も覚えていないようで、どうして僕の家にいるのか分かっていない様子だった。
それを見て罪悪感もあったけれど少しだけ安心したというのは、また別の話だ。