花とカードとポートワイン


私の恋を知る人はとても少ないけど、私の恋を知った人はみんな揃って『冗談だろ?』と言う。私だってそう思う。


初めてスネイプ先生を見たとき、高い鉤鼻と鋭い目付きがパパみたいだと思った。だからグリフィンドールに組分けされてからも先生のことをみんなほど嫌いになれずにいた。

入学して1ヶ月ほど経ったとき。どうしようもなく家が恋しくなって、一人空き教室で籠って泣いたことがある。

気づけば消灯時間はとうに過ぎていて、怒られてしまう恐怖と真っ暗な学校にまた涙が出て動けずにいた。

その時だ。

スネイプ先生が杖明かりと共にどすの効いた声で入ってきた。下から照される険しい顔と地を這うような低い声は、今思えばかなり怖い。

でも当時の私は明かりとホームシックとパパみたいだと思っていた先生の存在とが合わさって、堪らず駆け寄って、

ぎゅうっと抱きついた。

先生はどんな顔をしていたんだろう?面食らった顔なら見ておけば良かった。避けられなかったのはきっと運が良かったんだと思う。

パパは真っ黒な服を着ないし、変な薬だか材料だかの匂いはしないし、もっと分厚くて硬い。重なったパパの姿はすぐに消えた。それでも私は安心しきって、先生の胸でわんわんと泣いた。

先生は抱き締め返してはくれなかった。頭を撫でてもくれない。でも私を引き離しはしなかった。

黙って私が泣き止むのを待って、家族に会いたいと嘆く私の話を聞いてくれた。相槌はなかったけど、遮りもしなかった。

そして最後は私を寮まで送ってくれた。当時は気付かなかったが、私はあの日減点された覚えがない。


それからだ。私の中で先生の存在が変わった。パパの面影を感じられる人から、男の人へ。

ちょっと優しくされて、それが意外で、もっと色んな表情が見たくて、ずっと目で追っていた。単純で有りがちなきっかけ。




毎年クリスマスとバレンタインには花を一輪送った。それが私にできる精一杯だった。毎回同じカードを付けて、恥ずかしいから手書きはしなくて


『You always make me happy.』


それだけ。

赤や黄色や白。花言葉は考えたり考えなかったり、色々だ。花言葉を考えて毎回種類を変えて計14本なんてレパートリー、私にはなかった。

ただ、アナグラムならある。贈った花の頭文字を使うなんていう回りくどいものだけど、私を示すものはそのくらい。気付いて貰うつもりはない。マグルの夢物語にちょっぴり感化されただけ。

それだけ。




卒業の今日は特別な15本目を用意した。いつものカードは


『I liked you the whole time.』


と語っている。


ずっと好きでした


告白で、決別。まだまだずっと好きだけど、いつまでも叶わない恋に焦がれていてはいけない。

一人こっそり地下へと降りて、最後の贈り物をそっと教授の部屋の前に置くと、恋心とともにさよならを言った。


友人と別れを惜しんで湖を見たり暴れ柳にちょっかいをかけたりハグリッドに会いに行ったり、一頻り遊んで玄関ホールに入ると、地下から上がってきたスネイプ先生と擦れ違った。先生を近くで感じた右側だけがぼっと燃えたように熱くなって、全くさよならできていないと思い知った。




「今日でこの部屋ともお別れなんて寂しいわね」

「そうだね」


7年間いつも明るかった友人がしんみりとした空気を作ると、私まで引きずられて落ち込んでしまう。


「ねぇ、リリー。あなた本当に…あら?綺麗な花ね。いつ着けたの?」


右耳の少し上辺りを指差されてふわりと探ると、しっとりと吸い付くような花弁に触れた。誰かのイタズラだろうか?悪質なものではないから、餞別の一種かもしれない。

鏡で見ようとベッドへ向かう。そこには小さな花束が届いていた。赤、黄色、白。色とりどりの、でも纏まりのない花々にはどれも見覚えがある。私はハッとして、鏡で自分の右耳上辺りを覗いた。

飾られていたのは、私がスネイプ先生に贈った最初の花だった。残りの13本が花束になっていて、カードも何もない贈り物に鼻の奥がつんとする。


「リリー?…ハンカチ、あげるわ」


私が先生を好きになったあの日のような、イメージにない先生の優しさ。みんなの言うような先生がすべてじゃない。

花束を抱き締めて泣き崩れた私の肩を、そっと友人が抱いてくれた。


そうして、私の初恋は幕を閉じた。



・・・



5年経って、甘酸っぱい記憶が楽しい思い出に変わった頃。突如として幕が開いた。


「エバンズ?」


仕事終わりにパブのカウンターで疲れを癒していると、不意に声をかけられた。どこか懐かしく心地の良い低い声に振り向いて、私は目を見開く。

後ろにいたのは7年間思い続けた黒衣の人。マグルの服装は新鮮で、でも見慣れた黒一色だった。

先生が後ろ姿だけで5年も成長した私に気づき、更には声をかけてくれたことに、気配を消したはずの恋心が目を覚ます。


「お久しぶりです」

「あぁ、何年になる?」

「5年です」


先生は私の隣に手を懸けて、思い直したようにその手を引いた。


「先生もお一人なら、一緒に如何ですか?」


私は飲みかけのグラスを傾け誘った。

昔なら、こんなこと考えられなかった。毎日見ているだけで幸せだった可愛い青春。ドキドキはあの頃のまま変わらない。

でも対等な大人になった今、働き者の心臓は私を積極的にさせる。

少し迷いを見せたあと、先生は私の隣に腰を下ろした。それだけで私は恥ずかしくなって、誤魔化すようにぐっとグラスを呷る。


「先生は何を飲まれるんですか?」

「もう君の先生ではない」

「あースネイプ、さん?」


これだけのことがむず痒い。苦笑しながら先生を見ると、口角を僅かに上げて笑う彼がいた。初めて見る表情に目も心も奪われる。


「ポートワインを」


そう言った先生に差し出されたのは淡い黄金色がキラキラと輝く美しいお酒だった。


「よくある白ワインとどう違うんですか?」

「飲んでみるか?」


躊躇いもなく差し出されたグラスに動揺して、誘う水面と真っ直ぐ私を捉える漆黒の目を交互に見つめる。

やがて先生がニヤリと意地悪く笑って、からかわれたのだと分かった。スイッと下げられるグラスに私は酒の勢いで手を伸ばす。


「いただきます」


私が挑戦的にニヤリと笑い返すと、先生は片眉を上げてグラスから手を引いた。

てっきり止められるものだと思ったのに、先生はシェアに抵抗がないタイプだった。私はあとに引けなくなって、覚悟を決めて一口喉へ流し込む。


「あ、これ……私がお酒に弱かったらどうするんですか」


初めて飲んだポートワインは普通のワインよりも強く喉を焼いて、専ら甘いカクテルを好む私には酸味が強かった。


「一人でパブへ来る女が酒に弱いと?」


確かに、一人でも飲みに来るくらいにはお酒が好きだし、弱くもない。甘いカクテルを出す店をわざわざ探し歩いてここにいる。

見透かされた気恥ずかしさとばつの悪さにもごもごと口の中で文句を言うと、先生はフッと息をつくように笑って黄金色を揺らしグラスを引き寄せた。

うっすらと私の痕が残るグラスを先生が傾ける。金貨一つ分離れて重ならない唇。その薄い唇に吸い込まれていくポートワインが羨ましく思えて、じっと恋敵のように睨み付けた。


「何だ、気に入ったなら頼めば良いだろう?」

「そ、ういう、わけでは、」


バチリと視線が合って、顔が火を吹いたように熱くなる。慌てて顔を背けても、アップにした髪は熱い頬を隠してはくれない。


「それにしても!よく分かりましたね?私だって。後ろ姿で、5年も経ってるじゃないですか。それに私、グリフィンドールですよ?」


ドッドッドッと暴れる心を逃すように足先を遊ばせて、バレバレの話題転換を試みる。


「私に7年間も花を贈り続けたのは君くらいなものだ」


が、淡い青春を掘り返され心臓が口から飛び出した。

「あの、えっと、」とどぎまぎしたのは私だけ。先生はさして興味がないに違いない。だからさらっと昔を口に出せる。

私はしどろもどろになりながら深呼吸を繰り返し、やっとのことで言葉を返す。


「私からだってバレるとは思いませんでした」

「…我輩は優秀なのでね」


言葉を選ぶような間を置いて、先生は聞きなれた言い回しを選び取った。フンと鳴らした鼻が懐かしくて、ついつい頬が緩んでしまう。


「あの花束、まだ置いてあるんです。ドライフラワーにして」


切り取った青春の一頁。捨てるのが勿体なくて、部屋でずっと私を見守っていてくれている。お守りのようなもの。


「…君は、まだ…?」


珍しい、困惑したような声だった。横を見ると、いつものように眉間にシワを寄せ、いつもと違い眉尻を下げた顔がある。

困らせてしまっている。瞬時にそう判断し、答えを探す。


私はまだ、先生が好きなのだろうか?


空白の5年間、先生を思い続けていたのかと問われればNOだ。でも今心臓はバクバクしていて、お酒よりも強い先生の存在にクラクラと酔っている。

愛を囁かれでもしたなら、絶対に首を縦に振ってしまう。まぁ、絶対にないけど。


「忘れてくれ…」


沈黙を持て余した先生が私の思案を中断させた。馬鹿正直にあれこれ悩みすぎて先生の意図を無視してしまっていたことに気付く。

きっと、「今はただの良い思い出だ」って笑うのが正解だった。即答し損ねた時点で大きなミスだ。

私は何を言うべきか分からなくなって、間を持たせようと甘いカクテルをちびちびと飲み進める。

隣は見れなくなってしまった。




「私、そろそろ帰りますね」


飲みかけのカクテルは早々に尽きてしまい、次を頼む気にもなれず奇跡の再開に幕を引く。先生と会うのはこれが本当に最後だろう。


「姿くらましか?」


数分ぶりに合った目からは何も読み取れない。


「地下鉄です、マグルの。試験には受かったんですけど、バラけた記憶が消えなくって」


いつも行くパブは魔法使い御用達で煙突飛行ネットワークに組み込まれた暖炉がある。しかし今日はマグルばかりの店に来ていた。ロンドンと言えど甘いカクテルを出してくれるパブは一握りしかない。


「なら途中まで一緒に」


先生のグラスは空だった。慣れた手つきでカウンターチェアから舞い降りた先生は、昔から何をしても無駄のない動き。ついつい見とれてしまう。


先生はどこに住んでいるんだろう。休暇中だけ帰る家ってどんな感じなのかな。家で待ってる人はいるんだろうか。そう言えばマグルの服も紙幣での支払も完璧だった。

私の頭を占める人物はすぐ隣にいるのに何も切り出せなくて、歩いて数分の駅はあっと言う間に着いた。地下へと続く階段を前にして、先生はピタリと足を止める。

そこで私はやっと気付く。先生は私をここまで送ってくれたのだと。昔、寮まで送ってくれたように、半歩後ろを行く私に歩調を合わせて。


「ありがとうございました」

「気にするな」

「ここまで送ってくださったこともですけど、花束、嬉しかったです。とっても。結局お礼を言えないままだったのが、ずっと気がかりでした」

「…あれも、気にする必要はない」

「せん…スネイプさんは覚えてないでしょうけど、私、一年生のときにホームシックで泣いていたところを救われたことがあるんです」

「私を見て逃げる生徒は数多くいたが、体当たりしてくる奴は初めてだった。お陰で避けそびれたな」


「えっ」という口の形をしたまま私は固まった。まさか覚えているとは思わなかった。今日は先生に驚かされてばかりな気がする。


「私、あの時スネイプさんの事を好きになったんですよ」


「好き」という単語が、今度はすんなりと出てきた。

「単純でしょう?」と笑うと、先生はぎこちなく首を傾けた。傾げた、というよりは、縦に振るか横に振るか迷った挙げ句、変な方向に固まったような奇妙な動きだった。


「今日はお会いできて、とっても嬉しかったです」


一歩先生に近付くと、先生は些細な私の動きも見逃すまいと身を固くする。じっとその漆黒に映る自分を探って、ぎゅっと先生の眉間に力が入って口が震えた頃、私は一歩下がった。

すると先生は分かりやすく力を抜く。自分の動き一つ一つに反応してくれる様子に胸の奥がじゅんと熱くなった。

これで本当に終わるんだ。私があと一歩でも下がると、先生はバチンと乾いた音と共に消えてしまう。

そう思うと、何かしなきゃという気持ちになる。あれこれ考えて、私は口元に笑みを浮かべる。そして弾むように大きく一歩を踏み出した。

先生が身を引くより先に、その土気色の不健康な頬に唇を寄せる。


「なっ…!」

「また避けそびれちゃいましたね?」


先生は右手で致命傷を負った頬を庇い、左には赤みの走る頬をそのまま晒す。狼狽する先生にニィッと大きく弧を浮かべて、私は満足したことを伝えた。

そして一歩、二歩と、先生から遠ざかっていく。


「ずっと好きでした。…さようなら」


精一杯の笑顔を残して、私は階段を駆け下りた。

改札までたどり着くと、バクバクと耳元で鳴り響く心音を落ち着かせる。誰かの作り話のように、追いかけてくる足音なんてない。これがノンフィクションの世界だ。

とうに諦めたはずなのに気分は二度目の失恋で、つんと競り上がろうとする思いを深呼吸で押し止めた。

天井の染みを数え、星を眺め、ふらふらと意識せずとも家へ辿り着く。ドアノブに手をかけて、そこでようやく下を見た。


そこには一輪の花と小さなメッセージカード


第三幕の開演まであと少し






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