1月9日に感謝を


クリスマス休暇が明けて数日経ったある日、リリーは雪雲にも負けない陽気さで朝食の席にいた。それはもうニコニコソワソワと、隣に座るトンクスが怪訝な顔で見つめていても、向かいに座る男子が新聞の角でつついてきても、にっこりと湧き上がる陽気さのまま微笑み返していた。


「一応聞くけど、どうしたの?変なもの食べた?」

「食べてないよ?今日はとってもいい日なんだ〜!」


とうとう鼻歌まで奏でながらリリーは意気揚々とフォークをジャガイモに突き刺した。モグモグとボイルをマッシュに変えて、チラリと窺うは職員テーブル。

大好きな秘密の恋人の席。

夜空色のカーテンの間から、オニキスが二つ、リリーを見つめていた。

目が合って、それだけでもうリリーは天にも昇るような気持ちで、更に僅かに細められたその両眼が優しさを伴っていたものだから、益々リリーの心は弾んだ。


「何か良いもの見つけた?…げ、スネイプ!何したのリリー?こっち睨んでる!」

「何もしてないよ!」


「まだ…」と付け足したリリーの声は、大広間の天井近くに設えられたふくろう用の出入り口の喧騒に掻き消された。

元来ふくろうは羽音をさせずに飛行する生き物だが何せ数が多すぎる。翼を折り畳み隙間を潜り抜けても抜け出た先で軽く接触してしまうこともしばしばだった。加えて多くのふくろうは大小様々な荷物を抱えている。

リリーの待ち望んだふくろうの姿もあった。

その二羽のメンフクロウは弛んだ紐の端をそれぞれに掴み、中心にはゆらゆらと危なげに揺れるカゴをぶら下げていた。

奇妙なふくろうの共同作業に次第に視線が集まっていく。

今や注目の的となったメンフクロウたちはどこか誇らしげに翼を傾け、スーっと滑るように職員のある一角へと陣取った。そしてそのカゴにくっ付けられた紐の両端を引くように二羽がお互いとの距離をとる。


パカッ


クリスマスのクラッカーよろしく二つに裂けたカゴは、すぐ下の特定の教授を巻き込み花吹雪を吐き出した。花吹雪、より的確に表現するならば、雪崩。

赤、黄、ピンク、斑、色とりどりの美しいバラの花びらがこぞって舞い降りたのは、リリーが先程まで見つめていた黒衣の男。夜の湖に花びらを散らせたら、きっとこんな風になるのだろう。頭や肩、生徒テーブルからは見えないが膝の上にもこんもりと、男、セブルス・スネイプはさながらバラ園から飛び出してきた妖精のように変身した。

カゴの容量を遥かに越えた花びらが降り注いだのはリリーがちょっとばかし頑張ってみたからで、

その頑張りは、どうみても、失敗した。

言い訳をするならば、弁解が許されるならば、


こんな!つもりじゃ!なかった!


花びらはもっとひらひら可愛らしく舞うはずだった。量は張り切りすぎた結果だから笑って許してほしい。でもまぁ花びらすべてに名前を書いたわけでもなし、私だとは分からないから良いだろう。

リリーは笑いたいのに笑えない生徒たちに紛れ、こっそり気配を薄くした。恐々とスネイプを窺えば、真っ赤な顔で俯いて、プルプルと肩を震わせている。ぎゅっと握りしめ立てたままのフォークは、どう見ても感激に心打たれているわけではなさそうだった。


「ヒエッ!」


そしてリリーは禍々しい雰囲気を発するスネイプの上から真っ直ぐ自分へと滑空する元凶二羽に目を見開いた。メンフクロウはカラカラとカゴを引きずり生徒はおろか教授たちの視線まで我が物にしながら迫り来る。その真ん丸い黒のつぶらな瞳がリリーを射抜いた。


「みんな、ごめんなさい…」


リリーとスネイプが立ったのは同時だった。


「エバンズ!ハッフルパフ20点減点!!」


雪雲から雷が落ちた。






冬の地下牢は暖炉を働かせても朝がきつい。スネイプはもう何年もここで過ごしているが一向に慣れは来なかった。渋々ベッドに別れを告げて、まだ覚醒しきっていない頭と身体をシャワーで温め目を覚ます。

朝食前に寄った職員室でダンブルドアに呼び止められた。ちょいちょいと手招きをしつつ嫌な予感のする笑みを向けられれば、自然と眉間にシワが寄るのが道理。


「何ですか、校長」

「おめでとう、セブルス」


ニコニコとブルーの目を細めてダンブルドアが言った。ポンポンと肩を叩かれスネイプはハッと日付を思い出した。


「…わざわざ、どうも」


気まずそうに視線を逸らすのは羞恥からではない。スネイプは生まれて此の方まともに(そのまともすらはっきり分からないが)祝い事を経験してこなかった。ホグワーツで集団生活をする中で知識として得たものはあるが自分が主役になるなど考えもしない。

「おめでとう」と言われたところでどんな顔をすれば良いのか、どんな反応をすれば良いのか、分からないのだ。いや、本当は分かっている。知ってはいるが、出来ない。死ななければ毎年やって来るもので、何がおめでたいのか、スネイプには理解できなかった。

そんな自分を知りながら、ダンブルドアは毎年声をかけてくる。いっそ嫌味なのではと問うてみたが、はっきり「違う」と言い切られ、余計に気まずい思いをした。


誕生日…


好好爺のお陰で気の重いまま向かった朝食の席。黄色の並ぶテーブルで一際目を引く姿に何とか気持ちが上向きになった。

なった、のに、

突如として振ってきたバラの花びらにすべてを台無しにされた。スネイプは握りしめたフォークを杖に変え、花びらを一掃してから犯人を探す。幸いふくろうが黒幕目掛けて飛んでいった。


一体どこの馬鹿が、

……リリー?


目を見開き固まっていたのは私を惹き付けてやまない彼女だった。がっくりと項垂れる姿に僅かならず動揺したが、それ以上に大人数の前で辱しめられたことや誕生日の燻りが抑えきれずに、爆発した。

二羽のふくろうを引き連れ大広間から駆け出していく彼女を反射的に追いかけようとして、多くの視線に我に返る。ギロリと生徒テーブル全体を一睨みしてやれば、ざわざわと各々の朝食へと戻っていった。


「可愛い悪戯ではありませんか、セブルス。20点は厳しいと思いますよ」


スネイプの杖から逃れた花びらをマクゴナガルがフォークで刺す。スネイプがよくよく見ると、それは食用のものだった。朝食の皿に乗るのだからとリリーが妙な気を使ったのだ。


「熱烈なお祝いじゃの、セブルス」


マクゴナガルの逆隣からコロコロと楽しそうな笑い声と共にダンブルドアが耳打ちをした。


「お祝い…?そんな、生徒が知るはずが、」


「ない」と言いかけて、スネイプは白髭を揺らす男を見た。未使用のスプーンをくるくると回し生徒テーブルへ無差別に微笑みかける食えない老魔法使い。

まさか、


「教えたのですね?」


スネイプの声には確信が滲み出ていた。


「生徒の質問には可能な限り答えるのがわしらの務めじゃ」





スネイプはその日一日動く度にバラの香りを漂わせていた。杖の一振りで消し去ることは可能だが、敢えて残しておいたのは、今朝怒鳴ってしまったリリーへの謝罪の気持ちだった。

誕生日が嬉しいかは置いておいて、祝うのは純粋な好意からくる気持ちだとダンブルドアから学んだ。その相手がお互いに大切な人物であるなら尚更だ。

しかしリリーが大広間を飛び出して以降、スネイプはリリーに会えていない。授業の担当もなく、謝罪の気持ちも果たして伝わっているかどうか。

昼も、晩も、とうとうリリーは食事に顔を出さなかった。しかし行動を共にしているトンクスが大広間の料理をくすねている姿を見たから、どこかしらで食べてはいるのだろう。


ただ、私と顔を合わせたくないだけで


教師と生徒というのはとても厄介だ。同じ城で暮らし毎日顔を見て話せるというのに、肝心なときに話しに行けない。スネイプは自室でうろうろと扉前を往復しながら顎に手を当てる。

今日のことでダンブルドアにバレているのは確定的だ。もういっそ堂々と呼びつけてやろうかと考えて、冷静になれと深く息をした。


呼び出して、それでどうする?


色々思うところはあれど好意を踏みにじってしまったと丸一日バラの香りに耐えてきた。だが彼女にも問題はあったはずだ。祝うなら私にそう言えば良い。何も大広間であんなことをしなくても…。

自分の面倒な部分が湧き出てきているのを感じ、かぶりを振った。ソファに深く腰掛けて目を閉じれば、思い出すのはがっくりと項垂れた彼女の姿。その少し前に幸せの絶頂のような彼女と目が合っていたから、その落差がズドンと大きく心に響く。


あぁ、そうか

彼女は私が誕生日だったから、

贈る花びらを想像していたから、

あんなに幸せそうだったのか


途端に灼熱が身を焼くような衝動に駆られた。

やはりこのままでは駄目だ。今日という日が私にとって特別であるというのなら、無条件に祝われることに咎がないのなら、残り少ないこの時間を分け合いたいのは一人だけ。


「リリー…」


その名を口にして、痛いほどに焦がれた。

扉に手をかけ勢いよく開く。しかし踏み出した足は障害物によって止められた。スネイプは目を見開き息を呑んで掠れる喉を震わせる。


「リリー…」


うっかり誰かが聞いていないとも限らない廊下で、二人きりでもあまり呼ばれない自分の名前に、リリーは全身で驚きを表した。固まって動かないスネイプにリリーがおずおずと道を譲る。


「私は、出直しますので…」

「…いや、用は済んだ」


扉を開けたままスネイプは自室へと足を向け直して、チラリとリリーを窺った。くすんだ頬に青く変わった指先。僅かに震えているようなその様子にスネイプの眉間がグッと深まった。


「来なさい」


取った彼女の手は氷のようだった。その凍てつく指先をぎゅっと握り、ソファへ杖を向ける。足先もすっかり冷えきっているのだろう。覚束ない足取りでされるがままになる彼女を急拵えの暖炉前特等席へと座らせる。

自分がここでぬくぬくと悩みに耽っていた間、彼女は寒い廊下で同じく扉の厚い隔たりを前にしていた。


「あの、スネイプ先生、」

「何だ?」


スネイプはリリーの隣へと腰を下ろすと彼女の両手を引き寄せ自分の両手で包み込んだ。普段は自分の方が奪う側だが今日は少しでも自らの熱が移るようにと肌を密着させる。

リリーは僅かに赤みが差した頬でバクバクと暴れる心臓を抑えつけていた。怒濤の熱にじんじんと疼く身体のあちこちが賑やかな心臓と合わさっていく。


「今朝は、ごめんなさい…」


減点を言い渡したときのスネイプの赤茶く変わった形相を思い出し、リリーは顔を伏せた。もう怒っていないと分かってはいたがどうも目を見る勇気が持てなかった。

ゴソリとスネイプの身動ぐ布擦れがして、リリーの額の少し上にふに、と柔かな感触がした。リリーがふっと見上げると、スネイプの顔が迫り、今度はコツリと額に感触。額同士を合わせ、お互いの鼻を擽り合う距離にリリーの体温が爆発的に上昇した。

寒さなどすっかり消え失せて、リリーが目を泳がせる。スネイプは目を伏せていたためこれ以上ない至近距離で目が合う気まずさはせずに済んだ。リリーはスネイプの薄い唇がゆっくりを開いていくのを見つめる。


「謝るのは私もだ。すまなかった。君の好意をあんな形で踏みにじってしまった」


スネイプの唇が、睫毛が、僅かに震える。


「言い訳にしかならないが、私は誕生日と言うものに頓着なく過ごしてきた。祝われても、正直どう反応して良いのか分からない…」

「先生は誕生日をお祝いされるのが嫌いですか?」

「嫌なわけではない。ただ…戸惑う」


スネイプがゆっくりと前を見ると、リリーの瞼は閉じられていた。長い睫毛に通った鼻筋、頬には赤みが戻っていることにスネイプは安堵する。


「誕生日の意味合いは人それぞれです。私は…私が先生の誕生日に思うのは…感謝」


リリーの瞼がゆっくりと持ち上がる。二人の視線が絡み合い、お互いの瞳に自分だけが映されている世界に安らぎを得た。


「スネイプ先生。生まれてきてくれて、今こうして私の側にいてくださって、ありがとうございます」


「恥ずかしいですね」とはにかんで、リリーが身体を離した。火照った身体を冷まそうと、両手を包まれていた場所からするりと抜いて、パタパタと扇ぐ。


「リリー」


スネイプはひらひらと動くか細い指を絡めとり、引き寄せた。倒れ込むリリーの体温に満たされて、片手を背に回し、彼女の首筋に顔を埋める。自分の背にも彼女を感じ、ぎゅっと掻き抱くように力を強めた。


「ありがとう」


私の側にいてくれて

私の生まれた日に意味を持たせてくれて

私の愛に応えてくれて


スネイプの頬にきらりと滴が伝った。


「先生、私プレゼントも用意したんです。今朝の以外に」


大広間でのドタバタを思い出しクスクスと笑うリリーの心地よい響きを全身で味わう。背に回されていた彼女の腕が去るのを感じ、スネイプは腕を辿ってその手を止めた。


「君の好意は後で有り難くいただく。だが今は…」


言いながら、スネイプは名残惜しい体温を離す。


「先生、」

「見るな」


見開いたリリーの目が自分の濡れた頬に注がれているのに気づき、スネイプが彼女の目を手で覆う。気恥ずかしさに赤みの差した頬も共に隠せたことに安堵して、そっと唇を寄せた。






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