あの教師にも体温がある


面倒なやつに見つかった。最悪だ。休暇中のダイアゴン横丁を存分に楽しむ予定だったのに。人通りの多いここでの姿くらましは巻き込み事故が発生する。一刻も早く撒きたい焦りと、忠告を素直に聞き続けようとする優等生魂がせめぎ合っていた。


「なぁ、リリー!少し話したいだけだって!」

「お断りします!ついて来ないで!」


『少し話したいだけ』何度この言葉に騙されたことか。一学年上のアイツが卒業するまで散々言い寄られてきた。もう懲り懲りだ。

姿くらましをするため人のいない方向を選んで走る。ふと気付けばノクターン横丁にまで入り込んでいた。陰湿な雰囲気に呑まれそうになり、背後に迫る靴音に頭を振った。どこへ、どうしても、どういう意図で。定めようとする思考は上手くいかず、追われながらの現状では零れ散らばってしまう。

どこか、身を隠せる場所を。

この場所がお似合いな人影たちを避けながら路地を闇雲に移動した。何度目かの角を曲がり、背後の気配を探ったとき。カランコロンと恨めしいくらい軽やかな音を響かせそばの扉が開いた。ぬっと現れる黒のマントに身を竦ませる。しかしそれに乗っかる顔を見たとき、私は思わず安堵の息を漏らした。


「スネイプ先生!」


彼の表情はホグワーツで見るものよりも険しかった。私がここに入り込んでしまったことに怒っているのだろう。或いは今から巻き込まれる面倒事を察してか。


「ミス・エバンズ、ここは生徒が立ち入るべき場所ではない」

「えぇ、はい、分かっています。ですが追われてるんです!助けてください!」


バタバタと探し回る靴音に肩を震わせれば、先生は私の来た方角を睨み付けて舌打ちをした。あぁ、ダメかもしれない。自己責任だと放置される。彼へと伸ばしかけた手は自然と自分へ返ってきた。


「苦情は一切受け付けん」


先生がため息混じりにそう言った。


「何を――」


顔を上げ意図を窺おうとしたその瞬間。バサリ、と布を翻す音がして、私は暗闇に包まれていた。背を押され、身体をグッと温かいものに押し付けられる。鼻に迫る独特の匂いは地下牢教室のそれに近い。トクトクと私よりもゆったりとした心音に動揺する間もなく、背後で立ち止まった靴音に身を固くした。


「ス、スネイプ先生、お久しぶりです」


私を追い回していた男の声がする。


「ここに用があるようには見えんが?」

「あ、っと、人を探してまして。誰か来ませんでしたか?」

「あぁ、一人。だが我輩の顔を見るなり逃げた。あの様子ならダイアゴン横丁へ戻るだろう。君も用がない場所へは近付くな」


これ以上用はないはずだった。しかしアイツが立ち去る気配はない。私は触れていた黒衣を握りしめ、息を潜めた。スローテンポの心音に意識を傾ければ、不思議と自分も落ち着いていくような気がした。


「このマントの下が気になるかね?」


鼻で嗤う先生の振動が伝わってくる。アイツの反応は分からなかったが、先生は言葉を続けた。


「我輩とて女を連れる日もある。だが生憎と君に見せてやるつもりはない」


先生はマントごと私を抱きしめた。まるで本当に「そう」であるかのように。きっとニヤリと意地悪な笑みも浮かべたことだろう。スリザリンを贔屓するときのような。

遠退く靴音を聞きながら、私はホッと気が抜けて身動ぎをした。

途端、腰に回る手が私をマントの下へと引き戻す。無遠慮な手つき。熱烈な抱擁のような密着。私の心臓は爆発したというのに、元凶は何ら変わらぬペースを保ち続けていることが何とも悔しい。


「我輩の好意を台無しにする気か、馬鹿者」


程なくして、マントの下から私を吐き出しながら先生が言った。どうやらタイミングが悪かったらしい。曲がり角の向こうへ消える直前振り返るとは、アイツの勘は恐ろしい。私は何度もお礼を繰り返しながら、ダイアゴン横丁へと向かう先生の足取りを追いかけた。


「彼の在学中は最悪でした。いっつも追いかけ回されて。卒業してやっと解放されたと思ったのに。出会すなんてついてませんね」


無言の空間が気まずくて、聞かれてもいない愚痴をベラベラと話す。先生は無関心を貫き、ただ真っ直ぐ前だけを見ていた。助けてくれた優しさに調子に乗って、流暢に言葉を並べる。例え口を滑らせても休暇中の学外では減点に怯える必要がない。


「本当に助かりました。お礼に一杯奢らせてください。買い物にも付き合いますよ」


道中、相槌はなかったが遠ざけられることもなかった。何事もなくダイアゴン横丁に戻れたのは間違いなく先生のお陰だ。


「買い物を続けたいのは君の方だろう。残念だが、それに利用される気も生徒に奢られるつもりもない。買い物は日を改めることだな」

「利用するだなんてそんな!また見つからないうちに用だけ済ませることにします」

「ならば有用な呪文を教えておいてやる。君が明日の日刊予言者新聞に載れば我輩とて目覚めが悪い」


いくらなんでもそこまで酷いことにはならないだろう。しかし先生の言う呪文に興味が湧いて、私は首を縦に振った。

ダイアゴン横丁の片隅で、臨時の闇の魔術に対する防衛術が始まる。いつも柄杓を握る手が今日は真っ黒な杖を掴んでいた。空を滑る杖先を真似て、呪文も先生に続いて復唱する。教えられたのは特定の相手から姿を消す呪文だった。


「理論を思えば当然ではあるが、姿がなくなるわけではない。触れれば感知されてしまう」


何度目かのチャレンジで、私は呪文を成功させた。ふと視線を逸らせた隙に先生の姿は消え、私はポツリと通りに取り残される。


「スネイプ先生……?」


ふわりと控えめに、肩を見えない何かが触れた。

怖くはなかった。じわりと体温が伝わって、指でトントンと叩かれる。先程の言葉を証明するような仕草。その手が離れても、先生は姿を現してはくれなかった。


「ありがとうございました。また学校で」


反応はない。聞いてくれていたかも分からなかった。

休暇が明ければまた希薄な教師と生徒が始まる。例え今日の出来事が先生の中で消されても、私の垣間見たセブルス・スネイプは残るだろう。彼が嫌みで贔屓なだけの人物ではないということを。






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