見送り


『私は行くべきではない』


スネイプの主張はリリーとトムによって棄却された。




紅の車体は何十年経っても変わらない。キングズ・クロス駅の9と3/4番線は二種類の人間で賑わい、今日という日を各々過ごしている。まさか自分が見送る側としてここに立つ日が来ようとは。


「トム、困ったときは周りを頼ること。もちろん私たちも手紙を待ってるよ。それと、リーマスから聞いた話をよく思い出して」


壁に背を付けて立つトムの目をしゃがんだリリーが覗き込む。そこに予想以上の不安を読み取ったのか、彼女は優しくトムの手を包み込み微笑んだ。スネイプはそんな二人の様子を横目で見ながら、盗み聞く者がいないよう周囲に睨みを利かせる。


「リーマスおじさんは……見つかったんですよね」


トムがチラリとこちらを見て、釣られたリリーからも視線が向けられた。いくらルーピンが魔法省に人狼への認識改善を働きかけたところで数年でどうにかなるものではない。ホグワーツ在学中、トムはその個性を隠し通すことになる。


「付き合う人間を見誤らなければ問題ない」


そんな一言で安心できるものではないだろうに。トムは静かに頷いて、またリリーと向き合った。しかしここに着いてからずっと片手は私のローブを掴んだまま。随分と懐かれたものだ。だがあまり注目を浴びるべきではないだろう。私といては好き勝手な噂話の標的にされてしまう。


「そろそろ乗った方がいい」


話が尽きない様子ではあったものの、ホームに残る子供の数が減ってきたこともあり、そう促した。リリーが手を離すとトムはトランクを掴む。しかし依然として私のローブは離さなかった。それどころか一層強く握りしめてくる。

リリーが立ち上がり譲った場所に、スネイプが片膝をついた。


「このまま一緒に帰るか?学校が義務付けられたのは私が校長に就任したときだけだ。今は手紙一つで辞められる」


トムは首を横に振った。ようやくスネイプのローブを離すと、両手でトランクを抱える。


「私の口から直接話したことはなかったが……私にはリリーという無二の人がいる。我々の出会いはホグワーツではないが、学校へ行けば君にもそんな出会いがあるだろう。あのリーマスにすら友ができたのだからな」


トムは同じ苦悩を持つルーピンの言われ様に、彼の親友でもあるリリーを上目で窺った。彼女は視線に気付くとわざとらしく顔を歪めて見せ、足元にしゃがむ夫へ拳骨を落とすジェスチャーをする。二人が微笑み合うと、ぬっとスネイプの腕が上がりリリーの手首を掴んだ。まるで後頭部に目があるかのような正確さにトムの目が丸く開かれる。


「だが無理に作る必要もない。リリーがそのタイプだった」


スネイプがグイと掴んだ腕を下へ引いた。リリーは導かれるまま彼の隣へとしゃがむ。夫の癖付いた表情を真似て、心外だとばかりに視線をやった。


「友人がいなくてもどうとでもなりましたけど、私だって七年の頃には話す人くらいできていました」

「――だそうだ」


肩を竦めたスネイプにトムが控え目に笑う。

ホームに残る子供は僅かとなり、発車の時間が迫っていた。しかしまだトムの足は動かない。期待に胸は膨らんでいるものの、どうしてもあと一歩が踏み出せないでいるのだ。


「トム、我々は君が穏やかに過ごせることを願って、その体質を公にするべきではないと考えている。だが秘密を一人で抱えるというのは大きな負担だ。私にはリリーがいた。リリーは……私にすべてを話してはくれなかったが」


チクリと過去を刺しながら、スネイプが細めた目をリリーへ流す。根に持っているわけではないが忘れたわけでもない彼に、リリーが苦笑いを溢した。


「秘密を打ち明けるに相応しい者を見つけた場合は、君の判断で話せばいい。それが正しかったかはいずれ分かる。万が一問題が生じれば、周りの大人を利用してやれ。我々が君に提供するものは金銭的な援助だけではない」

「はい、セブルスさん」


トムの声は力強かった。しかしその声に反して彼はトランクから手を離す。


「どうし――」


訝しむスネイプが眉間を深めると、トムは勢いよく踏み出し彼の胸へと飛び込んだ。反射的に腕を広げたスネイプがそれを受け止め、困惑を浮かべながらリリーに助けを求める。クスクスと笑った彼女は「私も仲間に入れてください」と包容に加わった。


「僕、こんなんじゃ、グリフィンドールに入れない」


スネイプの肩に呟かれる独り言のような呆れ混じりのトムの声。


「あんな場所、避ける方が正解だ。私はスリザリンで、リリーはレイブンクローだった」

「ハッフルパフはどうですか?」

「……平和だ。騒々しい者もいるがな」




「いってきます!」


特急の窓から身を乗り出しトムが手を振った。同じコンパートメントには初々しい顔が並んでいる。彼もまた、今日の出会いを一生のものとするのかもしれない。


「振り返してあげないんですか?」


右手を挙げたままのリリーが、左側で石像のように佇むスネイプの脇腹をつつく。彼はひゅっと口角を下げ薄く開いた唇から息を吐き出すと、軽く右手を挙げた。すぐに下ろされてしまったその腕へリリーが指を絡める。

スネイプは真っ直ぐトムのいるコンパートメントを眺めていた。

学友と話しながらも手を振り続ける家族も、隣で寄り添う家族も、周囲の目などどうでもいいらしい。気にしているのは何年経とうと消えない噂の中心にいる自分だけ。

彼女たちの温かさは底が見えない。そこに飛び込むことも、沈み行くことも、恐ろしさが勝っていた。自分には過ぎ物だと。しかし今は、そこに沈潜する自分を受け入れることができる。


やがてホグワーツ特急は生徒を乗せて走り去る。もくもくと上がった煙が消える頃にはホームに人は疎ら。

お互い初めての見送りだった。ローブを揺らめかせる喪失感。身を浸すリリーに付き合って、スネイプは周囲の視線を意識の外へと追いやった。

10分ほどそうして過ごしてから、ようやくリリーが身動ぎをしてスネイプを仰ぐ。ふわりと微笑む彼女を合図に、スネイプが身を寄せると、バチンと乾いた音が響いた。




「寂しくなりますね」


二人の姿は住み慣れた街へと戻っていた。スネイプが杖を取り出し、一階の窓すべてにカーテンを引いた家の扉をコツリと叩く。先に通されたリリーに続き、彼も中へと帰った。


「クリスマスには帰ってくるだろう」


首元を緩めたスネイプが部屋の隅に設えた黒皮のソファへ身を沈める。隣を叩いて誘えば、リリーは彼に触れるほどそばへと腰を落ち着ける。しかし心はまだそわそわと去り行く紅の車体を追いかけていた。


「友人と残るかもしれませんよ」

「毎月脱狼薬を届けに行く」

「マダム・ポンフリーへ渡すだけです」

「私はここにいる」

「…………」

「何だ、私だけでは不満か?」


スネイプは身体を捻りリリーの顔を覗き込む。しかしその目を捉える前にフイと逸らされた。そのくせ立ち去るわけでもない彼女にスネイプはクツクツと湧き上がる愛念のまま喉を震わせる。


「……狡い」

「随分と今更なことを言う」


スネイプが指先でリリーの指先の一本一本を辿っていく。


「トムがいるときは君に触れるわけにはいかなかったからな。……こんな風には」


甲を通り過ぎローブの袖口を潜ったところで、振り向かせるように彼女の頬へ添えていた手を滑らせた。わざと口端へキスを落とせば、ほんのりと熱の灯る瞳がスネイプを映す。しかし彼女は数度の瞬きで熱を消してしまう。


「ランチにしませんか?午後は仕事に出る約束なんです」

「……分かった」


名残惜しさも見せず離れていく黒衣が立ち上がった。キッチンに続く階段へ向かうその背に、リリーがソファから声をかける。


「触れたかったのがご自分だけだなんて思わないでください」


途端、スネイプの歩みがピタリと止まる。ジャリ、と靴先をにじり大股でソファへ戻ると、手のひらをリリーの目へと被せた。彼女は何事か問いかけようとして、ソファの背に増えた重みに笑みを浮かべる。


「そんなもの、君の目を見れば分かる」


スネイプは黒皮に片手を付き、ちゅ、と音をさせ口付ける。首に回される彼女の腕を感じながら薄く開く唇に誘われ深く味わうと、離れがたいとわざとらしく息を吐き出し身体を起こした。


「今日くらいは店仕舞いを店主に押し付けてしまえ」


言外に早く帰ってこいと残し再び離れるスネイプを追って、リリーもソファから立ち上がる。トムと三人で過ごす豊かさとはまた違う幸福を噛み締めながら。スネイプもまた、今がある喜びに心を浸していた。






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