未来への一言


また夏が来た。父さんの始めた店で過ごす何度目かの夏。他への就職をやめてここへ留まったのは、この店と料理が好きだったから。所謂地元民に親しまれるタイプのお店。周りのどこよりも開店時間が早いことが売り。

カランコロン、とカウベルが鳴り、反射的にお決まりの挨拶をした。振り返って確認すると、そこには重苦しい黒衣のお客。とても夏の似合わないその姿に、私は夏を感じてしまう。あぁ、今年もこの時期が巡ってきたのかと。


「お久しぶりです、スネイプ先生!1年ぶり――いや、今年は冬休みにも来てくださいましたね」


先生はいつも隅に座る。そして注文もいつも同じ。飽きないのだろうかと父の隣で呟いて、飽きない味なんだと怒られたことがある。


「朝から随分と賑やかな店員だな」

「ありがとうございます。いつもの、ご用意しますね」

「あぁ、頼む」


褒められたわけでないことくらい分かっている。それでも今日は、先生を見たときからワクワクと心が踊っていた。


「パパ、スネイプ先生が来た!」


厨房へ入り父さんを押し退け杖を構える。トースト、目玉焼きをプレートへ盛り付け、トマトは軽く炙るだけ。自家製のソーセージもこの店の売り。不安なのはベイクドビーンズ。去年先生へ出したときは『レシピを変えたのか?』と聞かれてしまった。父さんは合格点をくれたにも関わらず。あの一言で私は本格的に料理に目覚めた。ぼんやりとした好きの気持ちじゃなく、一人の料理人になると。今日は先生へのリベンジだ。

ドキドキと暴れる心臓を押さえつけ、完成した料理を運ぶ。今日は珍しく客が少ない。私はそのまま先生のテーブルに着いた。歓迎していない表情にめげず促せば、先生は渋々フォークを手に取った。一口、二口、私の挑戦が先生の中へ消えていく。


「どうですか?」


とうとう耐えきれなくなって、そう尋ねた。


「例年通りだ」


返ってきたのは待ち望んだ反応。飛び上がりたいのを気持ちだけに留め、足先から興奮を逃がした。


「今日のは全部私が料理したんです!」


訝しむ先生に伝えれば、納得したと表情の緊張が溶ける。先生が食事で足止めされているのをいいことに、私はこの1年間の頑張りを語った。こんなに騒がしいBGMはないだろう。流されているのかと思えばたまに相槌がある。それが嬉しくて、私の口はうんと働いた。

口以外でも働いて、先生が食べ終わる頃には再びお喋りタイム。


「継ぐのか?」


不意に先生から尋ねられた。


「いえ、それは……正直分かりません」


ティーカップをソーサーへ置き、先生が片眉を上げた。

継ぐかもしれないし、継がないかもしれない。それはこれから踏み出す未知の世界にある何か次第。父さんは好きにしろと言ってくれている。


「フランスへ行くことにしたんです。料理の勉強をするために」

「……そうか」

「ちょうど1年前、『レシピを変えたのか?』って聞かれたこと、覚えてますか?」

「あぁ。まさか、あれは――」

「私が作ったんです。父には合格点を貰っていたんですけど、すごく悔しくって」


先生が帰った後のことを思い出し、つい笑ってしまった。父さんや馴染みの常連客をも巻き込んで頑張った日々。


「不味いと言った覚えはない」

「えぇ、分かってます。先生、完食してくださったから。眉間にシワもなかったし」


ニヤリと口角を上げれば、先生の眉間が見慣れた形に変化した。先生は何か言いかけて、息を吐き出すだけに留める。


「あれで火が点いたんです。もっとしっかり料理の勉強をしてみようって」

「あの一言で?」

「あの一言で。……紅茶のおかわりは?」


真面目な話に照れ臭くなって、誤魔化すように空のティーセットをかき集めた。


「いや、結構。そろそろ失礼する」


持っていたティーセットを厨房へ下げ、先生の元へと戻る。会計を済ませればさっさと出ていってしまう彼が今日は足を止めたまま。何か間違えたのかと問えば、首は横に振られた。


「……おめでとう。君の門出に」

「――っ!ありがとうございます!」


先生らしくないストレートな言葉が胸に突き刺さる。いや、らしくないのは私の思い込みなのかもしれない。ここで話した回数だけ、私の中で先生の柔らかな印象が増えた。


「スネイプ先生!また明日ー!」


大きく叫んでストリートを北へと歩く黒衣に手を振った。例年通りなら、先生は明日も明後日も来てくれる。私の無駄話に付き合いながら、私の料理を食べてくれる。振り返った先生は呆れた笑いを浮かべていて、ダラリと下げていた手を僅かに上げた。






夏期休暇、殆んどスピナーズ・エンドへは帰省しない。しかし人の暮らさない家と言うのは厄介で、どこから来るのか魔法生物が勝手に住み着く。そんな生き物たちに荒らされては困る蔵書がいくつかあり、全く帰らないわけにもいかなかった。

今年の滞在は1週間。冷蔵庫には適当な惣菜を用意した。しかし朝食だけは行きつけの店で済ませる。もう何年もそうして過ごしてきた。

カランコロンと入店を知らせる調べに店員が愛想よく反応する。魔法使い御用達のこの店では勝手にセッティングされるテーブルやローブ姿が当たり前。持ち込んだ日刊予言者新聞を隅のテーブル席へ置き、店内を見渡せる位置へと陣取った。


「お久しぶりです、スネイプ先生!1年ぶり――いや、今年は冬にも来てくださいましたね」

「朝から随分と賑やかな店員だな」

「ありがとうございます。いつもの、ご用意しますね」

「あぁ、頼む」


大勢の生徒のうちの一人に過ぎなかったエバンズ。ここで偶然の再会を果たしてから、いつ来ても彼女は変わらない。ここが実家だとか、ソーセージは自家製だとか、トマトは自分が育てているのだとか。仕事の合間に雑談を挟んでいく。

先に運ばれてきた紅茶を飲みながら新聞を広げた。大して興味のそそられない記事を斜め読みしていると、エバンズがトーストや目玉焼きなどの定番メニューを盛り付けたプレートを運んできた。それを私の前へ置くと厨房へ戻ることなく向かいに座る。いつもの雑談に付き合わされるのだ。


「今日は何だ?」

「まぁ、それはあとで。先に召し上がってください」


どうぞ、とプレートへ手を差し出す彼女は不気味な笑みを携えている。一服盛ったわけではないだろうが、どうにも食べ辛い。他の客に呼ばれてくれやしないかと願いながら、フォークを手に取った。

一口、二口、三口と、舌の覚えている味を頬張る。


「どうですか?」


一通り料理に手を付けた頃、居座ったままの彼女に問われた。


「例年通りだ」

「やっ、た!」


彼女は爆発した歓喜をぐっと内へ抑え込むように身を縮めた。テーブルの下では足を踏み鳴らしている。一体何がそんなに喜ばしいのか。訝しむ眉間と首の傾きで問うた。


「今日のは全部私が料理したんです!」


なるほど。そういうことか。

向けられていた視線に納得し、受け継がれた味へ再び口を付けた。至るまでの苦労を揚々と語る様に相槌をしてやれば、声は分かりやすく弾む。


途中エバンズは何度か席を外したものの、食べ終わる頃には再び私の前に陣取っていた。傍らには自分用のコーヒーまで用意して。


「継ぐのか?」


食後の紅茶を楽しみながら、特に意味もなく話題を振った。親の店で働き味を受け継いだなら、当然の流れだろう。


「いえ、それは……正直分かりません。フランスへ行くことにしたんです。料理の勉強をするために」

「……そうか」

「ちょうど1年前、『レシピを変えたのか?』って聞かれたこと、覚えてますか?」

「あぁ。まさか、あれは――」

「私が作ったんです。父には合格点を貰っていたんですけど、すごく悔しくって」


彼女はクスクスと笑っていた。


「不味いと言った覚えはない」

「えぇ、分かってます。先生、完食してくださったから。眉間にシワもなかったし」


自身の眉間をトントンと指しニヤリと笑みを変える彼女に、私の眉間はぎゅっと力が入る。学生ならば減点ものの態度。しかしこの場では大きく息を吐き出すしかない。


「あれで火が点いたんです。もっとしっかり料理の勉強をしてみようって」

「あの一言で?」

「あの一言で。……紅茶のおかわりは?」

「いや、結構。そろそろ失礼する」


間延びした返事を返す彼女は気恥ずかしさや照れ臭さといったものを誤魔化したいのだろう。大袈裟なアクションでティーセットを下げ、会計に出てくる。そんな彼女の様子にフッと笑った自分に気付くと、むず痒さを感じた。


「……おめでとう。君の門出に」

「――っ!ありがとうございます!」


他人の言葉で人生が変わったことがある。私の言葉で他人の人生を変えてしまったこともある。しかしこれは、エバンズの変化は、過去のどれとも違う。こんなにも好ましい変化が私の身にも訪れようとは。


「スネイプ先生!また明日ー!」


ストリートの隅々まで響く声。今度は呆れた笑いが零れた。






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