『今日は君たちの結婚記念日だよ』
そんな馬鹿げた手紙から一日が始まった。筒上に丸められた黄ばんだ羊皮紙に記された差出人は『ムーニー』。私宛のふざけた手紙に限ってやつはこの名を使う。どういう意図があるのかは知りたくもないがただただ不快を煽られる。『おめでとう』の一言でも足されていればまだ理解できるものの。
「驚くほど波打ってますよ」
トントンとリリーが自分の眉間を指した。
「ルーピンがまたくだらない走り書きを寄越した」
「すっかり仲良しですね。羨ましいです」
からかっているのかと思えばそんな様子でもなく、彼女には本気で我々が『仲良し』に見えるらしい。無駄に終わる反論を呑み込んで、眉間をそのままに届いた羊皮紙を暖炉へ投げ入れた。炎が移りあっという間に燃え尽きる。黒い滓を目に止めれば幾分か不快さが和らぐ気がした。
「仕事はいつもの時間に終わるのか?」
「その予定です。入り用の材料でも?」
「いや、ない」
彼女は目玉焼きの黄身をソースのようにして焼いたミニトマトを潜らせた。真似て口にしたトマトはどれだけ美味しく味わおうとただのトマトと玉子。しかし向かいの席で口角を上げる彼女と共に口へ運べば、それがとても素晴らしいものに思えてくる。
「いつも片付けを任せてしまってすみません」
「君は作ってくれているだろう。共に生活するからには分担して然るべきだ」
「ありがとうございます」
彼女は律儀に毎日礼を言う。対して私は……礼など最後に言ったのはいつだったか。この日々を当たり前に感じているわけではないが、感謝を述べるだけの素直さは失ったまま。
キッチンを出る彼女を見送って、残った食器へ杖を振る。罰則ではなければ繊細な調合器具でもない。片付けと言っても知れている。
やがて身支度を終えた彼女が「いってきます」と部屋へ顔を出す。私はそれをいつものように送り出した。
「さて……」
場所を一階の仕事部屋へ移し周囲を見回す。そして大鍋に触れることなくソファに沈んだ。
リリーの墓前で愛を誓ったのがちょうど1年前の今日。そんなこと手紙を寄越されるまでもなく分かっている。彼女が何か希望すれば叶えられるようにと仕事の調節をして、今日は生憎と終わらせるべきものがない。抱えた仕事の前倒しは可能であるし、棚の整理整頓やスピナーズ・エンドの家の片付け、思い付くものは多々ある。
そもそも、こうして悩んでいるのは私だけなのか?
朝食の席で彼女は今日について何も言及しなかった。彼女こそ覚えているのだろうか。我々は両親の揃った幸福で理想的な家庭に育ったわけではない。自分は面倒な狼からここ2週間ほど会う度に反芻させられているが、彼女は今日を祝うという認識そのものがないのかもしれない。
スネイプは両手で顔を覆い肺が空っぽになるまで息を吐き出してから立ち上がる。部屋の中央に鎮座したテーブルから在庫リストを取り上げて、棚へと向かった。部屋の隅ではあの日と同じ柔らかな太陽の光を浴びながら、二羽のワシミミズクが首を窄めて眠っていた。
午後になれば、朝方の気まぐれな太陽はものの見事に雲の奥へと消え去っていた。傾きから大体の時間を予測することは出来ないが、長年の地下暮らしで体内時計は出来上がっている。彼女が仕事を終えるまであと1時間。念のために時計でも確認をとった。スピナーズ・エンドへ移す分厚い本たちをテーブルに積み上げて手を止める。
彼女が今日をどんな認識でいようと、私が何もしない理由にはならない。祝えば彼女は喜んでくれるに違いない。それは容易に想像できる。それに今朝、感謝を言葉にしていないことへ反省したばかりではないか。
問題は何をするか。
しばし考えて、スネイプは家を後にした。
カランコロン、と軽やかなカウベルが客を知らせる。リリーは顔を上げたが客の姿は死角となり見えなかった。快活な店主の女性が「いらっしゃい」とにこやかに声をかけたのを聞いて、リリーは彼女に応対を任せることにする。
1年前、薬問屋を経営するには心許ない知識量だった店主も今では何も心配することがない。触れれば容易く皮膚を溶かす液体を素手で管理しようとはしないし、活きのいい牙付き花に不用意に顔を近づけることもない。リリーは隣で話の続きを責付く店主の息子に意識を戻した。
「足を運ばれるとは珍しいですね。今日は何を?」
黒のマントを揺らめかせカウンターへと近づいた男に店主が微笑む。気を利かせリリーを呼ぼうとする彼女をスネイプは片手を上げることで断った。
「こちらを」
やましいことをしているわけではないのに何故か声を潜めてしまい、スネイプは心中で舌打ちをする。そんな彼の様子に合わせたのか、店主は差し出されたリストを一瞥すると、了承の笑みを残して希少な薬材料を取りに奥へと下がった。その間にと、スネイプは天井に届くほどの棚に所狭しと並んだ瓶を二つ、三つ、とカウンターへ乗せる。
その場所から一番離れた棚の陰から耳に馴染む声がして、スネイプは優しいその声色に包まれる。接客の邪魔にならないようにと抑えられた話し声は二人分。リリーと、少年のものだった。
どうやら彼女は将来の店主候補に色々とレクチャーしているらしい。彼女は教師としての才能に特別恵まれていたわけではなかったが、それでも丁寧な対応と噛み砕いた説明は、長い教師生活の同僚からも評価されていた。
それよりも。
子供の成長とはこんなにも早く感じるものだったろうか。数年前、リリーが恐る恐る抱いていたあの赤子がもうこんなに。唸ることしかできなかった生き物が今やしっかりとした受け答えで彼女の話を聞いている。楽しげな笑い声も聞こえてきた。
「助かってるんですよ。教師をしていれば子供の扱いも上手くなるんですかね?」
小瓶一つと紙の包み二つと共に店主が戻ってきていた。スネイプは自分の教師時代を思い出し、肯定を返すこともできず。「彼女自身のものだ」とだけ言った。
「年々主人に似ていくんです。時折重なって見えちゃってね」
スネイプは虫酸の走る黒いくせっ毛の顔にくっついたアーモンド形をした緑の瞳を思い出した。
「優しい子だから、私が悲しむとでも思ってんでしょう。自然とリリーに懐いて、最近は騎士気取りなんですよ」
「騎士?」
「彼女のついでに薬草を一つ、って客もいるもんですから。あぁ、何もないよう私がちゃんと目を光らせてますよ」
店主は人好きのする笑みを深めた。
『彼女のついでに薬草を一つ』
やはり愛想のよさはここでも健在で、彼女自身の魅力とかけられた《呪い》とやらが更に惹き付けているのだろう。今日は自分もその一人だと思い至ればばつが悪い。
「リリー!今日はもう大丈夫だから、店上がってちょうだい!……こんな日にリリーを借りちゃってごめんなさいね。今日を楽しんで」
後半はスネイプだけに向けられた。訳知り顔の店主に努めて表情を変えぬまま彼が会釈で礼をする。少年と共に棚の陰から出てきたリリーが「あ!」と声をあげた。
「セブルスだったんですね。やっぱり何か足りないものでも?」
リリーがスネイプの手元に視線を落とし、購入されたばかりの紙袋に興味を示す。
「いや……」
スネイプは彼女の騎士だという少年の視線に言葉を詰まらせた。じっと瞬きもしていないのではと思うほどの眼力。母親とリリーの前では睨み返すのも躊躇われ、尊大に胸を張りなるべく上から見下ろすような姿勢をとった。
スネイプは「外で」とだけ残し、一足先に店を出る。
「お待たせしました」
追い付いたリリーが然り気無くスネイプの腕に指を絡める。スネイプは自身の左側が熱を持ったように感じた。しかしそれは闇の印が抉る苦痛とはほど遠い。愛する存在の温もり。
ポッターほどではないにしろ、スネイプもイギリス魔法界ではそれなりに顔が知られている。元死喰い人でリリーの身代わりとなりダンブルドア殺しの罪も背負った彼は、大方3年が過ぎた今でもあらゆる方向から非難の目を浴びる。スネイプは自身がどう感じるかよりも、こうして隣を歩くことを厭わない彼女を気にかけて、魔法族の多い場所はなるべく避けて過ごしていた。
「たまには外で食べないか?」
どちらともなく歩き出し、ハイストリート通りへ戻ったとき。チラリ、チラリ、と居心地の悪い視線を感じてやっとスネイプが切り出した。リリーは意外な彼の誘いに驚いて、そのために自分を迎えに来てくれたのかと破顔する。
「グレンジャーから聞いたマグルの店の話をしていただろう、ピカデリーの。そこへ」
「嬉しいです!あ、でも一度帰らないと。マグルのお金と服もローブのままでは……」
何の気なしに話したことを覚えてくれていた。その事に彼へのいとおしさを感じながらも、リリーは迎えが無駄になってしまう申し訳なさに眉尻を下げる。しかしスネイプは予想通りだと通りの先にある店を指した。
「マグルの服だろうとあそこで買える。今日君は着たい服と食べたいものを選ぶだけでいい」
悪くない話だろう、とスネイプが片眉を上げてリリーへ反応を促した。彼女はぎゅっとスネイプの左腕に抱きつくことで溢れる喜びを伝え、満面の笑みを彼へ向ける。
「この1年、恐いくらいに楽しくて、幸せで、充実していました。ありがとうございます、セブルス。これからもよろしくお願いします」
今日という日を覚えていたのかという感心と、また彼女にばかり礼を言わせてしまった不甲斐なさ。充実していたのは私も同じで、こんな未来が待っているとは思いもしなかった。
すべてはリリーがいてくれたから
言葉にしなくてはと思うものの、周囲を流れる喧騒に気を逸らされる。パクパクと唇を開閉するだけの自分はさぞ間抜けだろう。寄り添う彼女は言わなくても分かっているとばかりに微笑んでいた。一泡吹かせてやりたいと目論みながらも、今はただ、左腕に組まれた彼女の指先へ触れる。
「こちらこそ」
一先ずは、と狡い台詞を口にした。
魚介料理の有名な老舗店はどれをとっても美味しかった。専門職の選んだという白ワインも料理を引き立て一層食が進む。幸い窓際の隅に案内され居心地もいい。マグルの服に身を包んだ彼女はデザートのスフレに舌鼓を打ち、私も気に入るはずだと添えられたフォークを指差した。
控えめに取った一口は爽やかなレモンが鼻に抜け、確かに私好みの味だった。しかし私の脳裏には初めて彼女と二人で過ごしたクリスマスが甦る。あの日のワインは赤で、食べたのは甘いミンスパイ。翌日マダム・ポンフリーに叱咤される声を偶然立ち聞いてしまったことまで思い出し、ふっと笑みを溢してしまった。こうしてふとした瞬間に思い出す過去がこの先増えていくのだろうか。
「やっぱり!もうセブルスの好みは把握しましたよ」
笑みの理由を勘違いしたリリーが何故か誇らしげに胸を張った。『把握した』と言いながら、彼女は服を選ぶ際にどちらが良いかと私に問うた。『どちらでも良い』と返したのは決して投げやりな意味ではなく、どちらも甲乙付けがたかったせい。私がマントの下に著しく彩度の低いマグル服を着込んでいることを知ると、彼女はすぐに今の服を選び取っていた。
「仕事は順調そうだな」
お互いスフレを減らしながら、今日を振り返る。
「何とか軌道には。徐々に顧客も戻ってくださって、今日は仕入れ先に奥さまと一緒にご挨拶へ行きました」
「そうか」
「私、商売に向いてると思うんです。古書店をしていたときからそう感じてて、ほら、私には自分のポテンシャル以上のものが出せるわけですし」
『ズルい』とかつて彼女が表現した自身にかけられた魔法のことを言っているのは明らかだった。まるでそれだけが能力の要かのように。
「それを否定する気はないが、そもそも君は愛想が良すぎる。君目当ての客がいる、と店主が心配していた」
「その時はご子息が助けてくれるので大丈夫ですよ」
その場面を思い出したのかクスクスと彼女は嬉しそうに笑う。騎士気取りの真っ直ぐな視線を思い出せば、眉間にシワが寄っていると指摘された。
馬鹿馬鹿しい。
あんな子供に何ができるのだと考えて、実際彼は彼女のそばにいることができると思い至る。また眉間が深まったのを、今度は自覚した。
子供。
数年前、赤子を託された彼女は仕方なくといった様子で慣れない手つきをしていた。しかし数分もしないうちに穏やかな笑みを湛えていた姿が記憶に残っている。
少しもそんな話はしてこなかったが、私としては拒否する理由がない。何度もルーピンに息子を自慢され、少しくらい自分で想像してみたりもした。しかし愛されて育ったという自覚もなく、親としての手本を満足に見ていない。そんな私が親になれるものなのだろうか。
ついホグワーツ時代からの流れで子供を作らないよう対策を講じてきた。しかし今はその必要がない。身重では彼女の行動を制限してしまうと考えれば、一概に必要がないとも言い切れんが。彼女の望むタイミングで。
しかしそもそも彼女は子供を望んでいるのだろうか?
こんな私との間に
「……ルス……セブルス?」
「……何だ?」
思慮に耽り過ぎていた。恐らく何度目かの呼び掛けで返事をすると、彼女の眉が憂苦を告げる。
「何か心配事ですか?」
「いや……君とのこれからを考えていた」
「何でもない」と言おうとして、『隠し事はなしに』と約束した日を思い出す。しかし正直に内側すべてを曝け出すこともできず大雑把に表現した。
「お一人で?私にも話してください。二人の、これからなんですから」
「あぁ、そうだな。纏まれば、いずれ」
彼女はそれ以上突っ込まなかった。手を差し伸べながら、私が掴むまで待つ。その距離が心地好い。だが同時に不甲斐なさも感じる。たまには彼女の気遣いに甘えず私から話をしなくては……いずれ。
「今日は本当にありがとうございました」
また幸せな思い出が増えたことに私の頬は緩みっぱなしだった。思いがけずセブルスのものと色違いとなってしまった気恥ずかしいナイトローブに着替えて、彼のベッドへ腰掛ける。肩を触れ合わせれば、ふわりと私と同じ香りがした。魔法薬の複雑なお堅い匂いも落ち着くけれど、この瞬間はまた違う幸福が私を満たす。
「セブルス――」
続きは彼の中へ消えた。狡い黙らせ方だ。彼の長い指が髪を梳く心地好さに流されそうになって、背に回した手でトントンと合図をした。
今日はとても幸せだったものの、彼が考え込む場面もいくつかあった。話してくれるまで待つ気ではいたのだが、ふと彼の言わんとしたことが分かった気がして、きっとこれは今話すべきだと求め合う前にと彼を止め――
「セブルス、待ってください」
私の思考を奪う術を心得ている彼。いつもならすぐに手を止めてくれるのに、私に話させたくないのか今日は意地が悪かった。
「話なら聞いている」
「んっ、セブ……セブルス!」
腰を辿っていた手の甲をぎゅっとつねってやって、やっと身体を離した彼から距離を取る。ナイトローブの乱れを整えれば、手を擦りながらセブルスは不満たっぷりに口を歪めていた。
「夕食での続きをしたいんです」
「続き?」
返しながらも、彼は見当がついている目をした。
「間違っていたらごめんなさい。セブルスは子供について話そうとしてくださったんじゃありませんか?私と、あなたの」
「……如何にも」
スネイプは甲を擦っていた手を止め、リリーの頬にかかる髪を払ってやると、ベッドから降りて床に両膝をついた。ベッドサイドに腰かけたままのリリーの両手を握り、しかし彼女の目は見ることなく顔を伏せる。はらりと彼の長い前髪がその表情を隠した。
「機会を与えて貰わねば言い出せないとは、つくづく情けない」
今日一段と意地悪だったのは、自分から切り出したかったから。推し量りきれなかった申し訳なさを感じつつ、独り言のような呟きに私は黙って続きを待った。
「君は、どう思う?私との子を……ほしいと思えるか?」
「もちろんですよ」
リリーは微笑んで、彼の頭頂へキスをした。洗い立ての髪はふわりと柔らかく、ねちっこい魔法薬学教授の彼しか知らない者が嗅げば卒倒するようなシャンプーの香り。
「セブルスの考えも聞かせてください」
乞われて、スネイプは顔を上げた。
「私は……どちらでも良い」
そう言ってしまってから、スネイプは後悔した表情をしてまたすぐに顔を伏せた。彼女の手を握る手に力を込めて、緩く左右に首を振る。再び上げられた瞳にはきちんとこれからを見据えたい男の意志が宿っていた。
「子供という選択肢を取らずに過ごす夫婦も多くいる。君の子をこの手に抱いてみたいと思う反面、私が親になる資格はあるのか、親としてやっていけるのかと不安もある。だが確かなのは、そのどちらであっても、私が幸せであることに変わりはないということだ」
「不安は私にもあります。ダンブルドアの命を奪った私が新たな命を育むなんて、許されるのかって」
「リリー……」
「でも、セブルスとなら」
「あぁ、リリーとなら」
リリーが腰を屈め、スネイプが背筋を伸ばす。何度も唇を重ね合い、額を合わせた。彼女がふふ、と笑みを溢す。
「『若くて綺麗なお母さん』にはなれそうにないですけどね」
「君は誰よりも美しい」
スネイプの口角は自然と上がり至近距離の漆黒は細められる。彼の甘い笑顔にリリーは目を伏せて、緩んでしまう頬に気付かぬふりをした。
「どうせなら『若い』とも言ってください」
「子供にその気の強さが遺伝しなければいいが」
やれやれ、とスネイプが鼻で笑い、リリーの隣へ座り直す。一度離れた手をどちらともなく繋ぎ直し、リリーが彼へとしなだれた。
「少なくともセブルスよりは素直な子に育ちますよ」
トドメとばかりに楽しげに笑った彼女の肩を押し、ベッドへ倒れた身体に覆い被さる。これ以上の戯れ言は許さない、と狡い黙らせ方をして、彼女を存分に味わった。
「強いて言うなら、娘がいい」
余すところなく彼女に口付けながら、ふと思い出したようにスネイプが言った。
「どうしてですか?」
そう問い返す彼女の声は上擦っていて、鼻にかかる息がスネイプを高揚させていく。自身の手によって乱れていく彼女に酔いしれ、これから命が宿るかもしれない場所に口付けた。
「君の騎士は私一人で事足りる」
チラリと目線を上げたスネイプは、拗ねたような子供っぽさの覗く表情だった。ライバルの小さな騎士に思い至ると、リリーはふっと堪えきれずに笑い声をあげる。自分で振った話題とはいえこんなときに別の人間を思い浮かべるなど面白くない。スネイプは彼女の弱い箇所を思い返しながら、これからの様子を想像してニヤリと口端を吊り上げた。
いや、その前に。
私はまだ彼女に言えていないことがある。今日が終わる前に、伝えたいことが。
「リリー」
「はい?」
「君はいつも私に幸せを運んでくれる。ありがとう」
そう告げてリリーの手を掬い上げ、スネイプは自然と恭しさを纏う仕草で甲に唇を寄せた。
反応のない彼女を窺えば、赤らめた顔を更に赤く染めて固まる姿。私の視線に気づくと彼女は空いた手で顔を覆う。隠しきれていない場所からは弧を描く彼女の唇が覗き、そこへ吸い寄せられるように口付けた。彼女を覆っていた手が私の目へと移動し、刹那の暗闇が訪れる。身構える必要のなくなったそれを受け入れると、
唇にまたひとつ、幸せが運ばれた。