ゆっくりと意識が浮上する。まだ濁ったままの思考に浸っていると、腕の中の温もりが身動いだ。脳が一気に覚醒し、その幸福を掻き抱きたくなって、眠り続ける理性のままリリーを引き寄せる。柔らかな髪が鼻を掠め、むずむずと心までもを擽った。
「セブルス?おはようございます」
背後から彼女の腰に回した私の荒れた手に、彼女のしなやかな指が重なる。縁を辿るようになぞられる感覚に邪な欲望が首をもたげそうになり、「おはよう」と返して鎮めた。
彼女が腕の中からスルリと抜け出る。名残惜しくはあるものの、いつまでもベッドで腐っているわけにはいかない。
今日はリリーの墓参りだ。
開け放たれたカーテンは数日ぶりの陽光を呼び込んで、部屋へと輝く光を届ける。朝の風を取り込むため窓を開けたリリーが振り返り、太陽に負けない笑顔を私に見せた。
「いい天気ですね。エバンズが呼んでいるんでしょうか」
「くだらんな」
フン、と癖付いた嘲笑でそう返したが、リリーが気を悪くすることはなかった。
墓へ行ったところでリリーがいるわけではない。確かにその下に眠ってはいるが、魂はきっと、土の中よりも彼女に相応しい場所にいる。例えば、天国と呼ばれるような。
他人の世話を焼くことを生き甲斐にしていたような彼女のことだ。時折ここへ戻ってきては、忌々しい父親にそっくりな息子の元へ行っているかもしれない。
「朝食は目玉焼きとスクランブルエッグ、どちらに……珍しいですね。まだベッドでぼんやりしているなんて」
私がベッドで上半身を起こす間に、彼女は着替えて寝癖も直っていた。ストンと隣に腰を下ろした彼女は私の左手を取り肩へ頭を預ける。私はその手に自分の右手を重ねた。
「目玉焼き」
私を気遣う彼女に、大したことではないとの意味も込め、朝食のリクエストをした。
「二度寝しないでくださいね」
「君も一緒なら、たまには悪くない」
「また今度」とクスクス笑いながら寝室を出ていくリリーを見送って、いつもの黒いローブを手に取った。いや、今日はゴドリックの谷へ行く。ならばと色は変えずにマグルの服を取り出して、多少は着なれた袖に腕を通した。
顔を洗い、よっぽどひどい寝癖だけは整える。洗面台に両手をついて、ため息とは違う長く深い息を吐いた。それからおもむろにポケットへ手を突っ込み、小さな輪を摘まみ上げる。
リリーの左薬指にもある指輪。
手に入れてからずっと持ち歩いているこれをしばらく眺め、また戻す。
あの指輪を、本物に
今日がそのタイミングに違いない
私はリリーがいればそれでいい。ただの同僚から唯一の協力者を経て今の関係となった。今更どう変わろうと隣に彼女がいてくれるならそれで。肩書きがすべてではない。恐らく彼女もそう思ってくれている。大切なのは自分たちがどう感じどう生きているか。
しかし――
これは私の自己満足なのかもしれない。何の変哲もなかった魔法道具に意味を持たせることで、彼女を私に繋ぎ止めるという。危険に飛び込み何度も死にかけ私から遠く離れてしまえる彼女を。もう魔法道具としての機能は何一つ果たさないが、そんな普遍的なものよりも、込められた意味の方が強く彼女を引き止める。
あぁ、リリー。
君が今ここにいないことは分かっている。縋る神を持たない私のために今日だけは頼らせてくれないだろうか。君はきっと祝福してくれるだろう。リリーが「yes」と返してくれたなら。いや、必ずそう返してくれる。……恐らく。
一緒に歩む未来は変わらないというのにその形を口にするというのはこんなにも勇気がいるものなのか。私が命を賭けた過去のどれとも違う勇気が。
リリー、君に乞うたときのポッターはどんな様子だった?台詞を噛んだか?声が裏返ったりしただろう。滑稽だな。そうだったと笑ってくれ。そうすれば、私にこれ以上ない勇気と自信が満ちてくる。
大切な人間に大切なことを伝えるからには緊張して然るべき。
今度はハッキリとため息が出た。自分がこんなにも情けない男だったとは。
「セブルス?朝食が出来ましたよ」
「今行く」
どうか、「yes」と。