164 結婚式


家族になる、と言っても特に変化があったわけではない。セブルスの家は倉庫代わりに残されて、月に一度はドビーに貸す契約らしい。いつの間にそんなに仲良くなったのかと驚いていれば、『こちらの家に顔を出されては迷惑だ』と彼は至極真面目な顔をした。

リリー・エバンズ・スネイプと名乗ることは大きな変化ではあるが、元々生活も共にしていたし、式を挙げる気もない(報告に行ったときトンクスはひどくガッカリしていた)。結婚自体も大々的には知らせず、お世話になった人にだけ伝えた。

が、トンクスが元騎士団へ知らせてそこから徐々に広がりつつあるらしい。言った覚えのない人からも祝いの品やメッセージカードが届いた。


「ポッターとジネブラ・ウィーズリーから連名でお祝いが届きましたよ」


開け放たれたキッチンの窓から柔らかな朝日と共に郵便ふくろうが飛び込んで、リリーが小包を受け取った。カードには祝いの決まり文句。名前を聞いただけで眉間を不機嫌に寄せたスネイプにクスクスと彼女が笑う。


「見てください、薬草のブーケです」


リリーの朝食をくすねようとするふくろうを追い払うスネイプの手にブーケを押し付けて、彼女は働き者の配達員にベーコンを分けてやる。スネイプの向かいに座る彼女と入れ違いで、労いに満足したふくろうは来た空を帰っていった。


「洒落のつもりか?くだらん」


言いながらもスネイプはしっかりと手元に置いた。あとで彼の薬材棚に飾られるに違いないそれに、リリーがふふ、と声を大きくする。


「何だ?」

「いいえ、何も。嬉しいですね」


スネイプは冷笑だけを返してリリーお手製のルバーブジャムを掬い取る。甘めのパンを赤く色付かせて頬張る彼は一口食べ進める度に眉間からシワを消していった。


「美味しいですか?」


テーブルに両肘をつき組んだ指へ顔を寄せて微笑むリリー。そんな表情を見てしまえば、スネイプからは朝食の感想よりもこの生活の幸福やら喜びが先に湧き上がってきてしまう。満足に咀嚼しきれぬままパンを呑み込んで、彼は瞳をさ迷わせた。

素直に言葉で表すのはまだまだ慣れそうにない。


「もちろん」


返ってきたのは感想ではなく肯定で、でもそれが彼の精一杯だと分かっていれば、どうして不満があろうか。リリーは「それは良かった」と自分もジャムを引き寄せた。




陽の高いうちはお互い働いて、夜には二人家でのんびり過ごす。その繰り返し。

春の風を感じながらの帰り道、今日はセブルスへ手土産があった。彼がかねてより探し求めていた薬材料。使う目的があるわけでもないのに集めたがるのは教師時代からの癖。本だってあっという間に棚から溢れてしまった。彼の家を倉庫代わりに残したのは正解だと言わざるを得ない。

根っからのスリザリン気質で、グリフィンドールさながらの勇敢さがあり、ハッフルパフめいた辛抱強さ、そしてレイブンクローに負けない知識欲もある。本来人はすべての適正を持ち合わせているのだろう。なんて堅苦しいことを考えながら帰宅した。

カウベルの取り外された扉は軋みもなく静かに開く。


「ただいま」

「……おかえり」


ワンテンポ遅れての反応。調合の都合によっては言葉が返ってこない時もある。しかし今日はそうではなかった。

遅れたその一瞬に、私はセブルスが何か隠したのを間違いなく見た。

繊細で気苦労ばかりだった過去の影響もあり、周囲に敏感な彼。そんな彼が私の帰宅に気付かないほど熱心に見つめていた何か。

手土産はテーブルの角に投げ出して、純粋な興味を持って彼に近づく。


「何を見てらしたんですか?」

「依頼のリストだ」


テーブルに出されていた言った通りの紙をトントンと指先で叩く。しれっと答える彼はうっかり騙されてしまいそうなほどのポーカーフェイス。でも私は真似をしてトントンと彼のローブを突いた。その下には隠された何かがある。


「極力隠し事はなしにしようって言ったのはセブルスですよ。隠すならもっと上手くしてもらわないと困ります」


わざと拗ねた声色を出し、彼を見つめた。捉えた漆黒は三秒ももたず左右に揺らぐ。やがて観念したと息をついて、セブルスはローブへ手を入れた。


摘まみ出されたのは指輪だった。

それもすごく見覚えのあるシルバーの。小さな黒曜のあしらわれたそれは、私の左手の薬指にも飾られている。


「これと対になってたものですか?」


そう言ってリリーは左手を掲げた。

変幻自在の呪文がかけられていたなら、メッセージを送るために同じ指輪を彼が持っていても不思議ではない。手元に残していたことは意外だが。

しかしスネイプの首は横に動いた。


「その分は意味をなさないと分かった時点で処分した。これは……そのあとで入手したものだ」


『そのあと』

リリーは反芻させながら記憶を遡った。頭を悩ませているのは明らかだったが、スネイプに自ら答えを打ち明ける気はない。ただじっと、指輪を出した姿勢のまま彼女の記憶力を試すように待った。


「――あ!」


不意にリリーが声を上げ、「まさか」と口をあんぐりと開け頬を染めた。十分に血色を良くしたあと、ふにゃりと顔中の筋肉が弛緩するのを上げたままの左手で覆う。


「私がお渡しした物ですか?双子呪文で増やした?」


そして冗談で覆ったプロポーズをしたときの。


「如何にも」


スネイプの顔色は変わらなかった。しかし内に燻る面映ゆさに耐えきれず、身体ごと顔を背けてテーブルに指輪を寝かせた。

この指輪こそが間違いなくあの時既に気持ちが向いていた証に違いなく、想いごと受け取っていた事実を示す。自分で用意した物のように消してしまえるはずがなかった。

時折眺めては、彼女と共にある今や共にありたい未来へ思いを馳せていた。ポッターなどというこびり付いた過去の一部がふくろう便を送って来たものだから、つい深く考え込んでしまったせいだ。全く、ポッターが関わると碌なことにならない。

責任を忌々しいくせっ毛に押し付けて、ふと、視界の端で身動ぐ彼女に気付いた。


「何を……?」


リリーは既に嵌められていた左手の指輪を外そうとしていた。それはスネイプの目にも明らかだったが、つい問うてしまったほどに彼は狼狽えた。

贈ったときには何の変哲もない魔法道具に過ぎなかったが今は違う。ルーピンは『式もなし指輪もなしじゃ私よりも甲斐性なしだ』と疎ましい台詞を私に残したが、やつは何も知らないだけ。この指輪には我々にしか分からない後付けの想いがたくさん込められている。リリーもきっと、同じ思いだと信じていた。


だと言うのに、何故?


心と連動して下がる眉尻。らしくない情けなさを晒け出す彼にリリーは驚いて、慌てて彼の危惧を否定した。

拒んでいた指輪が指を滑り出す。


「アミカスから守ってくれたこれにも思い入れはありますが、どうせならセブルスがずっと持っていてくださった方を着けたいな、と」


スネイプは内心安堵の息をつかずにはいられなかった。

はにかみながら「ダメですか?」と問われれば、スネイプに「No」と言えるはずがない。かといってこのままただ見ているだけも如何なものか。スネイプは彼女のいぬ間に現れたルーピンの説教めいた言葉をまた思い出した。


『式もなし、指輪もなし』


恐らくトンクスに差し向けられたのだろうが、彼の話に思うところがないとも言えない。リリーはどちらも欲しなかったが拒んだわけではなかった。


「手を」


スネイプは誘うように自分も片手を差し出しながら、もう片方では机上に置いた指輪を拾い上げる。リリーは痕の残った薬指をいとおしげに撫でて、代わりの指輪を受け取るべく飾り気のなくなった白い手を彼のそれに重ねた。


「何故そうなる」


スネイプは呆れたように短く息をついて、手のひらを上にして乗せたリリーの手を捻るように反転させた。

あぁ、前にも同じことをした覚えがある。だが彼女の手の向きは正反対だ。苦笑して窺えば、瞳を潤ませながらも困惑を隠しきれない彼女がいた。

今日のあらゆることに「らしくない」自覚はある。しかしこうやって彼女の人生に並びながら少しずつ起きていく変化は、悪くない。人と関わるというのは、そういうものだ。

羞恥に苛まれ穴熊のように地中深くへ潜りたくなる未来が見えていようと、頭では必死に言葉を探していた。何故か招待された同級生と元教え子の結婚式。そこで一度聞いたきりの言葉を。


「リリー、私は君といかなる時も共にあることを誓う。幸福も、困難も、貧富に拘わらず、病める時も、健やかなる時も、たとえ死が我々を分かとうとも」


そして彼女の薬指にゆっくりと指輪を通していく。恐る恐る、慎重に、一瞬でも止まってしまえば取り返しがつかないかのように。


「君を愛すると誓う」


ピタリと嵌まった指輪に微笑み合う。杖を振りリリーは嵌めていた指輪をスネイプのサイズに合わせ、今度は彼女が彼の左手を支えた。瞬きの拍子に零れた大粒の涙を彼の右手が優しく拭う。


「私も、どんなときでも、セブルス、あなたと共にあることを、あなたを愛することを誓います」


スネイプの指に誓いが灯る。指を絡ませ合い、お互いに溢れる笑みを見せ合って、唇を寄せた。




「二人きりの結婚式だなんて、どこでそんなロマンティックなこと学んだんです?」


指を絡ませ手を繋ぎ、ソファに座った。肩から互いの重みをほんのりと感じて安らぎを分かち合う。視線の先ではリリーの手土産が今朝届いたブーケの隣に並んでいた。


「からかうな。我々には証人など必要ないだろう?」


責めるようにスネイプが繋いだ手に力を込める。クスクスと笑うたおやかな彼女の振動が彼に伝わった。


「誓いはしっかり彼らが聞いてくれましたよ」


リリーが左腕を上げてカウンター近くの止まり木で休む二羽のワシミミズクを指す。


「それにきっと、エバンズも」

「そうだな」


甘えるようにリリーが身を寄せて、絡めた指に感じる彼の指輪の感触を玩ぶ。しかし唐突に「あ!」と声を上げ身を起こした。乗り出すように上半身を彼の前へと捻り「そう言えば」と前置きをする。


「今更な話ですが、指輪に変幻自在の呪文をかけていたなら事前に教えてください」


不満を眉に寄せ、先程の仕返しだとばかりに握る手の力を強くする。スネイプは涼しげな顔で片眉を上げた。


「説明する必要も時間もなかった」

「私からもメッセージを送れるようにしてくだされば良かったのに」

「私が常に指輪を持ち歩いていたと思うか?」


ぐっと返答を詰まらせリリーは再びソファへ身を沈める。時折妙な鋭さを見せる彼女を騙し通せたことにスネイプは安堵した。


真実、指輪は常に持ち歩かれていた。

彼女からのメッセージを受け取らなかったのは、来るか来ないか分からないものに神経をすり減らす自分が想像できてしまったため。気を揉むくらいなら初めからないものと分かっていた方がまだいい。それに闇陣営にいれば不用意に指輪を見ることも叶わない。情報を取り逃すこと自体より、それと分かることの方が心を乱す。

彼女が私に助けを求めるような人間であったなら、また違っただろう。貸し借りのような能力の等価交換ではなく、純粋なSOS。だが結局彼女が私を求めることはなかった。

アミカスの件でもそうだ。唯一彼女からもたらされる情報として、私は彼女が指輪を外せば感知できるように細工をしていた。それも彼女に白を切り通され無意味に終わったなどと、今思い出しても情けない。


「これ以上嘘は上手くなるな」


存外滑稽な弱々しい声が出た。懇願めいた言葉の真意を測ろうとしてリリーは私を真っ直ぐに見つめる。やがて彼女なりに受け取ったのか、ニヤリと意地の悪い、しかしこれも彼女の魅力に違いない笑みを浮かべた。


「極力は。ですがもしもの時は、今日のセブルスのようなヘマはしませんから」

「全く、君は……私の気も知らずに」

「なら教えてください」


挑戦的な目をして見せる彼女にほくそ笑んでしまうのを止められなかった。彼女は瞬時に身を引こうとしたが繋がれたままの腕を引けば容易くこちらへ倒れ込む。首元に手を添え顎を上げてやれば、一変して揺れる瞳と赤く熟れた彼女を堪能できた。


「教えるのは得意だ」


啄むように口付けて、唇の擦れ合う距離で囁いた。


「存じております、スネイプ教授」

「セブルス、と」


リリーはクスリと笑って掠めるだけの唇へ自分のそれを重ねたあと、誘うようにチロリと舌で擽った。


「セブルス」

「リリー」


ソファのスプリングが重なる二人の体重を受け止め沈む。言葉にできないすべてを確かめ合うように名前を呼んで、離されることのない手を強く握った。

もっと、もっと、


永遠に






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