5月2日の先にあるもの


景気の良いエンジン音を響かせて、スピナーズ・エンドを奥へと進む。荒れ果てたレンガ造りを何軒も通り過ぎ、遠くの棄てられた工場煙突が小指で隠れるほどになって、ようやく一台の車が停まった。ピカピカに磨き上げられた車体は漆黒で、中から出てて来た女もまた、同じ黒のスーツを着込んでいた。そこに差すレモン色の爽やかなネクタイが彼女らしさを演出しており好評ではあるのだが、初対面の人間は必ずチラリとネクタイを気にする素振りを見せる。

カツ、カツ、と黒のピンヒールを響かせ車を停めた家の玄関扉を叩いた。そして白の手袋で覆った手を下げて、一歩後ろへ足を引く。

カチャリ、と扉が開いた。

中から覗いた目は闇色で、そのすぐ下に高い鉤鼻をぶら下げ両サイドには目と同じ暗い色をしたカーテンのような前髪。身なりを整え儀礼的な笑顔を作る女の全身をくまなく観察したあと、中の男が口を開く。


「誰だ?」

「私、シャックルボルト魔法大臣の要請で参りました。『マグル式運輸サービス』運転士のリリー・エバンズです。セブルス・スネイプ氏ですね?本日午前九時に魔法省へ到着するようお迎えに上がりました。本件について話は通してあるとの報告を受けています」

「一方的な手紙を『話を通した』と言うのならな」


忌々しいと顔を歪め、スネイプは扉を大きく開けた。影になり見えなかった彼の身体は外光を浴びても影のよう。

リリーはつい反射的に彼の首元へ視線を走らせた。日刊予言者新聞が彼は首に怪我を負ったと報じていたことを思い出したからだ。しかし彼の首元は衣類による鉄壁の防御で固められ、見える場所に傷痕はない。尤も、件の傷が残っているのかさえ、リリーには知る由のないことなのだが。

記憶に残る彼と寸分違わぬ目の前の男に、リリーは笑みを強くした。


「何だ?」


リリーの視線から逃れるように身を捩り、スネイプは訝しいと眉間を深めた。


「いえ、失礼いたしました。少し時間にゆとりがありますから、準備が整い次第声をお掛けください。差し支えなければ、私はここで待機しております」

「キングズリーは直前になって私がごねるとでも思っているのか?」


リリーは肯定こそしなかったが、苦笑いを浮かべた。


「私は子供ではない。自分の立場くらい弁えている。たとえ非効率的な状況を求められようとな」


スネイプはその場から手を伸ばしマントを引っ掴むと、ズイっとリリーの前へ歩み出た。既に準備が整っている彼の意思に、彼女は車へ戻り、彼のために後部座席のドアを開ける。


「本件に関してはマグル式の移動が一番裁判官の印象が良くなるそうですから、仕方ありません」

「暖炉も姿あらわしも禁じて、私の逃亡を恐れているだけだ。どうせ見張りもいるのだろう。いっそのことアズカバンに入れておけば良いものを」


閑散と澱んだ通りを見回して、最後にチラリとだけリリーを見てからスネイプは車へ乗り込んだ。きちんとマントの端まで車内に収まったのを確認し、彼女がドアを閉める。


「吸魂鬼での管理を止めて、アズカバンも大変なのでしょう。ですがそもそも見張りではなく護衛なのでは?」


運転席へ座った彼女が取り出したのは灰色がかった細い杖。ブレーキを踏みながらそれを指揮棒のように扱ってコツリ、コツリ、とハンドルやシフトレバーへ指示を与えていく。


「死喰い人を護衛とは、随分な貧乏クジを引いた人間には同情する」

「元、が抜けていますよ。元、死喰い人。あなたの護衛なら喜んで引き受ける方もいらっしゃるでしょう。私の周りでもあなたの人気は素晴らしい」

「戯れ言を。それよりも、君はあの靴のまま運転する気か?」


不安と不満がごちゃ混ぜになった彼の声にバックミラーで確認すると、眉間のシワをひとつ増やした彼と目が合う。


「これは珍しい。足でペダルを操作するとご存じなのですね」

「乗るのは初めてだ」

「ご希望とあらば脱ぎますが、私はこのヒールで慣れておりますのでその後の安全運転は保証しかねます」

「誰も何も言わないのか」

「私は腕が良いですから。無事故無違反、もちろんマグル界と魔法界の両方でです。乗り心地も文句なし。ご安心ください」

「今日がその初めての日にならなければ良いが」


口をへの字に曲げてそっぽを向いたスネイプにクスクスと笑ってリリーがハンドルを握った。


「形から入るべきだとお考えならば、私はあなたに笑顔の練習をおすすめしますよ。裁判官への印象が良くなります」

「君は仕事に集中したまえ」

「かしこまりました」


彼女がアクセルを踏むと車が滑らかに動き出す。不快な揺れもなく進んでいく景色に、スネイプがバックミラーへ目を向けた。彼女と目が合い自信たっぷりにニコリと微笑んだであろうことが目だけで分かる。


「覚えていらっしゃらないかとは思いますが、私はあなたの元で学んだことがあるんですよ、スネイプ先生」

「君くらいの年頃の魔法使いは大体そうだ」

「確かにそうですね。私はハッフルパフでしたしOWL試験では基準を満たせませんでしたので、あまりご縁はありませんでした」


渋滞を避け大通りよりも入り組んだ小道ばかりを選ぶ様は遠回りのようにも思えるが、みなぎる彼女の自信を感じればスネイプは口を出す気にもなれなかった。

運転に集中しろと言ったというのに暢気に話しかけてくる彼女の弾む声には覚えがある。


「その縁を無理矢理作って地下へ押し掛けていた人間がよく言う。君こそ記憶に残ってしまうほど私に手間を取らせていたこと、忘れたのではあるまいな」


スピナーズ・エンドで再会を果たしたばかりの時の堅さはどこへやら。学生時代を彷彿とさせる彼女の明るい笑い声が車内に響いた。それが不快ではなかったことにスネイプは一人驚く。


「懐かしいですね。私も若かったなぁ」


思い出すように呟いて、彼女は車を停止させた。目的地でもなく信号などもない場所での停止にスネイプは横を流れていた景色から車の前方へと意識を向ける。

そこにはゆっくりとした足取りで道を渡る老婦がいた。彼女は急かす様子もなく老婦へにこやかに手を振っている。それは知人かと思うほどで、スネイプはまたひとつ学生時代の彼女を思い出した。

この一場面はとても彼女らしい。


「失礼しました」

「構わん。私が早々に制約を呑んだおかげで時間にゆとりが出来たからな」


ハンドルを握り直しシフトレバーを巧みに動かす彼女にスネイプはそう答えた。父親がマグルだったとは言えこのような移動は初めてで、家から魔法省までどのくらい時間がかかるものなのか想像もつかない。彼には家を出た時間から推測するしかなく、『ゆとりがある』との彼女の言葉を鵜呑みにするしかなかった。

再び回りだしたタイヤは穏やかで、変わらず不快さはない。乗車の経験がないスネイプにも、リリーの運転は上手いのだと伝わるほどだった。


「音楽でもかけますか?あと半時間ほどですが」


今どこにいるのかスネイプにはさっぱりだったが、リリーのその言葉で到着時間を知った。彼女の言う『ゆとり』は20分ほどかと時計を確認する。


「余計な音は結構」


それ以降きっちり20分間、彼女は言葉を発しなかった。しかし居心地の悪さはなく、スネイプは不思議と落ち着く心地すらしていた。これも彼女の仕事の一部なのかと思うと、運転技術も加味してこの仕事は彼女の天職なのかもしれない。


『進路指導なんてやりたい人だけがやれば良いんですよ!私は卒業後にどの進路案内パンフレットにも載っていない天職を見つけてやります!』


そう自分の前で大見得切った彼女が頭を過り、フッと肩の力が抜けた。同じことを本来伝えるべき彼女の寮監にも言ったのだろうか。スプラウトなら今の彼女を知ればさぞ喜ぶことだろう。


スネイプも知る街並みが見え始めて少しして、ゆっくりと車のスピードが落ち、やがて停車した。宣言通りの安全運転で仕事をやりきったリリーが、得意気な笑みで後部座席を振り返る。


「到着致しました。車はここまでとなっておりまして、この建物の奥に魔法省入り口があります」


リリーが側の大きなコンクリートの建物を指す。


「分かった。支払いは…」

「魔法省へ請求することになっていますのでご安心ください」

「そうか」


スネイプは車から降りようとして、奇っ怪な構造のドアに手が止まる。ドアノブらしきものに当たりをつけて触れてみた。

ドアが開いた。

どうやら正解を引いたらしいと安堵して、外で微笑む彼女に考えを改めざるを得なかった。ドアは外から開けられていた。「馬車や家より少し複雑なんです」と苦笑する彼女を見るに、車に戸惑う人間は自分だけではないと推測できた。

地面に降り立ちマントを引き寄せると、彼女がバタンとドアを閉める。そして頼んでもいないのに私のマントから糸屑を取り去り、ズレを直した。


「今日お会いできて嬉しかったです。いってらっしゃいませ」


リリーはスッと背を伸ばし姿勢を正してから深々と頭を下げた。むず痒い見送りに、スネイプは長居したくないと、彼女の示した方角へ歩き始める。


「ご無事で良かった…」


背後でリリーの震える声がして、スネイプは足を止めた。振り返ろうと躙った靴先を数センチで止めて、すぐに目的地へと向け直す。

彼女に何かアクションがあったとして、私はどう行動すると言うのか。再開させた歩みはいつもより僅かばかり遅く、心と連動させるつもりはないと舌打ちをした。

スネイプが建物の影に隠れるタイミングで、バタンとドアの閉まる音がした。そこでようやく振り返る。影から覗けば、想像通り車に乗り込んでいたリリーがハンドルに項垂れていた。具合が悪かったのかと一瞬戻りかけ、顔を上げた彼女の様子に足が地面に縫い付けられる。

彼女は泣いていた。

シートにぐったりと背をつけ溢れては拭い、溢れては拭いを繰り返す。それでも彼女の横顔には安堵に上がる口角が見えていた。意識が戻った聖マンゴの病床でよく見た表情だった。しかしそのどれよりも、彼女に惹き付けられる。


広くはない路地に、クラクションが鳴り響く。スネイプは魔法が切れたようにピクリと指先を跳ねさせ、現状を思い返しため息をついた。視線の先のリリーも後続車の存在に慌て、ハンドルを握り直していた。

去り行く彼女を見送って、スネイプは踵を返す。


自分のために泣く人間がいると、以前は考えたことすらなかった。

不本意ながらも生き延びてしまったこの世界は私にとって180度変わり、静かな地下で平穏だけを求めているわけにもいかない。魔法省や日刊予言者新聞は私をポッターのように英雄視したがっているが、そうは思わない者も数多くいることを知っている。それが当然だと分かっているし、そうであるべきだとも思う。生き延びてしまったがために、話をややこしくした。


だがまた彼女の操る車に乗れるなら、

私に涙する人間がいるこの世界でなら、


もう少しだけ、生きてみるのもいいのかもしれない






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