「しんちゃんはさー、将来の夢とかもう決めてんの?やっばバスケ選手?あ、それともピアニストとか?」
自分の事は二の次にして、進路希望調査表と書かれた紙を眺めながら高尾はそう尋ねた。人事を尽くすが口癖の友人は、その矛先を定める為に恐らくは早い段階で将来の職種なり何なりを決めていそうであると言うのが勝手な予想なのだが、静かに紙切れを眺める様に、案外間違ってもいないのではないかと緩く首を傾げた。

案の定、返ってきたのは大学名と言う中継地点の話ではなく、その先の目標についてである。
「…昔は、家業を継ごうと考えていた事もあるのだよ。」
「家?なんかやってんの?」
「ああ、緑間病院の院長は俺の親だ。」

驚いた。二重の意味で驚いた。緑間病院と言えばこの辺り一帯の病人がお世話になっている大病院の名前で、簡単に言うとバスが緑間病院前で止まるとかそう言うレベルのあれだ。十階建てとか平気で言っちゃいそうなあの大病院の御曹子が今隣でもっしゃもっしゃと卵焼きを咀嚼している自己中我儘でもカッコいい俺のエース様だったなんて。
それと同時に、あんなに大きな病院の跡取りが迷っている、と言うのも不思議だった。珍しい苗字ではあるし親戚かもしれないとは思っていたが、まさか実家だとは思っていなかった。
ただ緑間には圧倒的なバスケの才能とがある。二兎を追える状況ならば迷うのも仕方が無い
くそう羨ましい。
「昔は、って事は今は違うの?」



「正直、迷っているのだよ。」
その迷いをぶつけてくれるのかと思うと、信頼されているようで少し嬉しかった。バスケ以外の事でも、こうして
勿論茶化したりなんかは絶対にしない。ただ、あわよくば、緑間の心の迷いを聞いて、それに対する意見を俺に求めて欲しい。
「難しい事は俺じゃわかんないかもしれないけど、話だけなら聞けるよ。何に、真ちゃんは悩んでんの?」

「……赤司と、出会ってしまったからな。」

嫌な名前に、頬が引き攣るのが分かった。あの男はどれだけ俺の大切な人を縛るのか。
それも将来を、左右させるような、何かで。








「あの病は俺には治せん…っ!!」



あの病、と聞いて真っ先に浮かんだ病名の正式名称を何と言うのか高尾は知らなかった。と言うかそもそもあれは本職から見ても病気と呼ばれるものなのかとかその時点から疑問は尽きなかった。
そして次に浮かんだのは、その稀有な瞳の色の事である。そう言えば中学に入ったばかりの頃、彼の瞳の色は左右同じであったと目の前の相棒は言っていなかったか。


眼科か、……眼科の話なのか。そうだと言ってくれ。


確信を得られないままに柔らかく会話を続ける。肝心な部分が濁されようが曖昧だろうが、日本人特有のなあなあで乗り切って見せようではないか。ハイスペックを舐めるな。

「えー、ならそっち以外の診療科行けば良いじゃん。外科とか似合いそう。あ、案外小児科とかも向いてんじゃね?」
そんなものはただの逃げで、人事を尽くしていないと怒られるであろうか。
けれど他科のことは案外分からないものだと、看護師をしている従兄弟が言っていた。
「手術台の関係で、長身は外科に向かないのだよ。…小児科は考えた事もあるが、第一候補は血液内科だった。」
真剣な顔つきの相棒に、そんな診療科があるのか、と言う茶々は入れられなかった。
血液の病気、と言われ暫く考えた末にに浮かんだのはかの美人女優もその病に倒れたと言う白血病であるが、まあ今それは関係無いので置いておこう。

「ならやっぱり、関係無くね?」
「『月を見る度に血が騒ぐ』とか言う中学生赤司の相手を出来る自信が全く無いのだよ。」






遂に高尾の爆笑が教室中に響き渡った。



「っひ、ぎゃはははははは!!!」
「笑い事じゃねーのだよ!!」
普段から注目を集めることの多い二人である。緑間が力一杯机を殴りつけようが高尾が涙を流し椅子から転げ落ちそうになろうが、周囲の人間は「ああまた何時ものじゃれあいか」と一瞥を投げるだけでそれ以上の注意は引かない。
「な、何、それ、け、血液っぶふぉ、内科の話、なの、っひ、ひひっ!」
血が騒ぐ度に血液内科に来られては確かに堪らない。って言うかそんなモンで病院に来られては堪らない。
「精神科は未だに敷居が高いらしくてな、不定愁訴や不安神経症は内科に来る場合が多いのだよ。」
ご大層な名称である。と言うかあれは本当に病気だったのか。申し訳ないが笑い事である。
「ひっ、は、らめ、しんちゃ、も、らめぇ…ぶふぅっ!!!」
呼吸困難に陥った高尾の額をばしりと叩いたのは、黄金の左手だった。