ひとになったら


足下に溜まっていく滴りを、なすすべも無くただ茫然と見守っていた。
その間中心を占めていたのは、早く水に入りたいと言う日常への渇望。ただ、このままじゃあ水が汚れてしまうから駄目だと冷静な思考も少しは残っていて、このひたすらに面倒な事態への打開策を静かに考えていた。


「ハルちゃん?」
小さな呼び声に反応して持ち上げた自分の顔は、果たしてどんな色をしていたのだろう。
真琴は立ち尽くす俺を見て不思議そうに首を傾げたが、足の間で流れる液体を認めると目を見開いて、その後真っ赤になって浴室へ駆け込んだ。大慌てでバスタオルを持って来て裸のままの俺の腰へと巻き付ける。

「ハル、ハルちゃん…。」
目のやり場が無いのか、うろうろと視線をさ迷わせる真琴を尻目に、フローリングの血溜まりは少しずつ大きさを増している。
「これじゃあ水が汚れるよな。」
「そう言う問題じゃないって!まさかプール入るつもりじゃないよね!?」
「大丈夫だ、水を汚さずに入る方法を今考えてる。」
「大丈夫じゃないって!」



これだから女は不便だ。
結局、嫌だ嫌だと駄々をこねる俺の為に、真琴が近くのスーパーへと生理用品を買いに走った。
隣近所は三代前から顔見知り、そんな田舎町で中学生男子が購入するには恥ずかしすぎる買い物をして、果たして真琴はどんな顔でレジへと向かうのだろう。
店員は男かそれとも女か、若い女ならば楽しいだろうと思う反面、そんな真琴の表情を自分以外の女に見せたくはなかった。

やがて紙袋を持って帰ってきた真琴は泣きそうになりながら震えていて、ああ、自分はどうしようもなくこの人を愛していて、そして愛されているのだと嬉しくなった。


「真琴。」
「……何。」
「やって。」
そう言いながら、その場に座り込んで脚を開くと、真琴は赤かった顔をみるみる青ざめさせ、無言のまま何度も首を横に振った。

「真琴。」
しかし、いつだって折れるのは向こうだ。やがて諦めたようにのろのろと近付くと、膝立ちになって震える手で俺の腰に巻かれていたバスタオルを掴み、血塗れの女性器にそっと触れる。
触れるか触れないか、そんな距離にも関わらず、真っ白だったタオルにじゅわりと音がたちそうな勢いで赤が吸い込まれた。
真琴は驚いて一瞬身体ごと腕を引いたが、伺うように俺を見つめた後、もう一度タオルを押し当てる。

「ひっ……うっ…。」

赤くない液体が床に落ちたと思ったら、どうやらそれは彼の涙であったようだ。それでも手を止めることは無く、眉を寄せ、広い肩を震わせながら、一生懸命になって俺に命じられるまま不浄の後始末をしていた。
真琴は何度も何度も丁寧に血液を拭っていたが、綺麗になったと思った次の瞬間には、また新たな滴りがその指を汚して一向に終わる気配が無い。

いたちごっこだと理解したのか、それとも何かに納得したのか、紙袋の中身を開くと、小さな字で書かれた説明を読み、細長いスティックを一本取り出した。
「挿れる、よ。」
躊躇い無く頷いくと、真琴がフィルムを剥がして、先端を、汚れたそこに押し付けて、ゆっくりゆっくり力を込める。
やけに引っ掛かって、奥へと進む速度が遅い。それは俺が処女の所為かもしれないけれど、真琴の手が震えているからだということにして、責任を押し付けた。


こんなものを着けなければ水に入れない女と言う性別も、そもそも水の中では生きられない人間と言う生物も、全て煩わしさの種でしか無いけれど。
君が泣くから人間を許してやろう。


Back