人幻に


目を開くとそこは見慣れた天井だった。どうやら自分は眠っていたらしく、顔をずらすと机の上には書きかけの書物が積み上げられている。
さてどこまで書いていただろうかと欠伸を噛み殺してベッドから起き上がり、それらの紙に目を通す。

「…え?」

一瞬で頭の中が真っ白になった。これはどう言う事だ?一体、何故?私は何時から眠っていた?
机の前で固まって動けない私の背後から、聞きなれた、しかしもう聞くことは無いと思っていた声が降り注ぐ。
「イーノック、漸く目が覚めたのか?」

「…ルシ、フェル?」

「はは、何て顔をしてるんだお前。まだ夢の続きを見てるのか?」
美しい顔がどこか呆れたような色を湛えながら笑むと、赤い瞳がずいと近付いて調子を確かめるように私の顔をせの視線で撫で付けた。
その色は相変わらず息を呑む程美しくて、それとは別の理由で溢れそうになる涙に、ルシフェルが美しいからだと自分の心に向かって訳の解らぬ言い訳をするのに必死になる。

ルシフェルは、堕ちるのか。
それにあの書類はどう言う事なのだろうか。洪水計画とは、堕天使捕縛の旅とは何だったのだろうか。
何も解らない、私は何時から夢を見ていたのだろう。ルシフェルの唇に触れたのも、アルマロスに歌と踊りを教えたのも、もしかしたら夢だったのかもしれない。今生きているのは何処だ、何が現実で、何処からが夢なんだ。
ルシフェルが心配そうに私の名前を呼ぶ。
「…夢見が、悪かったんだ。」

いっそ狂ってしまいたい。この終わらぬ虚無感に、私が私で無くなる前に。