猛暑


額から顎にかけて、一筋、汗が流れた。


当然の事だろう。いや、むしろ一筋で済んでいるのは彼が天使であるからか。

堕天使を追い掛けて訪れたのは、灼熱の大地。まったく、こんな所によく逃げたものだと皮肉を込めて拍手を贈りたい。


「大丈夫か?ふらついているぞ。」

そう言うルシフェルの声も普段よりは上ずったもので、明らかに疲労の色が見えている。

「大丈夫だ、問題無い…と、言いたいが。少し休まないか?」

どこか日陰を…いやその前に水だ水。喉が張りついて息をするのも痛い。

「そうだな。丁度湖が見えてきた、あそこで休息としよう。」

一足先に失礼するよと羽根を広げたルシフェルに、何故か対抗意識を燃やして疲れた体に鞭を打ち走りだす。



***



「…つ!!!」

湖に着いて愕然とした。

「まさか泥水だったとはな…。」

ルシフェルも悔しさを隠し切れない様子で苦笑を浮かべる。天使もこの暑さは流石に堪えるらしい。

「ルシフェル、君の力で綺麗な水に出来ないのか?」

がっくりと膝を付いた状態で、ダメ元でそう聞いてみる。祝福とか浄化とか、どうにかならないのだろうか。


「それ自体は可能だ。この程度の大きさなら一瞬で浄化出来る。…ただ…。」
「ただ?」

出来るのか。流石俺の大天使!

「湖を浄化してしまうと、此処に住む生き物の住みかを奪ってしまう事になる。泥水の中でしか生きられない魚も多いからな。」

たった一口の飲み水のためだけに、多くの命は奪えない。苦しそうにそう言われ、自分の渇きも忘れてどうにかしてあげたいと思った。


そうだ。

湖に駆け寄ると、泥水を手に掬って差し出した。これなら湖に影響を与えることはない。


「これを浄化してくれ。」


ルシフェルはその手があったかと嬉しそうな表情になり、すぐさま俺の元へと駆け寄った。
白い手をかざすとその場所から光が溢れ、みるみると濁りが消え失せていく。透き通った水に思わず笑みを浮かべると、ルシフェルはその手を押さえて顔を近付けた。

「あっ!ルシフェル!」

手の中から冷たいものが消え、一瞬だけ柔らかいものが触れる。
顔を上げたルシフェルは、悪戯が成功した子供のようにふふんと鼻を鳴らして笑った。

渇きからだけではない衝動で、濡れた唇にむしゃぶりつく。
普段からあまり暖かいとは思っていなかったが、今日は一段と冷たい。
水などもう残っていないのは分かり切っているのに、口の中をしつこく舌で掻き回した。


「仕返し、だ。」


もう一度軽いキスをしてから、再び水を掬う。しかし浄化されたそれに口を付けることなく、手をルシフェルの口元へと自分から差し出した。

「今度は、ちゃんと飲ませてくれよ?」