ママ


イーノックが昇天してメタトロンへとなってから天界時間で約三日、そろそろ色んな事が落ち着いた頃合いだろうとそれまで弄んでいた携帯を畳んでルシフェルは自分の世話した義人を見に行く事にした。
最後に見た時は確か、自分が天使になると言う事実に目を向いて落ち着きの無い犬のようにソワソワうろうろと歩き回っていたような気がする。
さてどうなっているのだろうかと考えるだけで、自然と口元が緩んだ。

(う…わ。)

ルシフェルが遠くからメタトロンの姿を確認した途端、何とも言い様の無い感情が身体を包み、背筋をかけ上がるぞくぞくとした何かに怯えたように身を震わせた。
(何だこれは、この感情は。おかしい、何なんだ。)


あまりの衝撃に暫く何も考えられなかったが、人間のするように深呼吸をし息を落ち着かせたところである事を思い出す。そうだ、メタトロンが天使として司るものの一つに、母性があった。
男が母性を司るとはどう言う事だそれでは父性じゃないのかと首を捻って聞いていたが、何の事は無い。自分ではなく相手の持っている母性を異のままに操れるとつまりはそういう能力なのだ。

堕天さえしていなければエゼキエル辺りが大喜びしたのではないだろうかと思ったが、もう居なくなった奴の事は考えても仕方ない。
他人に流されるのは嫌だったがどうにも女の気分が抜けてくれず、我に帰った時にはお気に入りのジーンズが黒いスカートに変わって胸も少し膨らんでいた。
その事実に妙な苛立ちを覚え、携帯を鳴らす手間すら惜しんで神に思念を送る。

(冗談じゃない!何なんだこれは!)
途端、頭の中に押し殺したような神の笑い声が聞こえたので、ルシフェルの怒りは更に増長する。

(女性体のガブリエルや私みたいな美形ならともかく、天界総出で母性本能触発されてウリエルみたいなガチムチまでこうなってみろ、とんだ二丁目じゃないかどうにかしてくれ!)
自分の事を全力で棚に上げた発言だったが、優しい神はお前も充分二丁目だよとは言わず、その代わりにメタトロンが自分の力を制御出来るようになれば大丈夫だと教えてくれた。

そうと解れば話は早い。取り敢えずイーノックを押さえ込もうと、勇み足で元部下の前に姿を現す。

ルシフェルが神出鬼没なのは前々からの事なのでもう慣れたものであったが、その姿が女になっているとなれば話は別だ。

「ルシフェル!?そ、その姿は…?」
下着も着けずにシースルーのシャツを羽織り、足の付け根までスリットの入ったスカートを履いているルシフェルは普通の人間が見れば何処からどう見ても痴女そのもので、流石のメタトロンも目を剥いて声を荒げる。

少し見ない間に彼に一体何があったと言うのだろうか。ただの悪戯ではなさそうな様子に心配になったが、それと同時に、何か言い様の無いもやもやとした気持ちが胸に渦巻く。
「お前の所為だぞ、責任を取れ!」

メタトロンの頭はメタトロンにとって非常に都合良く出来ていたので、ルシフェルに突然「私が女ようになったのがお前の所為なんだからな」などと言われては、つまりそう言う事なんだろうなとしか考えなかった。

あっさりと晴れたもやもやの正体に、なるほどつまりルシフェルが可愛いのがいけないと実に身勝手な結論を出すと、晴れやかな笑顔でいつもの返事を返す。

「大丈夫だ、問題無い!!」

そのあまりの自信にルシフェルが拍子抜けして、メタトロンに言われるがまま寝室へと入った時にはもう全てが手遅れだったが、最終的にメタトロンはその力を使いこなす事が出来るようになったので、天界総二丁目化計画は無事白紙へと戻った。