この世界に君がいるから


忙しなく動くペンは、もうかれこれ数時間は休みなく働いている。
武骨な手から紡ぎだされる文字は繊細で、その内容は普段あれだけ無口で奥手なイーノックから出てきたとは思えない程に情感に溢れ語彙が満ちていた。
私には愛の言葉すら滅多に囁かないと言うのにと、少々悔しさを覚え気付かれないように背後から抱きつきに行ってやる。

「イーノック。」

広い背中に顔を寄せれば、耳に響くのは優しい心音。私の気配を感じていなかったらしく、抱きついた瞬間に一度大きく跳ねたのが何だか面白かった。
「ルシフェル…驚いた。」
「ふっへへ、邪魔をしたか?」
わざとに聞いてやれば、そんな事は無いと生真面目に首を振り断言する。
こんな反応をされると、ああ愛されているのだなぁと実感するのだが、それだけでは少しばかり足りないのもまた事実だ。側の羊皮紙を手に取ると、相変わらずロマンチックな表現をするのだなと揶揄するつもりで言ってやる。
「いや、まだまだだ。私は、もっともっと美しい言葉を、言い表わせない感動を表現したいんだ。」
「そんなものか?私には充分過ぎる程に見えるがなぁ。」

まぁこれと決めた事には案外頑固なコイツの事だしと一人頷けば、紙ごと私の指先を分厚い手に握られた。

「全然なんだルシフェル。貴方に抱いている想いを…貴方を初めて見た時の気持ちも、顔を見るだけで昂ぶるこの感情も、私は何一つ言葉に出来ていない。」
どうしたら良いのか解らないんだと、困ったように照れ臭そうに、それでも、嬉しそうに話してくれると、もうどうしようもなくて。

「…時間は幾らでもあるんだ、ゆっくり考えれば良いんじゃないかな。」
やっとの思いで口に出せたのはそれだけだったので、私ももっと言葉を勉強しようかななんて、柄にも無く考えてみた。