情熱詐欺


不老不死の義人の話は、瞬く間に近隣諸国へと広がった。
何でもその男は、どんな欲も持たず、どんな誘惑も寄せ付けず、ただひたすらに他者を思いやり正義の為に歩むのだと。
そんな人間が居る訳が無いと跳ね退けるのは簡単であったが、民衆の口にその男の話題が上がらぬ日は無く、恐れを為した支配者達が、不死の男を捕らえよという命を下すのは時間の問題であった。


***


宿屋の亭主は欲の深い人間だったので、正義の人の運命よりも、いかに領主の気に入りとなれるかと言う方が重要であった。
伝説の男は金髪に碧眼の青年だと風の噂では聞いていたが、正に、今日、自分の宿にそのような男がやってきたのだ。
その男は酒も女も断り、言葉少なに明日までの宿泊をとそれだけ注文すると、早々に指定された部屋へと向かってしまった。
この近辺の宿は殆どが売春宿の類であり、自分で連れてでもいない限り殆どの客が女を買っていく。
仮に金銭の問題で買えなかったのであったとしても、値段を聞くなどそれらしい素振りを見せた筈だし、第一男の身なりはしっかりとしていた。これは怪しい。

主人はさっそく店の奥に引っ込んで弟達に事情を話すと、夜が更けるのを待ってその旅人を捕まえてしまおうと画策する事にした。


草木も眠る真夜中に、灯りも持たずに足音を忍ばせる。これではまるで盗賊のようで、何かの拍子に出くわした客と揉めたとしても仕方の無いようなものだが、主人達はそこまで頭が回っておらず、ただ領主の褒美だけを想像してその部屋へと向かっていく。

「どうだ?寝てるか?」
鍵穴を覗く弟に潜めた声で尋ねると、目を細めたり開いたりしていた彼が苦笑したので、主人はおやと首を傾げた。
「兄貴、アイツは違うよ。」
下品な笑みを浮かべたままの弟が鍵穴を指し示す。

「ありゃあソドムだよ。連れの男といちやついてやがるぜ。」
弟の言葉に主人は、連れなど居たようには思わなかったがと呟いたが、促されるままに鍵穴からこっそりと中を覗くと、確かに扉の向こうにはあの金髪の男が居り、その下には色の白い男が組み敷かれていた。
連れの男の顔はよく見えなかったが、噂の義人で無いのならどうでも良い。
ソドムなら女に興味など無い筈だと、毒気を抜かれた二人はその場を後にした。


***


「ふふ、行ったみたいだな。」
褐色の耳たぶを柔らかく食みながらルシフェルが囁く。
イーノックは自分の腰に絡んだしなやかな脚を撫でると、目の前の身体を抱き締める腕の力を強くして不服そうな声を漏らした。
「貴方の美しい肌を、一欠片だって他人に晒したくは無かった。」

まるで拗ねた子供のような物言いに、ルシフェルはいかにも天使らしい微笑みを浮かべると、その鼻先に口付けて愉快そうに言う。
「無欲の義人様がこうも嫉妬深いとはな。お前の崇拝者が見たら幻滅するぞ?」
「人間なんだから欲を持たない訳が無いだろう。ルシフェル以外に魅力を感じないだけだ。」
暗に自分はまだ人間であると主張して、その欲望の対象である白い肌に舌を這わせる。

「嗚呼、可愛いイーノック。なら早く、早く来てくれ。」
対するルシフェルは甘えるようにそう喘ぐと、素直に煽られる百歳の若造を抱き締めて目蓋を閉じた。

彼もまた、人の理想とは外れて肉欲を内包していたので。