僕のおじさんがこんなに可愛い訳がない


 真横でヒュウヒュウと不愉快な音が聞こえてきたので、ベッドサイドの明かりを灯すとおじさんが冷や汗を流しながら呻いていた。
悪い夢でも見ているのか、あーだのうーだのと口をもごもごと動かし眉を寄せる可愛い姿は情事の最中を思い出させて加虐心を煽ったが、その表情をさせているのが自分ではないということにふと気が付いてシーツの中を蹴り飛ばす。彼を苛めていいのは僕だけだ。
「うぇ!?」
何の抵抗もなくベッドから蹴り落とされたおじさんは、何が起こったのか暫く解っていないようだったが、やがて「夢か」と小さく呟くと、安心したように細くて長い息を吐いて両手で顔を覆った。
そんなつもりはなかったのだが、芝居がかった態度が暗に構って欲しいと言っているような気がしたので声を掛けてあげる。全く、ヒーローなんてやっていると親切になるものだ。

「で、どんな悪夢だったんですか?」
いつまでたっても顔を上げようとしないしょぼくれた背中に向かって問いかけると、やや間を置いてからゆっくりと手を下ろして僕を見つめ、ぽつりと口を開いた。
「楓が。」
「娘さんが?」
「楓が『死ねこのホモ親父』って…。」
 そう言い終わった途端、自分で自分の言葉に傷ついたかのように堰を切って涙が溢れだし、彼の顔をぐちゃぐちゃに汚していく。悲痛な面持ちで「ごめん楓」と何度も繰り返し娘の名を呼ぶ彼の姿が酷く、



 酷く、滑稽で。



「っ…ぷ、あはははは!!」
堪え切れずに腹を抱えて大笑いすると、まさか笑われるとは思っていなかったらしく、きょとんと目を丸くして瞬き、やがて顔を真っ赤にして怒りだした。
「な、笑ってんじゃねぇこっちは真剣なんだぞ!」
 どうやら怒りにすり替わった途端に涙は引っ込んでしまったようで、今はただ潤んだ瞳が充血して赤くなっているだけだ。人のことをバニーちゃんだ何だと言う割には、おじさんの方がまるでウサギではないかと考えて更に笑いが止まらなくなる。
「おじさんは。」


「おじさんは、悔やんでるんですかこうなった事?」
 漸く笑いが収まってくれた所で、この際だと前々から一度聞いてみたかった疑問をぶつけてみた。もともとこちらから無理矢理のようにして迫った結果の関係だ、一回りも年下の男にいいように弄ばれている現状は、彼の本意では無いかもしれない。
 おじさんは次に驚いた顔でびくりと一度肩を揺らすと、やがて考え込むように眉間に皺を刻み僕を睨んだ。
泣いて、怒って、驚いて考えて。さて次はどんな反応を見せてくれるのだろう?おじさんが起きてからまだ三十分も経過しないのに、こんな色々な表情を見せてくれる。こんなに面白い人間と出会ったのは彼が初めてで、いつまで見ていたって飽きたりしない。
だから、もしおじさんが今更この関係を解消したいだなんて言って来た所で、手放す気など毛頭無いんだけどね。

「…んなこたねーよ。」
 拗ねた子供のように唇を尖らせてぶっきらぼうに言い放つのは、照れ隠しみたいなものだ。あまり甘えてくれない彼の次の言葉の一欠片を待ってじっと見つめていると、恥ずかしいのか再び視線を逸らしながらもつっかえつっかえ話し始めた。
「お前の…事は、ちゃんと、好きだし…。別に、知らない奴に何言われたって良いさ、でも…でも、楓に嫌われるのだけは、それだけは嫌なんだ!」
喋っている内に語気が荒くなり最後はまるで叫ぶようにして腕をベッドに叩きつける。そのままシーツを掴んだ手が微かに震えているのを果たして本人は気付いているのだろうか。

「もう一回言って下さい。」
「だから楓に嫌われるのは「その前。」
何を言っているのかとでも言いたげに首を傾げたが、僕の求めている言葉に思い当たると失言だったとでも言うように口を押さえて慌てて首を横に振る。
「ちょ、待て今の無し!無し!!」
「無しは無しです。」
 無しになんか出来るものか、気持ちよく寝ていた所を起こされたのも僕以外におじさんを泣かせる事の出来る相手が居る不愉快も全部その一言で帳消しだ。

とりあえず。


「挨拶は『お父さんを僕に下さい!』で大丈夫ですかね?」

勝手にしろと叫ぶ声が未だに泣いていたような気もしたが、これはきっと嬉し泣きだと納得して黙殺してやった。