天界三分クッキング


神妙な顔付きでイーノックが私の前に立ったので、一体何が起こったのかと身構えたら、何のことは無い。料理を教えて欲しいと言い出した。
「その位ならお安い御用だが、また突然だな。」
眺めていた雑誌を机に置くと、取り敢えず何が作りたいのかと問い掛ける。テレビで料理番組でも見たのか、それとも好きな女の為に料理の出来る男になろうとでも言うのか。後者なら教えない。一生私の手料理を食べるんだ。
しかし、返って来たのは何とも彼らしい一言であった。

「そろそろ、母の日だから。」
その笑顔が眩しい。ああこの時代のお前も、父母を労る優しい子供なのだなと思わず目尻が下がる。家を開けがちな両親が久々に揃う今日この日を、ずっと楽しみにしていたのだろう。
それならば私も協力するのはやぶさかではない、一番良いレシピを伝授してやろうと立ち上がった。


***


イーノックは調理実習で使っていたと言うエプロンを引っ張り出して身に付けると、私の隣に立ち目を輝かせて説明を聞いていた。
いつもこのくらい話を聞いてくれれば良いんだが…まぁいい。
野菜をみじん切りにしていく手つきが若干危なっかしい気もするが、基本的には要領よく手順をこなしてゆき、私が大して手を貸す事も無く、予定していたハンバーグはあっという間に後は焼くだけの段階まで持ち込んだ。

「そうそう、上手いじゃないか。」
中まできちんと焼けたのを見計らって、フライ返しで一つずつ引っ繰り返す。

「出来た…!」
綺麗にそれぞれの皿に盛り付けられたハンバーグは、イーノックが作ったと言う欲目を差し引いても中々美味しそうに仕上がっている。私は途中から付け合わせのサラダやスープを作る作業に移行して少しの間目を離していたのだが、ふと彼の気配が消えたのに気が付いた。
どうやら自分の部屋へ行って何かを取ってきたようだ。

「…これは?」
「調理実習で作ったんだ。」

部屋から降りてきたイーノックに手渡されたのは、綺麗に袋詰めにされたカップケーキ。
「学校で、母の日のプレゼントにって皆で作ったんだ。…一人で作った分だから、ルシフェルに渡したくて。」
その言葉に胸の鼓動が高鳴るのが解る。今ならエゼキエルの言っていた母性愛とやらに目覚められそうだ。

「ルシフェルは母さんじゃないけど、大切な人なのに変わりは無いから。…いつもありがとう。」
照れ臭そうに言う姿があまりにも可愛くて、気が付いたら力の限りイーノックを抱き締めて顔中にキスの雨を振らせていた。イーノックは暫く腕の中でもがいていたが、やがて諦めたように抵抗を止めてその上私の唇に口付けてきた。


その瞬間、ハンバーグの代わりに頭からバリバリと食べてしまおうかと本気で考えたのは、彼には内緒である。