幽霊ジョニー


「無理だ!ルシフェルそれは駄目だ!頼む止めてくれ!!」
ウリエルが執務室の前を通りかかった時、中から今にも泣きそうな声が響いてきた。
それと同時に、聞き覚えのある独特の笑い声も。

今度は何をやっているんだと重たい溜息を吐きながら扉をノックすると、中に入った瞬間に勢い良く金色の影が振り返った。
「ウリエル!!ルシフェルが、ルシフェルがっ…!」

碧い瞳に涙を浮かべ今にも泣き出しそうなイーノック…と言うところまでは予想通りだったのだが、そこから先の推測は外れており二人の間にはいくばくかの距離があった。
ルシフェルがイーノックを押し倒しでもしているのかと思ったのだが。

ルシフェルは椅子に座って、目の前の皿を何やら弄んでいる。その皿の上には、白くて小さな食べ物が並べられていた。
「それは…?」
「これは『ホタルイカ』と言う海の生き物だ。大抵は煮たり茹でたりするんだが、このように生でも食べられる。」
そう言うと、箸で摘んだホタルイカを黒い液体に浸してから口へと放り込む。

「っ!」

イーノックが目を見開き、何か恐ろしいものでも見るかのような態度でルシフェルに接する。
おや、と思ったのは一瞬で、ウリエルは直ぐにその理由に辿り着いた。
「嗚呼、イーノックは菜食主義だったか。」
天使が肉を食べると言う事が信じられないのだろう。だが、天使は食べなくても生きてゆけると言うだけで、その気になれば植物だろうが酒だろうが、当然肉だろうが食べる事が出来る。肉食は罪ではない。
しかしその予想は外れていたらしく、イーノックはとんでもないとばかりに首を振ると、普段の穏やかな態度はどこへやら興奮した様子で言い募った。
「菜食がどうとか言う問題じゃない…こんな、だって、目が…いや食べ物じゃないだろうこれは。」
だがイーノックのその狼狽に反し、ウリエルにはその感覚がよく解らなかった。海に住む生き物だろうが、空を飛ぶ生き物だろうが、同じ神の造りたもうた生き物ではないか。イーノックは今でこそ菜食主義だが、地上で暮らしている時は羊や鳥を食べていた筈だ。なら何故このホタルイカを頑なに拒否するのか。

「ウリエルもどうだ。中々旨いぞ。」
ルシフェルの勧めに従い、箸を借りてホタルイカを摘む。見よう見まねで黒いソースに浸し口に放り込むと、イーノックの顔が信じられないと言う風に歪んだ。

ぷちゅりと中身が裂けて柔らかな食感が口内に広がったのを、内臓だろうかと考えながら咀嚼する。中々旨いのでイーノックも食べれば良いと、そう口にしようとした瞬間。
「…む。」
「どうした?」
コリ、と一際歯応えのあるその感触は恐らく。

「目玉が歯に引っ掛かった。」
「止めてくれぇぇぇ!!」

悲痛な叫びを上げて頭を抱えたイーノックを、ルシフェルはひたすら愉快そうに笑いながら眺めていた。