名前忘れた



「イーノック。」


何度そう名乗ったか解らない。
「君には72通りの名前がある。」だなんて、正直転生した後の事など自分の知った事ではない。生まれ変わった後どんな名を名乗っていようが、今の自分はイーノックでありそれ以外の何者でも無いのだから。

それなのに彼は聞いてくる。「名前は何だったか」と。

その度に自分以外の誰かの話をされるようで、何とも言えない焦りや疎外感、それから苛立ちに指先の震えを隠せない。

「そう不貞腐れるな。なぁに、名前なんて大した問題じゃない。要は私が君を呼んでいる、良いじゃないかそれで。」

ひんやりとした笑顔は崩れる事が無く、掴んだ腕もその表情と同じく冷たくて掌から徐々に温度が奪われてゆく。

奪われているのは果たして温度だけなのか。何度見たか解らない死に様の夢が不意に脳裏を過り、果たして彼は来世でどんな名前になるのだろうか、いやそれよりも彼に来世なぞと言うものがあるのかととりとめの無い思考が渦巻いた。

「君が俺の名を忘れようと、俺は君の名前を間違えない。」