それどころじゃないから


じろり、と音がしそうな程に鋭い目付きで睨まれ、イーノックはその視線の相手に悟られぬようにそっと冷や汗を流した。

(俺は…何かしたか。)

そう一言聞くことが出来れば良いのだが、生憎その勇気が沸いて来ない。無言の視線がこれほどまでに痛いものだとは知らなかったし、知りたく無かった。
ちなみに今はルシフェルの家に遊びに来て、彼の部屋で本を読んでいる所である。
最初に気付いた時は何か用があるのかと思っていたのだが、俺が視線を上げると彼は何事も無かったかのように手に持った本へと視線を落とす。彼から声を掛けるつもりは無いらしい。

ちなみに家に遊びに来ているのに何の会話もしないから、と言う理由では無い筈だ。生まれた時からお互いが隣に居り、会話が無くても気まずくない程度には付き合いは長い。
本の内容も頭に入らずルシフェルの事を考えながら、不審がられない程度にページを捲る。

するとその時、廊下の方から足音と共にルシフェルを呼ぶ声が聞こえて来た。この声はミカエルのものだ。良かった救われたと思わず胸を撫で下ろす。



「ミカエル煩い、後にしろ。」

一刀両断。

しょんぼりと肩を落としたミカエルの声が遠ざかると、再び突き刺さるような視線がイーノックに纏わりついた。
本当に、俺は何をしたんだ。



当のルシフェルは、本を読むイーノックの真面目な横顔を好きなだけ見つめる事が出来て悦に入っていた。