策略


一日の疲れを取るには水浴びに限る。
イーノックは冷たい飛沫を受けながら、確実に軽くなる身体に喜びを隠せずに居た。汗や埃を払うと、頭がすっきりとするような、逆に心地よさにふわふわとするような。
シャワー代わりに使っている小さな滝から身を引くと、動物のように頭を振って水気を飛ばす。

すると、滝の中に居た時には気付かなかった足音が聞こえてきた。
「やぁ。」

天使には裸を恥ずかしいと思う概念が無いのか、それともわざとなのか。爽やかなルシフェルの笑顔は何時も通りで、イーノックは一瞬でも焦りを覚えた自分が馬鹿らしいとさえ感じた程だ。
「珍しいな、貴方が此処に来るなんて。」
心を落ち着かせる為にわざとゆっくり言葉を紡ぎ、目の前の愛しい天使を見つめる。

「いや、毎日毎日熱心なことだと思ってね。」
どうやら彼と自分とでは水浴びというものの捉え方が違うのだと、その時何となく気付いた。他の天使はどうか知らないが、ルシフェルは汗などかきそうに無いから、修行か何かのように捕らえているのかもしれない。
「熱心…と言うか、俺は人間だから汗もかくし、汚なくなるから。」

その言葉を聞くとルシフェルはきょとんとした表情の後で、合点がいったようにふむと頷いた。
「なるほど、風呂の代わりと言うことか。いや済まない、綺麗好きなんだな。」

フロと言う言葉をイーノックは知らなかったが、まぁまた自分が知らない未来の言葉なんだろうと理解し、ルシフェルが納得しているなら良いかと特に追及はしなかった。
「ああ、風呂と言うのは温かい湯で水浴びをすることだ。とても気持ちが良いんだぞ。」
そんなイーノックの気持ちを察してか、ルシフェルはニコニコとしながら解説をする。
「それは気持ちよさそうだな。いつか体験してみたい。」
「その時は私が背中を流してやろう。」

何もやましい話では無い筈なのに、顔が熱くなるのを隠せない。ルシフェルは人の悪い笑みを浮かべながらちゃぷりと水音を響かせてイーノックの隣に立つと、甘い声で囁いた。
「それとも、今から洗ってやろうか?」

勘弁してくれと思いながらも喉が鳴るのは、誰にも止められない。