鞄の留め具がはまらない


―神は言っている。お前等いい加減にしろと―


「イーノック…!」
「ルシフェル…!」

お互いの姿を認め、感極まったように上がる声を聞いたのは今日だけでもう三度目だ。
どこから降って沸いたのか、そこだけ薔薇や百合など色とりどりの花が舞い散る。桜にでも何でも攫われてしまえとアークエンジェル達が思ってしまうのも無理は無い。

そこに普段の生真面目な書記官と飄々とした大天使の姿は無く、恋に恋する乙女のように、うっとりとその輝く瞳を揺らして頬に朱を散らす人影が二つあるだけだった。

周囲の天使達は我先にとその場を後にし、また何も聞こえませんよとばかりに隣の相手とどうでも良い話を喋り始める。
最初の頃は二人を引き剥がして仕事をさせようとする猛者の姿もあったのだが、大天使の逆鱗に触れ書記官に見えない場所でこっぴどく締め上げられてからはそんな真似をする愚か者の姿は無くなった。

「イーノック、この前言っていた未来の叡智の事だが……。」
「覚えていてくれたのか!嬉しいよ。」
「ふっへへ、お前の言葉を私が忘れるとでも?」
しっとりと甘さを含んだ空気は直ぐに周囲のそれを染め上げて、二人だけの世界を築き上げていく。
簡単に言うと凄く近寄りたくない。

徐々に周囲から人の姿が遠退くその最中、突如として、二人にとっては別れの合図、周りの者にとっては救いである、夕刻の鐘が鳴り響いた。

「あ…。」
離れがたい、とその絡む指先が訴える。

「また…後で、夜に部屋に行っても構わないか?」
「大丈夫だ、問題無い。」
名残惜し気に合わさる視線もほどなくして別れ、嵐のように訪れたその波は現れたその時と同じようにまた突如として過ぎ去って行った。


はぁ、と溜息を吐いた後に呟く言葉を、本人達以外は皆知っている。

「「彼は、私(俺)をどう思っているんだろうか。」」



全く、これでくっついていないと言うのだから驚きだ。
周囲から聞こえよがしに漏れた大きな溜め息は、二人には全く聞こえない。

勝手にやってろ。