恋月想歌1
歌が、聞こえる。遠い異国の言葉で綴られたその旋律は、最近ではすっかり耳に馴染んでいた。声の主はテラスにいるはずだ。窓を開け一歩足を踏み出せば、ヒヤリとした夜の風が頬を撫でた。そして目に入るのは、愛しい人の後ろ姿。
「そろそろ中に入りなさい。風邪をひく」
そう声をかけると、彼女は振り向いて悪戯っぽく笑った。
「貴方が此方に来て暖めてくれたら、問題ないと思うんだけど?」
どうやら自分の希望を曲げるつもりは無いらしい彼女の言葉に少し肩をすくめると、傍らへと歩み寄った。隣に立てば当たり前のように頬を寄せ腕を絡めてくる彼女に、自然と口許が綻ぶ。惚れた方の負け、というやつだ。
「……そんなに夜の森が好き?」
「ええ、とても」
目下に広がる鬱蒼とした木々たちは、月明かりに照らされ密やかにざわめいていた。自分にとっては見慣れたものだが、人々はその様を恐ろしく感じるらしく“夜の森を歩くと化け物に襲われる”と幼い子供に教え込む。だから彼女の意見は極めて少数派だ。実は結構変わり者ななのかもしれない――そんなことを考えているのが伝わったのか、彼女が続けざまに口を開いた。
「私が夜の森で会ったのは化け物じゃなかったもの。言い伝えなんてあてにならないわ――ねぇ」
呼び掛けに視線を傾けると、澄んだ瞳と目が合った。
「約束、守ってね」
絡める腕に力がこもるのが分かった。今までも幾度となく繰り返された問い掛けだ。だからまた、同じように言葉を返す。
「必ず守るよ。この命が尽きるまで、ね」
それに満足したらしい彼女は微かに微笑み、再び歌い始めた。
「それは、なんの歌なの?」
ふと思い立ち、尋ねてみる。彼女は特に躊躇うこともなくそれを教えてくれた。
「これはね――」
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