×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


18



 水の音がした。せせらぎのような優しい流れとは違う、激しく暴れ狂う獣のような轟音。壁一枚を隔てただけの場所だというのに、ひどく遠くで起きたもののように聞こえた。
 ――否、事実それは既に隔絶された空間での出来事だった。時の止まったこの聖堂こそが〈時柱〉が支配する場であり、廃墟となった街など付属品に過ぎない。壊れたところで露ほども影響はなかった。
「死んじゃったんじゃないの」
 不意にメネが呟いた。聖堂から出て行った彼等のことだ。しかしその声に感情はなく、気にかけているという風でもない。思い付いた事実をただ口にしてみただけ。彼女はいつもそうである。それにノヴァとて考えなしに彼等を放り出したわけではないので、心配する必要もなかった。
「大丈夫でしょう。死なない程度に守護されていたみたいだから――そうでしょう、精霊王」
 どこへともなく呼び掛けた声に答えるように、空気が水面のように揺らいだ。どこからともなく清涼な流れが溢れ出し、空中で渦を巻く。徐々にそれは人に似た形を成し、澄んだ身体は鮮やかに色づいて、やがて瑞々しい少女の姿となった。
 青く揺蕩う髪、陽光にきらめく海の瞳、裾から覗くしなやかな尾びれ。現れたのは王子の一行がレニィと呼んだ精霊に違いなかった。ただその顔立ちは随分と大人びて、かしましい空気は欠片ほども纏っていない。身体の大きさも人間と殆ど変わらなかった。これが本来の姿、ということなのだろう。
「よくこんな所まで来たものね。あなた方には随分嫌われていたと思ったのだけど?」
「放っておいたら、殺す気だったんでしょう」
 問い返されて、ノヴァは軽く肩を竦めた。レニィの表情は険しい。水の精霊王は人間好きと聞いていたが、本当にここまで入れ込んでいるとは。
「人聞きの悪いことを。死体でも問題なかったというだけの話よ」
 剣呑な目つきのレニィを無視して、淡々とそう返す。事実だった。王子と聖女がここへ辿り着いた時、例え死んでいたとしても困ることはなかった。その方が好都合なことさえあったかもしれない。招いたのはノヴァ達だが、此処へ流れ着くまで守っていたのはレニィの力だ。そして帰りも彼女の守護で無事に地上へ無事戻ることだろう。ノヴァ達としてはどちらでも良かったというだけの事だが、彼女から見れば殺そうとしているようにも見えたのかもしれない。
「まぁ、結果的に生きててくれて良かったかもしれないわね。彼等に話したことは事実だし、現状だと引き継ぎも出来ないから。もうしばらくは見物させてもらうわ」
「……随分とお気楽なのね。貴女達に与えられた役目が果たせなくなるかもしれないというのに」
 どこか責めるような口調のレニィに、ノヴァは微かに苛立ちを覚えた。同時に、そんな自分に驚く。長すぎる月日の中ですっかり凪いでしまった心が、未だにさざめくこともあるのか、と。
「どうでもいいもの。人も、精霊も」
「人にも精霊にも連なる貴女達が、それを言うの」
「私達だから言うのよ。私は過去を捨てることが出来ず、メネは過去を持つことを許されず空白ばかりを抱える。その中で悠久を生きる責め苦を与えられたのは、何のせいだと思っているの?」
 溢れ出した言葉は、自分でも予想外だったほど鋭かった。レニィは苦々しげな顔で唇を噛み、視線を逸らす。その様子にささやかな満足感を得て、ノヴァは更に続けた。
「貴女こそ、他の精霊王に睨まれるわよ。そんなに人間に肩入れして、私達と話なんかして」
「その時は、その時。私はただ、人も精霊も穏やかであればいいと思うだけ……貴女達も、よ」
「――本当に人の神経を逆撫でするのがお好きなようね」
 落ち着いたかに思えた心が、再びさざ波立つ。同情など御免だ。人とも精霊とも交わる気はない。メネと二人、最後の日を待つ。それだけで充分だ。それだけが、重要なのだ。
「貴女もさっさと戻ったら如何? 人は脆いもの。地上に流れ着いただけでは死んでしまうかもしれないわよ」
 そう吐き捨て、踵を返して背を向ける。しばらくして、ぱしゃん、と水の弾ける音がした。ようやく姿を消したらしい。詰めていた息を吐き出しメネに目を向けると、彼女は少しだけ首を傾げた。
「ノヴァが怒るの、珍しい」
 珍しいも何も、外の世界と関わらなければ感情が動くこともない――そう返しかけたが、確かにそうかもしれない、と思い直した。元から、自分は感情表現の豊かな方ではない。メネはその事を言っているのだ。
「……昔はメネの方がよく怒ってたのにね」
「そうだったかも。でも今は、すぐに忘れちゃうから」
 何気なく零した台詞が失言だったと気付くが、メネの返答は冷静であった。しかしその心境までが同じとは思えず、軽率な発言を後悔した。
「……帰ろう」
 ノヴァが謝罪の言葉を探すより先に、メネが立ち上がる。そんなものは求めていない。そう言われたような気がした。
「……そうね」
 静かに頷き、メネと共に力をふるう。二人だけのために作り上げた空間へ帰るために。時折時間の歪みに流された漂流物が辿り着くだけの、誰も足を踏み入れることの出来ない閉ざされた場所へ。
 時間に取り残された自分達が安息を得られるのは、そこしかなかった。


第三章 終


[ 18/18 ]

[*prev] [next#]



[しおりを挟む]


戻る