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16

「こっちだよ」
 老女に続くようにして扉を潜る。中を誘導されて辿り着いたのは一階の奥の廊下、それを更に進んだ突き当たりの部屋である。宿として使われる区画からは随分離れている。恐らくはイロー達の居住用の一室なのだろう。
「私は外に出てるからね。適当に話しておくれ」
 案内し終えるなり、老女はさっさと退散してしまった。その背中を黙って見送り、改めて目の前の扉に向き直る。幾ばくかの逡巡の後に控えめなノックをすると、入ってくれ、と短い返事が聞こえた。
「……ご主人」
 中へ足を踏み入れると、イローは部屋の端に置かれたベッドの傍で跪いていた。彼は俯き、何かを見つめたまま動かない。視線の先のやや膨らんだ上掛けが、そこに誰かが横たわっていることを示唆していた。
「……紹介するのが遅くなって悪かったな。俺の女房だ」
 ややあってユイス達が入ってきたことに気付いたのか、緩慢な動作でイローが顔を上げた。彼のが示すままに、恐る恐るベッド上が見える場所まで近寄っていく。そして、言葉を失った。
 遺体は、見るに耐えないほどのものだった。全身が酷く痩せ衰え、四肢はまるで枯れ枝のようだった。土気色の肌には張りがなく、斑に皮膚が赤紫に変色している。眼窩は窪み、唇はひび割れ、毛髪は殆ど抜け落ちていた。そして、部屋に入った時から鼻につく臭い。腐臭、だろうか。働き盛りの年齢と言えるイローの妻にしては、随分と違和感があった。まるで、餓死した老人をそのまま放置したような状態なのである。しかし、それもクロック症候群ということなら全て説明がつく。恐らくは急速に老いて、身体が壊死していったのだ。
「去年の、今頃だったかな。おかしくなり始めたのは」
 折れそうな妻の手を握りしめ、イローはぽつぽつと語り始めた。
「最初は膝が痛いだとか腰が痛いだとか、そんなんだったんだ。その時は俺らも歳か、なんて笑ってんだけどな。見る見るうちに弱っていって……こんなになっちまった。これでも、元々は結構美人だったんだぜ」
 言いながら、イローは妻の顔へと視線を移す。冗談めかした台詞を付け加えながらも、その語尾は微かに震えていた。
「……力になれず、すまなかった」
 ――彼がどれほど切実な思いを抱えていたかなど、想像することしかできない。日に日に死が近付く妻を見て、イローは何を考えていたのだろうか。少なくとも、何か救う手立てがあれば、と感じたことはあったはずだ。でなければ、見ず知らずの余所者に、あのような剣幕で迫ることがあるだろうか。己の無力を噛み締め口にした謝罪に、イローは静かに首を振る。
「もう長くないのは解ってたんだ。今更どうにもなんねぇだろうことも」
 イローは赦しの言葉を口にする。しかしその表情はあくまで暗く、彼はでもな、と続けた。
「少しでも申し訳なく思うなら、早く治療法見つけてくれや。国も神殿も、何もしてくれなかった。治療法については模索中だって、そればっかりだ……本当そんなもんあるのかね」
 イローは決して口調を荒げるようなことはしなかった。しかしその内容は、ユイスの肩へと重くのし掛かる。端々に宿る深い嘆きと憤りが、ユイスの胸を抉っていく。そうだ。何もしていないも、同然だ。
「祈りを捧げるより、生きてる人間を助けてくれよ。なんで俺の女房は、こんなに苦しんで死ななきゃならなかった……?」
 最後は殆んど独り言のように呟くと、イローはそれきり黙り込んでしまった。時折、鼻を啜る音だけが響く。慰めの言葉など、掛けられる筈もなかった。そんな資格など自分には無い。彼の妻が死んだのは、未だ治療のひとつも行えない国と神殿と――ひいては、王子たる自分のせいなのだから。自分が森で手をこまねいているその間にも、ひとつの命が失われてしまったのである。
「――数多の精霊達よ、眠りについた彼の者を安息の地へと導きたまえ」
 痛いほどの沈黙の中、レイアが静かに遺体に歩み寄る。儀礼に乗っ取って胸に手を当て、紡ぐのは死者のための精霊達への祈りである。彼女に倣い、ユイスも礼をとって祈りの文句を諳じる。
「……彼の魂が解け、水に、土に、風に、炎へ還り、やがて再びひとつの命となるまでの安寧を授けたまえ。旅立つ御霊に、祝福あれ――」
 この行為が、イローの安らぎに繋がることはない。それでもユイスは祈りを捧げた。それしか、できなかった。


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