×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -


18

 そう言いながら、ノヴァは頭上に目をやった。優美な天井画、細やかな装飾の硝子窓。それらは息をつくほど美しかったが、彼女達にはなんの慰めにもならなかっただろう。人の痕跡がないはずである。幽閉、という言葉からして、この場所を訪なう者がほぼ皆無だったことは容易く想像できた。
「母の死に様は、よく覚えてるわよ」
 いつの間にか視線を戻したノヴァが、不意に呟いた。
「土気色の肌で、痩せ細った枝みたいな手でずっと何かを探しているの。誰のものかも分からない名前を呟きながらね。食べ物も口にしなくなって、私達の声にも反応しなくなって、そのうち死んでた。悲しくはなかったけど困ったわ。埋める場所もなくて。時間の乱れに気付いた人間達が次の時柱を連れてくるまで、腐っていく死体を毎日見つめてた」
「もういい。充分わかった」
 とうとうユイスは降参の意を示した。当時の彼女達の心情は察するに余りある。しかしノヴァは語ることをやめなかった。
「母の処理をした人間の顔も、忌々しそうに呟いた言葉も全部覚えてる。忘れてしまえれば少しは楽なんじゃないかとよく思うわ。でも出来ないの。私はそういう宿命を負わされてしまったから。エル・メレクの過去は全て私の中にあって、永遠に逃れられない。この苦痛が貴方に理解できるのかしら?」
 言われて、ユイスは答えを返すことが出来なかった。ノヴァは小さく鼻を鳴らして、傍らのメネをを見遣った。ノヴァと違って、彼女が声を荒げるようなことはない。しかしその瞳はひどく虚ろで、凍りつきそうなほど冷ややかだった。
「メネは、私の逆。未来は空白。記憶なんてものは存在しない。だから、彼女の中には何もない。辛うじて時柱の宿命と私という姉妹がいることは理解できるけど、他の記憶は一日も持たない」
 背後でレイアが息を呑む気配がした。これまでユイス達との対話の殆どをノヴァが担っていたのは、そういう訳だったのだ。
「私達にとってここは揺り籠。そして永遠の檻。母の死が羨ましかったし、憎らしかった。罪を犯して、勝手に私達を産んで、全て押し付けておいて自分は死によって解き放たれた――ああ、あの結晶の理由だったわね。そんなものないわ。ただ疲れたの。母の罪が許されるまでずっとこのままなんて。『現在』の時柱は死という終わりがあるのにヴァルトも他の人間も我儘ばかり。それが不快で仕方なかった。これでいいかしら?」
 どこか投げやりにも聞こえる口調で、ノヴァは微笑んだ。どちらでもいい、と言った彼女の言葉を思い出す。素直に時柱として一人を犠牲にしようと、世界の秩序を壊そうと、自分達には何ら影響はない、と。ユイスはその思考を彼女達が人とは遠い存在であるが故だと思っていた。しかしそれは違う。人と近い部分があるがために自暴自棄になっている、という方が正しい気がした。長すぎる孤独と重責に疲れ果てたのだと、今なら分かる。『現在』の時柱がなくなり均衡が崩れれば、彼女達とて消滅の危険があるはずだ。話を聞く限り時柱は三柱揃って初めて正しく機能するものだろう。それすらも、滅びが解放であると彼女達は思うのかもしれない。
「……この仕組みはいつまで続くんだ。貴方たちの母の罪が許される日は来るのか」
 問うたところで答えがあるとも思えなかったが、口にせずにはいられなかった。記録にすら残らないほど膨大なエル・メレクの歴史は、時柱の存在の上に成り立っている。それでも雪ぎきれない精霊殺しの大罪。終わりがあるとして、あとどれくらいの時が必要なのだろう。そんな途方もない質問にも、ノヴァは律義に答えた。
「そうね。人と精霊の関わりがなくなれば、じゃないかしら? 二人が恋に落ちてしまったのが原因だから。もう少し具体的に言うなら、エレメンティアと呼ばれる人間がいなくなるまで。人と精霊が共に過ごしていた名残の力が消え去るまでよ」
 その回答に、ユイスは拳を握り締めた。昔と比べてエレメンティアの数は減っている。しかし完全に消え去るまでとなると、どれほど先の話になるのか。それに時が経てばまた時柱の存在が忘れ去られるかもしれない。結局同じことの繰り返しになる。
 だが、ここまで辿り着いて諦めたくはなかった。彼女達がいつ解放されるのかと考えれば同情の念は湧いてくる。それでも、レイアはここに置いていけない。人間は我儘ばかり。その通りだ。この件に関しては我儘を突き通すと決めている――ただ、人間の手には余り過ぎる問題だ。どうにかしてやる、と言うことも出来ない。
「そちらの事情は理解した。すぐにどうこうなるものではないが、幸いにして私は王族だ。時柱の話は後世に伝わるよう努力しよう。だから」
「人間の言うことなんて信用出来るものですか。今すぐ解放してくれるというなら別だけど」
 苦し紛れのユイスを遮り、ノヴァが言う。それでも、と続けようとして、ユイスは言葉に詰まった。彼女達の絶望を覆すだけの切り札などどこにもない。結局、どうにもならないというのか――そう歯噛みした、その時だった。


[ 18/20 ]

[*prev] [next#]



[しおりを挟む]


戻る