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:: 猫の日だった

 みゃあ、という小さな鳴き声に、ユイスはうたた寝から目を覚ました。目の前にはまだまだ片付きそうにない書類の山。一つ案件を片付ける間に二つ三つと新たな仕事が増えている、ということがしばしばあるせいで、ユイスは未だ執務室に籠ってペンを握る日々が続いていた。これでも量が減ってきてはいるのだが。
「……居眠りばかりしてはいられないな」
 睡魔に囚われていたのはほんの僅かの時であったはずだ。眠り込んで日が傾いているということはないだろう――そう思って窓の外に目をやると、窓枠には小さな黒い影がちょこんと足を揃えて座っていた。影はユイスと目が合うと、再びみゃーあ、と鳴いた。
「さっきのはお前の声か。全く、いつもどこから入ってくるんだ?」
 言いながら指で少し額を掻いてやると、黒猫は満足そうに目を細め喉を鳴らした。
 この猫がユイスの執務室に現れるようになったのは、ここ最近のことである。換気のために少し開けていた窓から入り込んできたのが最初だった。人懐こく、毛並みは綺麗で肉付きもいいので、城内のどこかで飼われているのかもしれない。ティムトあたりに見つかると追い出してしまいそうだが、ユイスとしてはこの小さな客人を歓迎していた。特別動物好きというわけではないが、構えば変わり映えしない書類仕事の気分転換にもなる。初めは部屋を荒らさないか心配したものの、意外にも猫は大人しかった。時々ユイスの足にじゃれついたりするものの、それ以外は定位置の窓枠で日向ぼっこを楽しんでいる。今日も、ユイスがうたた寝している間に入り込んで日当たりの良い場所を陣取っていたのだろう。
「何もないがゆっくりしていくといい。そうだな、次に来た時はおやつの一つでも用意しておこうか」
 現在のユイスの唯一と言っていい癒しだ。それくらいの待遇はあってもいいだろう。そう言いながら指を離して仕事に戻ろうとすると、不意に猫の様子がおかしい事に気が付いた。中空の一点を見つめ、何かを警戒するように両耳をピンと立てている。ついには姿勢を低くして唸り出し鋭い警戒音を発する。
「……どうした、何か」
 あったのか、と問うた瞬間、猫の視線の先で火花が散った。比喩ではない。橙の光が数度にわたり、小さく閃く。それを見ると同時に、ユイスは状況を正確に理解した。まずい。これは非常に、まずい。
「待っ――」
 静止する暇もなかった。猫は勢いをつけて後ろ足を踏み切り、書類の山を足場にして獲物を目掛けて飛びかかった。しかし対象を捕らえることは出来なかったようで、壁際まで追いかけて行ったかと思うと今度は反対に身を翻し全力で駆け出す。それでも獲物を捕まえられず、猫は棚に登り、壁紙に爪を立て、唸りを上げながら部屋中を駆けずり回った。当然、辺りは大惨事である。インク壺は倒れ、書類は汚れ、どこからから焦げたような臭いがする。これ以上はたまらないと猫をむりやり抱えようとしたが、顎に強烈な拳を見舞われユイスは膝をついた。
「ああもう、お前らいい加減にしろ!」
 叫んだ瞬間、がちゃ、と音がした。次いで猫が走り去る足音。訪室者だとユイスが気付くまでには、幾ばくかの時間を要した。
「……騒がしいから様子を見に来たんだが、一体何があったんだ?」
 訝しげに尋ねたのは友人兼従者である青年だった。堪らず声を上げた瞬間を目撃されてしまった羞恥と、まだ彼でよかったという安堵が入り交じる。これが王子に尊敬の念を向けている一介の兵士や文官だったら、目も当てられない。
「ティムト……俺はもう疲れた……」
「よく分からんが、とりあえずちゃんと座れ。片付けが終わったら茶淹れるから」
 優秀な従者は、とりあえず深刻な事態ではないと理解したようだ。彼の提案に頷くと、ユイスは深々と息をついた。
「見えても見えなくても、同じことに頭を悩ませる羽目になるとはなぁ」
「なんのことだ?」
「……片付けながら説明するよ」
 ティムトの疑問に肩を竦めつつ、ユイスは部屋の惨状を眺め、また溜息をついた。




「レイア、先日ルーナに届けたビスケットの山はどうしたのだろうな」
「……それが、三日と経たずに綺麗になくなっていたと……」
「急ぎ、追納分を用意させるとしよう。全く……」
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2020/02/25 18:21