薄桜鬼-江戸- | ナノ
 





囚われたのは何方





ぱたぱたと洗い終わった洗濯物を叩く音が耳が耳に届き、原田は足を止めた。
音のした方へと顔を向けると、少し背伸びをしながら竹竿へと洗濯物を干している雪菜の姿。
足元に置いてある竹篭にまだ数枚の荒いものが摘まれてあるのに気付いて、原田はできるだけ音をかき消しながらその背後へと近づいた。

「よぅ、お疲れさん」
「つ、めたっ!」

不意に身体に巻きついてきた感覚に、雪菜は思わず声をあげた。
がばっと突然背後から抱きしめられた身体に加え、首筋にぞくりと冷たい何かが伝ったのだ。

「び、っくりした……左之助、さん!」
「はは、悪い悪い、ちょっと悪戯してみたくなってな」
「左之助さんぐらいの人が気配を消すと本当に気付かないんですよ、あーもう、びっくりした……まだ心臓がどきどき言ってますよ……!」

声が振ってくるよりも早くに自分を背後から抱きしめたその腕に見慣れた紅い色を見つけて、雪菜は咄嗟に顔を上げて予想通りの人物を視界に入れて緊張していた頬を緩めた。
比較的静かな昼下がりの中洗濯物を干していたせいもあって、突然の原田の姿には雪菜も目を丸くするしかない。
そんな雪菜の反応に満足そうに笑う原田の声色に、雪菜も笑みを零した。

「お風呂上りですか?」
「あぁ、ちょっと道場で新八に付き合って汗流してきたからな。今の季節の道場って暑いったらありゃしねぇ」
「いくら暑いからって、ちゃんと乾かさないと風邪引いちゃいますよ?」

腕の中から首を捻って見上げると、彼の髪から冷たい水気がぽたりと雪菜の頬に一筋垂れてくる。
本当に出たばかりなのだろう、普段なら結んである彼の髪を結う事もなく雪菜の視界に飛び込んできた長い毛先からはぽたぽたと雫が落ちている。
背後から頬に伸びて伝った雫を指で拭った原田の腕を雪菜が軽く持ち返し、やんわりと手を解こうとし手をかけたがそれに反して原田が更に腕の力を強めた。

「左之助さん?」
「ん?」
「ん、じゃなくてですね……あの、私まだ洗濯物が、」

片手にもった洗濯物を目の前に掲げてみるが、背後から原田の反応は限りなく薄い。
ぽたり、ともう一筋首筋に落ちた水滴に雪菜が冷たさからぴくりと体を竦めると、背後からようやく原田が薄く笑う声が聞こえてきた。

「あの、」
「なぁ、俺今日非番なんだよ」
「ええ、そうですね」

なぁ?ともう一度笑いながら腕の力を強めた原田に、じんわりと湿ってくる背後。
先ほど指で拭ってくれたとはいえ、それでも拭いきれない雫の雨に、雪菜は顔を顰めながら何とか体の中で身を反転させた。
頭二つほど自分より大きい原田を見上げながらその手を伸ばしてみると、抱擁と勘違いしたのか濡れた髪を揺らして嬉しそうにそれに答えようとした原田に雪菜は苦笑を浮かべて肩口にかかる手ぬぐいに手をかけてた。

「ん、」
「非番だからって髪の毛を乾かさないで良い訳ではないですよ?」
「そうじゃなくて」

わしゃ、と雪菜が手ぬぐいで原田の髪を拭おうと両手をあげると、背の高い原田に屈んで頭を出すわけでもなくにんまりと笑顔を浮かべて――雪菜の両肩に両腕をかけた。
ズシリとのしかかった重さ、そしてしっかりと地面へと体が押さえつけらた事に何事かと雪菜が怪訝に手ぬぐいから原田へと視線を移動させると、そこには何故かご機嫌な彼の姿。

「せっかくの非番に彼女と居たいって思ったんだけどな?」
「っ、わ、……!」

そのまま雪菜の断りも無くいきなりぐっと自分の方へと寄せてきた原田に、咄嗟に頭を引いたがいつの間にか後頭部に添えられていた原田の手にあっさりと阻止されてしまった。

この距離、この触れ合い。

考えずとも恋人である彼からのこの行動の意味が脳裏を過ぎり、雪菜はそっと瞳を閉じた――間もなく降ってくるであろう熱に備えて。

「……、え?」

しかしどうしたことだろうか、いくら瞳を閉じて待ってみても予想した熱は唇に降ってこない。
されど二人の間に落ちた沈黙、そして瞳を閉じていてもすぐ傍に彼の顔があるのは分かるが――原田がそれ以上動く気配はない。
その不自然な状況に落ちたのは冷たい雫だけ、それに雪菜が思わず声を漏らしてそっと瞳を開いてみると、先程よりも更に近づいた原田の琥珀がすぐに視界に飛び込んできた。

「ナニ、されると思った?」
「、な……!」

くすり、と一寸程の文字通り目と鼻の先で低く悪戯に笑う原田に思わず雪菜は言葉を失う以外に取れる行動なんてない。
近づいた距離にいつもの原田なら間違いなく自分の唇を奪ってそして――、と粉々に崩れてしまった予想に雪菜が目を見開いたままでいると、やがて後頭部を撫でていた原田の手がするりと簪で髪を止めているすぐ下の首筋を撫でた。

「なぁ、雪菜?」
「ちょ、左之助さん、あの、わ、私洗濯がまだ残って、て……その、」

触れるか触れないか分からないほどの原田の指先が雪菜の首の裏を円を描くように撫で上げる。
くすぐったいような感覚がぞくりと体を駆巡る中慌てて首を横に振るが、唇が触れそうな程に近い距離にある原田の顔は涼しく笑ったまま。
加えて今の今まで濡れているとだけ認識していただけの原田の紅い髪から伝う雫がやけに艶を帯びているように感じてしまい、雪菜は急速に跳ね上がった心臓を押さえるように手に持ったままの洗濯物に力を込めた。

「洗濯の後は?」
「ひ、土方さんの部屋にお茶を……」
「さっき土方さん、出かけてったけど?」
「近藤さんにも……」
「近藤さんと一緒にな?」

今日するべき仕事をだいぶ動きが遅くなった頭で必死で考えながら告げてみても、まるで予想していたように原田が畳み掛けるように言葉を紡いでしまう。
もともと今日の予定はそこまで忙しいものではない、とはいえ。
今のこの状況のままで居続ける事にもいかず、ひたすらに逃げるべき口実を求めて雪菜は瞳を宙へと彷徨せた。

「お、お夕飯の準備、」
「こんな昼間っから?」
「や、野菜が足りないから買出しに行かないと、」
「さっき平助に頼んどいたぞ。足りなさそうなの見繕ってきてくれって」

いつの間にそんな事を、と宙から落とした視線にも原田は楽しそうに笑って"それで?"と問いかけてくる。

つん、と触れるのは唇ではなく鼻先。

その感覚を楽しむように、まるで赤子にするように原田が鼻を刷り合わせるとやがて揺れる毛先からの雫が雪菜の頬や鼻に伝い始めてしまう。
冷たいという感覚に顔を顰めて拒否を示したいのに、これほどに至近距離で見つめられてしまうと上手く言葉も紡げなくなってしまうのが――悔しいところだ。
上手く言葉を、言い訳を捜す事に必死なのはまるで自分だけだと言うようにいつのの笑顔を浮かべる原田に、雪菜は瞳を見つめ続ける事も出来ずに視線を伏せた。
彼は非番、自分は違う、とはいえ夕飯の準備までの時間は今確かに空いてしまっているのは事実なのだから。

「他に、言い訳は?」
「……、」

素直にそう告げればいいのに、上手く口が開けないままの雪菜に原田が口元をあげた気配を感じた。
周りの事を誰よりも気にかけている原田のことだ、おそらく雪菜の今日の仕事が比較的少ない事にも当に気付いているのだろう。
現に、いつもなら彼が非番であろうと雪菜が拒否を示すとすぐに不満そうな顔色は浮かべるものの退く筈の原田が今日は一向にその気配を見せない。
次は何のいい訳を並べようかとなけなしの余裕を必死でかき集めていたその時、原田が濡れた髪を気にもせずに雪菜の頬にすりつけ"なぁ?"と口を開いた。

「この前俺が非番だった時、覚えてるか?」

何がおかしいのだろうか、くつくつと喉を震わせて笑い始めた原田に雪菜が数回目を瞬かせてそっと瞼を上げた。
この前、とはいつの事だっただろうかとふと言い訳を考えていた頭を記憶探しに切り替えながら、彼のいう”この前”を何とか記憶の中から引っ張り出す。
あの日は確か朝から雑務に忙殺されていた日だっただろうか、庭掃除をしていた時に原田がひょこりと現われて――確か今と全く同じ状況だった気がする、と雪菜は先日の情景を脳裏に描いた。
掃除が終わると洗濯、その間に来客もあり随分とばたばたとしていたあの時に暢気に口付けをしてきた原田に確か自分は――

「暴れまわって拒否した上に平手打ちしたんだよな、お前」
「あ、あれは忙しい時に左之助さんが……!」

"この前の埋め合わせに"と楽しそうに笑う原田は、相変わらず雪菜の首筋をやわやわと撫でている。
軽く首を捩ってみても一向に止める気配もない、そして相変わらず至近距離の彼の顔が自分から離れて元の位置に戻る気配もない。
完全に囚われてしまった状態に小言の一つでも投げようとしても、雪菜の本心がそれを"嬉しい"だなんて感じてしまっているのだからもうお手上げだと雪菜が瞳を揺らした。

「今日はそんな暴れねぇんだな?」
「あ、あれはだって……!」
「だって、何だ?」
「そ、の、」

頬が引きつるとはまさにこの状態だ、と雪菜は確かに自分の頬がぴくりと動いた感じた。
真っ直ぐに原田の瞳を見れていなかった筈なのに気付いたらしっかりと見つめ返している今の現状と、雪菜の今の僅かな反応に気付いた目の前の原田は、悪戯に笑う琥珀の瞳をいっそう細めながら、その耳元へと口を寄せてちゅ、と音を立てる。

「俺の好きなように、解釈してイイって事?」

意図してか意図せずか、まるで秘め話でもするように掠れた声で囁かれた低く、甘い一言。
いつもなら軽くあしらえるのに、受け流す事なんてワケも無い筈なのに。
一度油断をしてしまったら最後、結局こうして原田の思うがままになってしまうのだから――本当に敵わない、一生敵わない気さえしてくる。
耳元に触れた雫と唇に雪菜は一度瞳を閉じて震える息を深呼吸のように漏らしてから、再び瞳を開いた。

「左之助さんは、ずるいです」

キッとできるだけ強い視線で雪菜が原田を見上げると、その反応すら予想の範疇だったのだろうか、原田が口元に綺麗に笑みを浮かべたま意味を問うように片眉を持ち上げる。
言葉は紡ぐ気はないのだろう、ぴったりとくっついているその唇、そして相変わらずに触れそうで触れないその距離で誘うその瞳に捕まる事を覚悟して、雪菜は原田の胸を引き寄せた。

「この距離で口付けてくれないなんて、本当にずるい――、」

唇を触れさせながら雪菜が告げた言葉に、雪菜も、そして原田も瞳を開いたまま。


恥ずかしい、誰かに見られたら、それでもせめて、一度ぐらいは。


一瞬だけ見開かれた原田の瞳、そして彼の前髪から雫がぽたりと落ちたのを満足そうに見届けてから、雪菜はゆっくりと瞳を閉じた。





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なぎさ様より100000hit企画リクエストに頂きました。
色気ばっりち左之さんが小姓雪菜嬢に迫るお話というリクエストでしたが……色気って何ですか!(あああ
左之さんはもう歩く18禁といわれてるように全身が色気でむんむんだと思うんです、本当に……そんな左之さんが雫を垂れ流した日にはもう。
あたしの中では記念日です。低く掠れたボイスとかもやばいです、っていうかやっぱり、左之さんは何してもエロいんです(結局)
気付いているんですか、気付いてるでしょうその色香!と突っ込みたくなります。
くそう、くそう!とギリギリしながら脳内の原田さんを書かせて頂きました(ヘコリ

なぎさ様、リクエストありがとうございました!

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