初めて過る、 馴染みの茶屋の店主に御代を手渡してから、雪菜は片手に持った串団子の包みを見下ろした。 店主に別れを告げて店の外に出ると、店内以上に人が溢れ帰っており、行き交う人達も浮き足立っているように見える。 それもそうだ、今日は年に一度の花火大会の日。 本来ならば雪菜も例年通り町の警備につくべきだが、今年は違う。 たまにはゆっくりしてこい、と滅多に見せない鬼の副長の慈悲に触れ――もっとも、雪菜にはいつも甘いとの定評はあるが、今こうして非番を頂き浴衣姿で団子を頬張れている訳なのだが。 「ほら、ぼっとしてたら良い席がなくなっちまうぞ」 「あ、うん。おじさんもがんばってね」 店先で客引きをしていた店員に別れを告げ、雪菜は歩き慣れた道を通りながら最後の分かれた場所に向かった。 目的地はここからそれ程離れていない、5分程の場所にある木の下。 団子が食べたい、でも煎餅も食べたいと駄々をこねた結果、雪菜は団子を、そして彼、原田は煎餅をという事になった。 元の場所で、先に戻っていた彼の姿を見つけた。 まだ少し距離があるうえに、この人ごみだと駆けつける事も出来ない。 急ぐものでもない、とこちらに気付いていない原田の姿を見つめながら、雪菜は背が高い彼を”観察”しながら足を進めて行く。 ちらちらと、彼の周りを行き交う浴衣姿の町娘達から送られる好奇のーー熱い視線、その隣を歩く男からの恨めしい視線に彼は気付いているのだろうか。 勿論気付いてはいるだろう、時折声をかけられ、そして見せる申し訳なさそうな笑みを見つめて雪菜はふと、足を止めた。 「モテるんだなぁ」 ぽつ、と呟く声は人ごみにかき消されて雪菜自身の耳にすら届かない。 普段町中で監察そしての仕事の一環として町娘を演じている時も、新選組の評判はよく耳にする。 悪い噂、良い噂、それに加えて年頃の娘達の間で交わされる噂話と言えばやはり、隊士達の恋愛事情。 勿論、恋人、原田の噂もよく耳にする。 もとより人当たりの良い彼に熱を上げる町娘は少なくなく、至る所で耳にする彼への熱はすでに耳にたこができてしまう程に聞き飽きた程だ。 「原田さん、今日は非番なんですか?」 「私達と一緒に花火見に行きませんか?」 一際高い声が、足を止めていた雪菜の耳にまで届いてくる。 ここからは後ろ姿しか見えないが、風貌からしていつも原田へと熱をあげている二人の町娘だろうと雪菜は推測を立ててす、と瞳を細めた。 別に今の今までいくら原田の噂を耳にしようとも、町娘から恋文を貰おうとも、心が乱れる事はなかった。 それは新選組の監察として、町に潜伏する上で意識して別人を演じているせいだ、と自分でも気付いている。 雪菜にとってはいちいちそれに嫉妬を表していれば仕事にならない。 不思議なもので、一度演じてしまえば完全居別人と切り離せていたのだがーー今は違う。 監察としての仕事でも何でもない、ただの七津角雪菜として、町に出てきている。 思えばそれも久し振りかもしれない、それ程までいつも町娘になりきってこの町を闊歩しているのだから。 「悪ぃな、今日はツレが居るから」 「えぇ、そうなんですか?」 やんわりと断る彼の言葉。 ほっと胸を撫で下ろすのと同時に、心がきゅっと締め付けられる感覚に雪菜は包みから串団子を取り出して口放り込んだ。 その後一言二言交わした町娘は酷く残念そうに肩をすくめてその場を去って行き、その後ろ姿を雪菜も見送りながらふと、視線が自分へと向けられている事に気がついた。 「、」 迷う事無く向けられている原田からの視線に、思わず団子を頬張ったまま口の動きを止めてしまう。 まだ彼まで少し距離はある、それでも原田の視線はこちらをしっかりと射止めている。 口を開く訳でもない、来いと手を振る訳でもない。 ただ、確かに彼は自分を見つめて――ゆっくりと目を細め、そして口元を緩めた。 ドクン、と心臓が跳ねあがる。 ずるい、と思わず視線を逸らして胸中で悪態づきながらも雪菜は原田のもとへと何事も無いように精一杯装いながら近づいて行く。 もともと見慣れない原田の浴衣姿にとくんと小さく高鳴っているだけだった鼓動は、今は大きく耳にまで響いてきてしまうぐらい。 それでも近づく原田からは余裕のなさなんて微塵にも感じさせない、それが悔しくて雪菜は軽く口を尖らせて原田の前で足を止めた。 「どうした?」 「え、あ、ううん……その、左之さんが声かけられてた、から終わるまで待ったほうがいいかな、って」 「あぁ、そりゃ悪かったな。んな気使わなくてもよかったのに」 くす、と笑いながら当たり前のように串団子の包みを取り上げた原田は、もぐもぐと団子を頬張る雪菜の頬にかかった髪をそっとかけあげる。 少しくすぐるよに頬をかすめた彼の指先に、雪菜は思わず身体を竦ませそうになったのを何とか押しとどめて団子を飲み込んだ。 頬が熱いのには、原田は気付いているだろうか。 一度意識してしまった以上、彼の全ての行動に全神経が集中してしまって――自分らしくない、と雪菜は息を小さく漏らした。 「気付いてた、の?」 「ん?あぁ」 「そ、そっか」 「その浴衣いいな、よく似合ってる。よかった、今日土方さんに非番頼み込んで」 「うん?」 「普段は仕事だからよ、どんなに綺麗に着飾ってても俺のもんじゃねぇだろ?」 さらりと言葉を紡ぎながら、雪菜の買ってきた団子に彼もまた口を付けながら”だから今日は俺のものだ”と頬を緩めて笑う原田にーー雪菜は木に寄りかかった原田の浴衣にそっと手を伸ばした。 触れる藍色の浴衣に自分の肌色の指先が少し目立って見える。 何か言おうと口を開いたが、ドキドキと高鳴る鼓動に上手く言葉を紡ぐ事も出来ないでいると、帯に手をかけていた雪菜の手に原田の手が重なった。 大きなその手は、いつもまいてる紅い布も何も無く直に原田の手のひらが自分の手をしっかりと包み込んだ。 「花火、そろそろ始まるんじゃねぇか?」 「うん、そうね。早く行かなきゃ、」 当たり前のように手を繋いだまま歩き出したその手を解く事も無く、雪菜もまたその後を追いかける。 もうすぐ花火の本番なのだろう、多くなってきた人ごみで行き交う人を掻き分けるのは容易な事ではないし、普段ならば一目を気にしてしまうが今日はそうでもない。 しっかりと繋がれた自分の右手を見つめ、そして自分を庇うようにして歩き出した原田の後ろ姿を見つめた。 とくとく、と心地いい鼓動に大分慣れてきた今、頬が少し緩んでしまう。 らしくないと笑われるだろうか、普段なら決して自分からこんな話をする事はないけれども、今日ぐらいは、と思えてしまうのは普段とは違う、花火大会という浮き足立った雰囲気のせいか。 「ねぇ、左之さん」 「うん?煎餅食うか?」 つん、と手をひいて合図を送ると、原田が頭だけこちらを振り返る。 かさりと反対側の手に持っていた煎餅を雪菜も前にちらつかせたが、雪菜は彼にも分かるように少し大きめに首を振った。 にこ、と笑ってみれば原田もまた笑みを零すがそれでも首を傾げて雪菜を振り返ったまま先を促すように首を傾げたその身体に、雪菜が歩幅を詰めた。 「さっきね、ちょっとだけ嫉妬しちゃったかも」 「は?」 「いや、うん、ちょびっとだけね?何か、不思議な感覚だった、から」 原田のすっとんきょんな反応に、慌てて頭を振りながら軽く否定を表してみた。 目を丸く見開いてる原田の反応をみると、もしかして子供っぽい反応だっただろうか、もしかして”そんな事”なんて思われただろうか、と誤摩化すように雪菜は苦笑を浮かべてみせる。 それでも自分で言っておきながら込み合えてくる気恥ずかしい照れに、顔を見下ろされる事がないようにとすぐに原田の手から腕に手を絡め直して身体を寄せてみれば、近くなった原田の声がすぐ頭上から降ってきた。 「嫉妬って……あの声かけられてたやつに、か?」 「……かな?普段は何も思わないのに、何となく。うん、だからちょと甘えちゃ、」 一瞬の出来事だった。 もしもこれが敵だったら、自分は確実に命を落としていただろう、そう思いさえする程に、瞬き一つ落とす事もできないその隙に、背中に何かがぶつかったのを感じた。 それが何かなんて気付いた時はすでに視界には原田の顔しか写っていなくて、僅かに届いた景色に自分がどこか民家か店の壁に押し付けられているという事が分かる。 突然の出来事にうっかり手にしていた団子を地面に落としてしまったが、それすら目の前の闇がかった琥珀の瞳は気にもとめずに雪菜の驚きが漏れる口をーー塞いだ。 「ちょ、っ……左之、さっん!」 「……ん?」 「な、人が、見て、」 「大丈夫、誰も気付いてねぇよ」 繰り返し、本当に文字通り何度も繰り返される口付けを受けながら、雪菜は目尻に溜まって行く雫を感じた。 逃げたくても、逃げれない熱はひどく優しくて、そして官能的で。 途中、くすりと笑みが漏れた原田が”団子のたれがついてる”なんて言いながら御丁寧にそれを舐め取ってくれーーそしてまた、舌が熱く侵入してきた。 「っは、……な、……、」 「やっべぇ、雪菜」 「な……?」 「俺、止まんなくなっちまうかも」 「なっ、」 不意打ちの口付けのせいで上手く呼吸する事もままならずにあがってしまった息を漏らすと、原田もまたコツンと額を重ねて荒い息を漏らした。 悪ぃ、と苦笑を漏らしているつもりだろうが、それでも雪菜の視界に写る原田はひどく艶めいており、男とは思えない程の色気を瞳に宿している。 こんな熱い口付けを贈られ、そしてこんなことを言われて落ちない女性がいるだろうか、ソレすらもしかして気付いているのかもしれないと思うと悔しさが込み上げてくる。 「でも……はな、びは?」 「あぁ、花火の見える部屋にするか」 その言葉の意味する事が分からない訳が無いし、利用した事がないわけでもない。 だけど、口にする事の恥ずかしさやいろんな想いが込み上げて口ごもってしまうと、原田の指先が雪菜の頬からそっと首筋に落ちてくる。 途端にびくりとはねた身体が、言葉にしなくても”肯定”を伝えているようでさらに頬に熱が昇るのを感じると、原田は嬉しそうに口元を上げて上の中に雪菜の身体を抱き込んでこめかみに口付けを落とした。 誰にも見られないように、という彼なりの気遣いからか、すっぽりと収まった雪菜の姿は道行く人からは写らない。 「普段着ない浴衣を俺だけの為に着てくれて、しかも普段言わない事なんてい言う雪菜が悪いんだぞ」 「お団子、落としちゃ、った……。」 「まだここに残ってる、後で腹減るだろう?」 くすっと笑う原田にはもう何を言っても敵わない。 もう一度口付けを落とした後に、”いいか”と熱っぽく問うてきた原田に。 断る理由も無いが、果たして花火の”見える部屋”になるのか、花火の”聞こえる部屋”か、と考えながら雪菜は原田の胸元に顔を埋めてこくり、と頷いた。 **** 月人様より100000hit企画リクエストに頂きました。 花火大会でのデートという事で……拙宅にての監察×左之さんで書かせて頂きました。 花火大会どころか、お祭りの雰囲気すら醸し出せていない……そして珍しく(もないく)、左之さんが発情期になっております(笑) 本当なら雪難嬢だけの非番だったところを、左之さんが頼み込み……渋々、”雪菜の警護してくっから!”なんていう左之さんの押しの一言に土方さんが折れたと思います。 しかもちゃっかり外泊届けとかもこっそり出していたら良い(山南さん宛に) それを後で知った土方さんが眉間に皺刻み込みながら溜め息漏らしていて欲しいです(全然妄想のベクトルがおかしい)。 というわけで、はなからその気だった原田さんでしたが、まさかの不意打ちにスパンと理性が……! お祭りな雰囲気に浮き足立った監察雪菜嬢、普段はお仕事として居る分、ちょっと、いや、かなりご機嫌だったんです、実は。 町娘ちゃんにも影響されて、えいやー!と……そんな事を思いながら書かせて頂きました。 月人様、リクエストありがとうございました! >>back |